予告犯

『予告犯』 中村義洋監督   ☆☆★

アマプラで鑑賞した。伊坂幸太郎原作ものを得意とする中村監督だが、今回は漫画原作らしい。私は読んだことがない。

あらすじをざっと説明すると、ネット上に炎上した人間を制裁するシンブンシ(生田斗真)なる男が出現する。彼はネットで炎上したり顰蹙を買ったりした嫌われ者の制裁を動画で予告し、翌日その通りに事件が起きる。ネットで次第に話題になり、やがて警察も注目し始める。サイバー犯罪対策課の捜査で、シンブンシの実体は複数人いるらしいこと、ネットカフェのサーバーを使って動画をUPしていることなどが分かるが、やがてシンブンシは政治家・設楽木(小日向文世)の殺害を予告。ネット民は一気にヒートアップし、警察は公安まで出動して厳戒態勢をひく。その日ついに姿を見せたシンブンシを追うサイバー犯罪対策課チーフ、吉野絵里香(戸田恵梨香)は格差社会を恨むシンブンシを「甘いわよ!」と罵倒するが、シンブンシは「あなたには分からない」と叫んで姿を消す。そしてシンブンシは、ついに自分たちの集団自殺を予告する。果たしてシンブンシの本当の目的は何なのか? 必死にシンブンシの集団自殺を阻止しようとする吉野だが...。

というわけで、現在の時間線で進行するメインのストーリーは上の通りだが、それと並行して、過去の時間線で進行するストーリーがもう一つある。それは社会からはみだした四人の若者たちの物語で、病気でブランクがあるため派遣社員を抜け出せず、ついに失業したプログラマーゲイツ生田斗真)、引きこもりのノビタ(濱田岳)、バンドで挫折したカンサイ(鈴木亮平)、ギャンブル狂のメタボ(荒川良々)らである。まともな仕事をさせてもらえない彼らは不法投棄のバイトでフィリピン人のヒョロ(福山康平)に出会うが、日本に憧れて腎臓を売ってまで日本へやってきたヒョロは、それが原因で病気になり、そのまま死んでしまう。ゲイツ達四人は、ヒョロのためにあることを決意する...。この過去と現在の二つの物語が交錯することで物語のミステリーが深まり、意外なラストへの伏線となっていく。

要するにこの二つがどう結びつくが本作のキモであり、それが分かった時の驚きと感動が本作最大のウリと言っていいだろう。もちろんその結びつきは、なぜシンブンシと名乗る四人組がこんな事件を起こしたかの理由とイコールだ。

映画は新聞紙をかぶった男のネット動画と反社会的な制裁からスタートするので、前半はいささか陰惨なムード。そこに過去ストーリー中のIT会社の派遣差別や、不法投棄現場のブラックぶりが拍車をかける。現代日本の膿がドロドロ溢れ出す感じで、決して心地よく爽やかに鑑賞できる映画ではない。いつもは小洒落たストーリーを快活に、コミカルに撮る中村監督なので、ちょっといつもとイメージ違うなと思いながら観た。

やがて小日向文世が登場し政治家の殺害予告となるが、結局殺害は行われない。小日向文世は重要な役柄だろうと思っていたら実はそれほどでもなく、小日向文世ファンの私はいささか残念だった。また彼らがネットカフェを使う時いつも「ネルソン・カトー・リカルテ」と署名していることが分かり、これはヒョロの本名なので、ヒョロの死がシンブンシ事件と密接に関連していることが暗示される。が、その目的はどうしても分からない。この目的は相当にトリッキーなので、おそらくラストの謎解き前に推察できる人はほぼ皆無だろう。

そして集団自殺がすべての結末と思わせておいて、最後のゲイツの手紙でシンブンシ出現の本当の理由が明かされる。これはものすごく捻った、ある意味無理やり感がある理由なのだが、その無理やり感と意外性が観客を驚かせ、同時に感動させる仕掛けだ。が、ここで「そうだったのか!」と感動するか「んなアホな」と思うかは、多分人によるだろう。そしてこの捻りと驚きこそがこの映画のほとんどすべてなので、相当な大バクチである。ここでスベると映画全体がスベッてしまう。

