こんなに面倒くさいチップの話

日本人が海外旅行した時の面倒なことトップ3に確実にランクインするのは、チップ制度だろう。原則(特殊な場所を除いて)チップ制度というものがない日本人にとって、このややこしいシステムはまったく頭痛の種だ。どんな時に払うべきでどんな時にいらないのかよく分からないし、いくら払えばいいのかもはっきりしない。気持ちだからいくらでもいいよ、という人がいて安心していると、少ないと失礼だとか店に咎められるぞとか脅す人もいる。気にしなければいいと言われても、こんなことでウェイトレスさんや売り子さんに恨まれるのも気分が悪い。

もちろん住んでいればそのうち慣れるし、どんな時にいくら払えばいいのかも大体分かって来る。が、いつまでたってもよく分からない部分もやっぱりある。私はもう20年以上アメリカに住んでいるが、チップのことで戸惑ったり、嫌な気分になることがいまだにある。そもそもこのチップ制度の面倒さ、わずらわしさは日本人だけじゃなくて、生粋のアメリカ人も感じていることのようで、その証拠に映画やテレビ番組でもチップネタがよく出てくる。

たとえば、有名どころではタランティーノ監督の『レザボア・ドッグ』。冒頭ギャング達がレストランに集まった時、チップの話になる。ミスター・ピンクことスティーヴ・ブシェミが「おれはチップ制度を認めない」と独特の哲学を開陳し、皆と議論になるのだが、ブシェミが長々と屁理屈をこねるこのチップネタは、『パルプ・フィクション』に出てくる「マクドナルドのクォーターパウンダー」ネタや「足マッサージ」ネタと並んで、タランティーノ監督らしい洒落っ気とこだわりを楽しめる名シーンだ。

マーティン・ブレスト監督のコメディ『ミッドナイト・ラン』でもチップネタがある。賞金稼ぎのロバート・デ・ニーロが会計士のチャールズ・グローディンを捕まえて、列車でロスに向かうが、食堂車を出る時にグローディンがチップが少ないと文句を言う。「15%置いたよ」と言うデ・ニーロに対して「いや、それじゃ13%しかない。この人たちはチップで生計を立ててるんだぞ」と口うるさく指摘し、デ・ニーロを辟易させる。

ちなみにこの「ウェイトレスやウェイターはチップで生計を立てている」はチップ議論で必ず出てくるセリフだが、前述の『レザボア・ドッグ』でスティーヴ・ブシェミは「だったらなぜみんなマクドナルドではチップを払わないんだ?」と反論していた。最近まで知らなかったが、マクドナルドの従業員はチップをもらってはいけないルールらしい。何か理由があるんだろうが、知らない。

さらに、私が大大大好きなHBOのコメディ番組『Curb Your Enthusiasm』にはもう、あちこちにチップネタが出てくる。これは『サインフェルド』の脚本家ラリー・デヴィッドが本人役で主演するドラマで、日本でも『ラリーのミッドライフ★クライシス』というタイトルで放映されているらしい。面白い番組なのでここで力いっぱいプッシュしておくが、この中で、たとえばラリーがニューヨークに旅行した時にホテルのボーイとチップでもめるエピソードがある。

まず、ラリーがチップを渡そうとすると小銭がない。「すまないが後で渡すよ」と言って、あとで別のボーイに「これはもう一人の分も一緒だから、二人で分けてくれ」と言って、二人分のチップを渡す。ところが後日、最初のボーイに会った時に「チップもらったよね?」と聞くと、ボーイは不満げに首を振る。ラリーは「それは悪かった」と謝って、やむなくもう一度チップを払う。

クリスマス・チップの話もある。ラリーは会員になっているゴルフクラブに行って従業員みんなに一人ずつクリスマス・チップを渡すが、同じウェイターに二度チップを渡したことに気づく。で、彼のところへ行って笑いながら「いやー申し訳ない、うっかり君に二回チップを渡しちゃったよ。すまないが一回分返してくれない?」と頼むと、「いや、私は一回しかもらってませんよ」と真顔で言われ、気まずい空気になる。結局チップは返してもらえない。