私はスベッたとまでは思わないが、やや首をかしげたクチである。シンブンシが巻き起こした事件のインパクトと結末の重みを考えると、目的とのバランスが取れていない気がする。監督もそれを懸念したのか、一つ重要な布石を打っている。途中でネットカフェの店長がシンブンシの身代わりで逮捕されるが、しばらくして釈放される時に「どんなに小さなことでも、誰かのためになると思えば人は動く」と吉野に告げるのである。これはほぼ、この映画のテーマを簡潔に言語化したものと言っていい。このテーマはなかなかクレバーだし、感動的でもあるが、ヒョロがすでに死んでいることを考えると、やはりリアリティには欠けると思う。

さて、結果的に最後の謎ときや伏線の張り方、つまりミステリ的趣向はやっぱり中村監督らしい映画だった。が、前半のどんよりした陰惨なムード、そのわりに話にリアリティがないこと、事件全体のバランスが良くないこと、そして最後の自殺が後味悪いことなどの理由によって、本作は傑作とは言えないと思う。何よりもこの映画を観て、日本は本当に暗く病的な国になったのだなと思ってしまった。まあ、私が長年住んだ米国から帰国したばかりだから、余計にそう思ったのかも知れないが。

ところで、この映画を観て一番強烈に印象に残ったのはIT会社社長の滝藤賢一だった。あのパワハラ演技はすごい。目つきから口調から半笑いまで、めちゃめちゃイヤなのである。この人は風貌から線が細い役者さんだと思っていたが、『孤狼の血LEVEL2』でももの凄い恫喝演技を披露していたし、実はかなり芸達者な役者さんかも知れない。この映画でもそうだが、なんだか目がイっちゃってる感じがしてコワい。

残月記

『残月記』 小田雅久仁   ☆☆☆

知らない作家さんだったが、Amazonの作品紹介とカスタマーレビューで絶賛されていたので読んでみた。絶賛とはつまり「なんと豊かな物語性」「打ちのめされた」「絶句という言葉でも追いつけない読書体験」「もう以前と同じように月を見上げることはできない」「これから千年輝き続ける現代小説の最高峰」などで、月がモチーフという点にも惹かれた。幻想文学好きの私にとって「月」はツボである。古雅な響きのタイトルと「月がモチーフ」から、勝手に中島敦皆川博子、または泉鏡花あたりの流れを汲むような作品を想像し、手にとったのである。

で、すでに読まれた方はご存知の通り、本書は全然そういう系統ではない。SFであり、異世界ファンタジーである。もちろん、これは勝手に好みのジャンルを期待した私が悪いのであって、著者の責任ではない。もっと事前に調べれば良かったのだ。が、おそらくこんな系統だと知ってたら私は手を出さなかっただろう。いや、もちろんこれは評者の責任でもないのであって、それは重々分かっている。が、「これから千年輝き続ける現代小説の最高峰」はさすがにオーバーじゃないだろうか?

三篇収録されているので、それぞれについてざっと触れてみる。「そして月がふりかえる」は現代のごくありふれた光景、家族四人がファミレスで食事する場面から始まって、父親にして夫である主人公がトイレから席に戻ると、なぜかレストラン内の全員が凍り付いたように止まって月を眺めている。月はゆっくり回転して裏側を見せる。と、全員がまた動き始めるが、家族は主人公のことをまったく覚えていない。「どなたですか?」などと言われる。そしてどことなく自分に似た男がやってきて、自分の席に座る。家族はその男を父親として、夫として扱う。一体何がどうなっている?

という始まりで、それから主人公はこの世界で自分の恋人らしい女の部屋に行き、それから元の自分の家に行き、忍び込んで妻とその「夫」の様子を窃視する、という風に進んでいく。自分の立場を他人に乗っ取られるというのは幻想小説や不条理譚ではそれほど珍しくないアイデアだが、本篇の特徴は寓話風でもユーモラスにでもなく、あくまでリアルに、緻密なディテールとともに書き込まれることと、全体の悪夢的なムードである。文体やトーンは基本エンタメのそれだけれども、純文学風の凝ったレトリックや比喩の多用、そして耽美性を感じさせる情緒たっぷりの語り口だ。簡潔ではなく、饒舌で熱っぽい文章である。

こんな文章でこの物語を書いてたら大長編になるんじゃないかと心配しながら読んでいると、驚いたことに物語が起承転結の承ぐらいでブツっと終わってしまう。流れ的には、長編小説の第一章が終わったぐらいの感じである。これは間違いなく後で他の二篇とつながるだろうと思ったが、なんと最後まで読んでもそうならない。びっくりした。

面白いっちゃ面白いが、全体で何がどうなってるのか分からない。今目の前で起きていることが面白きゃそれでいいじゃないかということなのか。気を取り直して次の「月景石」を読むと、これも現代社会で生きる女性の物語がリアリズムで始まり、ある時点で突然異世界にスリップする。月景石という石を持って眠ると異世界で目覚めるのだが、そこではヒロインは現代日本ではない、まったくのファンタジー異世界で別の名前を持ち、別の人生を生きている。日本での生活の記憶はうっすら残っているがはっきりとは思い出せない。そこでの人々の言動はまさに異世界ファンタジーのそれで、ヒロインは下層階級の一人として辛い人生を送っているらしい。この世界と現代日本の間をヒロインは何度か行ったり来たりするが、やっぱりこれも何がどうなっているのか分からない。

そして三篇目が表題作の「残月記」。これはSF的なストーリーで、全体主義独裁国家となった未来の日本が舞台。主人公の冬芽は致命的な感染症「月昂(げっこう)」にかかって長く生きられない体だが、警察に逮捕された後、素質を見込まれて剣闘士になる。剣闘士たちは皆「月昂者」で、独裁者の娯楽のために闘技場で戦わねばならない。冬芽は次々と試合を勝ち抜いてスター剣闘士になっていく。やがて彼はやはり「月昂者」である女と出会い、愛し合うようになる。二人は義務として課せられている労働をすべて終わらせた後は、一緒に静かに暮らしていきたいと願うが、そんな時、冬芽のもとへ独裁者暗殺のクーデター計画がもたらされる...。

冒頭部分のナレーションで冬芽が彫り物師と紹介されるので芸術家の物語かと思っていたら、剣闘士の話になって競技場でバトルを繰り広げる。しかし後半冬芽は彫り物師になっていくので、まあそういう話でもある。そんな紆余曲折からも分かるように、これはかなり波乱万丈の大河ドラマである。絶賛する人々が口々にあげる「豊かな物語性」とはこのことだろう。

辛い境遇で育ち、不治の病にかかっている主人公、同じく感染者である女との出会い、そして哀しい愛。とても壮大でドラマティックな物語で、特に後半、冬芽が森の中に入って彫り物師となり伝説化していくあたりは手塚治虫の『火の鳥』(洞窟に入って無数の仏像を彫る男のエピソード)を想起させる。数奇な運命と荘厳な悲劇性に彩られたストーリーにどこか共通するものを感じるのだが、ファンタジー世界での剣闘士バトルには最近のアニメっぽいテイストも入っている。

三篇読み終えて思ったのは、結局あまり「月」は関係なかったなという事だった。月の裏側が見えたり月景石が出てきたり、「月昂者」が満月になると超人的体力を得るという狼男みたいな設定だったりするが、ストーリーそのものに月はあまり関わってこない。あくまで装飾である。

それから「残月記」を除いては前述の通り断片的で、物語の全体像がよく見えない。言ってみれば読者の目の前にひたすら異様な光景を並べていく小説で、妄想や白昼夢を膨らませたような感触がある。加えて、もっと長い物語の一部分だけを抜粋したような印象を与える。そんなストーリーが主観的、情緒的、思い入れたっぷりの熱い文体で書き綴られていく。それが本書である。