更に大きなトラブルが発生するのは、言うまでもなくレストランだ。ある店でクレジットカードで支払おうとしたラリーは、勘定書のチップ欄の下にもう一つ「キャプテンへのチップ」欄があることに気づく。「何だこれ?」といってこれを斜線で消し、普通のチップだけつける。次に同じレストランに行くとキャプテンが出てきて、前回のサービスはいかがでしたか、と慇懃に尋ねる。

良かったよ、と答えると「ところで前回あなた様はキャプテンへのチップ欄を消されましたね? あれは間違いなのでしょうか?」と聞いてくる。 「いや、チップはまとめてつけたんだ」 「まとめて? でもあれじゃキャプテンにチップは渡りませんよ」 「みんなで分けてくれないの?」 「ウェイターへのチップとキャプテンへのチップは別ですからね。そのためにわざわざ欄を分けているのです」 「でもねえ、キャプテンから特にサービスは受けた覚えはないし」 「キャプテンはウェイターをまとめるという、大事な仕事をしているのです」 だんだんヒートアップして、喧嘩になる。しまいには出ていけ、二度と来るなと言われる。この番組のいつものパターンだ。

喧嘩になることはさすがにないが、レストランの勘定書でよく分からないことはたまにある。このエピソードみたいにチップ欄がいくつかあるものも見たことがあって、つけるべきかどうか、いくらつければいいのか、確かによく分からない。

クリスマス・チップも実に面倒だ。アメリカでドアマン付きのアパートに住むと、クリスマスの時期にクリスマス・チップ用のスタッフリストが配布される。キャプテンが誰々で、コンシアージュが誰々、ハンディマンが誰々、と十人以上ズラズラと名前が並んでいる。この人々に、それぞれのポジションに見合った額のチップを渡さねばならないのだが、そもそも全員に渡すべきか、顔を知っている人だけでいいのかすらよく分からない。この人には絶対に会ったことがない自信がある、という人もまじっているのだが、見えないところで何かやってくれているのかも知れず、やはり省いちゃまずいだろうと思って全員にクリスマス・チップを渡すことになる。当然、かなりの出費になる。

特に私がよく分からなかったのがメールマン、つまり郵便配達人だ。クリスマス・チップはメールマンにも渡さないとダメと言われるが、告白すれば私は渡したことがない。メールマンと顔見知りなら分かるが、顔を合わせたことが一度もないのである。顔を合わせなくてもサービスを受けている、というならレストランで料理人や皿洗いの人にもチップをあげなくちゃいけなくなる。それこそマクドナルドでも渡さないといけない。チップとは接客してくれた人に渡すものではないだろうか。

と考えるとまた分からなくなるのが、ホテルの部屋でベッドメイクしてくれる人達である。彼らはゲストの外出中にやってくるので、基本的に顔を合わせることはない。が、チップは置かなければならないらしい。

これについても、「実は置かなくてもよい」という説もあるようだ。ベッドサイドにチップを置くのは日本人ぐらいだ、欧米人はそんなことしない、とあるウェブサイトに書いてあった。本当だろうかと思って会社のアメリカ人に聞いてみたら、やっぱりチップを置くのが普通という回答だった。

ただし置き方には諸説あって、ある人は「毎朝数ドルずつおく必要はなく、チェックアウトする時にまとめて置けばよい」と言い、ある人は「いや、毎日同じ人が来るとは限らないので、やはり毎日少しずつおくべきだ。最後にまとめて置くと、たまたまその日に来た人が総取りしてしまう」と言う。それでまた議論になり、最終的には毎日置いた方がいいだろうという結論になった。

まあ要するに、アメリカ人にだってよく分かっていないのだ。というより、ことチップに関しては「これが正解」というものはない。チップの話はまだまだ尽きないので、次回へ続く。