ちなみに私は、作中世界の設定や法則がよく分からないし説明もない、という点で新海誠監督『君の名は』を思い出した。あれもなんで二人が時を越えてつながったのかまるで説明がない映画だったが、この著者ももしかするとそういう流れを汲んでいるのか。そしてこういう傾向はこれからだんだんと主流になっているのだろうか。

一つ一つの場面がスリリングならリーダビリティは確保されるかも知れないが、真の感動はコンテキストの中から立ち上がってくると考える私みたいな読者には、少々戸惑いがあるのも事実だ。まあ一冊読んだだけではなんとも言えないので、この作家さんの今後の展開に注目したいと思う。

孤狼の血 LEVEL2

孤狼の血 LEVEL2』 白石和彌監督   ☆☆☆

日本に帰国して驚いたことの一つに、アマプラで無料鑑賞できる映画・TV番組のラインナップの充実ぶりがある。ここまで色んなものがタダで(つまりアマプラの会費だけで)観れるとは思っていなかったので、「え、これもあれもタダで観れるんかい!?」と驚いてしまった。米国に住んでいた頃は観たい邦画はブルーレイ・DVDを買うしかなかったわけだが、これならほとんど買う必要ないと思えるほどだ。素晴らしい。

というわけで、まずさっそく観たのが前から気になっていた『孤狼の血 LEVEL2』である。一作目は面白かったし、ポスターを見ると激変した松坂桃李のビジュアルが期待感をそそる。映画が始まるといきなりチンピラヤクザのクラブ襲撃で、変貌した日岡登場。短髪、無精ひげでガラ悪くなった日岡が警官隊率いてチンピラ達を逮捕するが、直後にナイフで刺されて病院行き。その後、刺したチンピラは日岡エス(=スパイ)で、ナイフで刺されたのは手違いだったことが分かる。

ここまで観てすぐ分かるのは、今回の日岡は前作の大上(役所広司)のほぼ忠実なレプリカだと言うことだ。ガラ悪くなったルックスからも予想された通り、喋り方から手段を選ばない捜査手法までことごとく大上スタイル、少し後のシーンで分かるように尾谷組との密着ぶりまで同じである。もちろん日岡は大上の継承者なので大筋はそれでいいとしても、もう少し役者・松坂桃李の個性をキャラ設定に活かせなかったものだろうか。この疑問は、映画が進むにつれてだんだんと大きくなっていく。

続くシーンで描かれるのは、上林(鈴木亮平)の出所である。上林は尾谷組と対立する五十子(いらこ)会の幹部で、出所時は「もう刑務所に戻ってこんでええようにマジメにシャバでがんばります」などと殊勝な顔をしていながら、続くシーンでいきなり残虐きわまりない殺人を犯す。しかも平然と。この落差で、この男の異常な凶暴性と不気味な予測不能性がアピールされる。それにしても、前作もそこそこグロなシーンがあったが今回のグロ度はそれを上回っている。うおおいきなり来たな、という感じなので、グロに弱い人はご注意下さい。

さて、この流れからも分かるように上林が本作のキーパーソン、というかむしろ中心人物である。主人公のはずの日岡は実際は上林のカウンターというべき存在で、つまり物語は狂暴、残虐ながらどこか魅力的なトリックスターである上林を中心に回り、その横に刑事である日岡を対峙させて緊張を作り出す構造になっている。映画の冒頭部分では「五十子会はもう組織の体をなしてない、風前の灯」と日岡が言うように尾谷組の一人勝ち状態だったが、上林が出所してから急激に変化していく。上林はまず五十子会内部の幹部達を血祭りにあげ、それから前作で組長(石橋蓮司)を殺した犯人と尾谷組に逆襲を開始するのである。組長を殺した犯人というのはもちろん、日岡のことだ。

前作の中心人物は悪徳刑事(に最初は見えた)大上だったが、本作では凶暴きわまるヤクザの上林。というわけで必然的に映画はバイオレンス・アクション寄りになる。当然、バイオレンスとグロ度は大幅にアップ。その一方で、プロットの緻密さや複雑さは減退している。前作がミステリ作家・柚月裕子の原作もので、今回は映画オリジナル脚本というのも原因の一つかも知れない。今回のストーリーは基本的に暴れ回る上林とそれを止めようとする日岡が対立し、そこに日岡が恋人(西野七瀬)から託された弟にしてエス村上虹郎)が犠牲になる、という悲劇が絡んでくる。この手のクライム・バイオレンスものではわりとありがちな構図である。非常にストレートで、当然のように上林と日岡の激突がクライマックスになる。その激突も、カーチェイスから肉弾戦というハリウッド・アクション映画の定番をそのまま踏襲している。

それともうひとつ、前作もそうだったが今回も警察内部の陰謀がサブプロットとして絡めてあり、日岡はついに逮捕されるところまで行く。犯罪者になってしまうのである。おまけにそれは日岡が上林にボコボコにやられた直後なので、余計に痛々しい。日岡と上林はクライマックスシーンを除いては対等にぶつかる感じではなく、暴力では圧倒的に上林が上回っているので、日岡に感情移入して観るオーディエンスには結構つらい。日岡は冒頭いきなり病院送りになるし、途中でもそうなるので、全篇を通して爽快感を得られるシーンはほとんどない。

それにしても、満身創痍の日岡が病院を抜け出してクライマックスの対決へとつながるわけだが、そんな体で上林と鬼のように殴り合うとか、逮捕されていながら大勢警官がいる警察署から逃げ出すとか、終盤はかなり強引な展開が目立つ。そういうところも脚本が粗い印象を強めている。

役所広司の穴を埋める重責を担った日岡役の松坂桃季は、がんばっているけれどもやっぱり華奢で、その点は惜しかった。若いイケメン刑事だった前回とガラッとルックスを変えたのは面白かったが、周りの連中がひたすらゴツいのでどうしても線が細く感じてしまう。いっそのこと無理して大上タイプのガラ悪い刑事にせず、前作の延長線上でクール系のやり手刑事、たとえば『太陽にほえろ!』のスコッチ刑事みたいなキャラにしてしまった方が個性を活かせたんじゃないだろうか。あれだって十分はみだし刑事だし。まあ、この映画の雰囲気に合うかどうかは微妙だが。

もう一つ言うと、前作ではビジュアル的にガラが悪い大上とイケメン青年・日岡の対照の妙があったが、今回は全員ガラが悪く暑苦しいので、その分絵ヅラは単調かも知れない。それからもちろん、上林の凶暴な存在感は見ごたえがあった。それがこの映画最大の見どころとも言えるが、ただしすぐ人を殺すなど上林の行動は乱暴過ぎて知略に長けている感じはなく、底知れない悪を感じさせるには今一歩足りなかったように思う。

最後にもう一つ、日岡の相棒になる定年間近のおじさん刑事は意外性があった。あの役で奥さんが宮崎美子というのもうまい。前作には及ばなかったけど、そんなこんなでそれなりに楽しめました。

俺ではない炎上

『俺ではない炎上』 浅倉秋成   ☆☆☆★

最近SNSを題材にした映画や小説が多いが、これもその一つ。なんだか不思議なタイトルだが、要するに何の心当たりもないのにいきなり殺人事件の犯人と名指しされ、SNSで大炎上した男が「え、なんで!?」とパニクる小説である。軽く、スラスラと読める。

世間を騒がせる有名な事件についてSNS魔女狩りが始まる、というのは映画『白ゆき姫殺人事件』でもやっていたが、若いOLがターゲットになるあちらと違ってこちらは企業の部長職にある妻子持ちの50代のおじさんである。主人公にしては華がないが、ネットに弱いとか自分では部下に人望があると思っているとか、そういうおじさん要素もストーリーの中で活きて来る仕掛けになっている。

さて、このおじさん山縣泰介がある日突然殺人事件の犯人と名指しされ、自分じゃないと言っても周囲の誰からも信用されず、とうとう家族を実家に帰して自分一人必死に逃亡する羽目になるわけだが、警察までが彼を犯人と断定するのは数々の非常に有力な状況証拠ゆえである。たとえば、犯人が死体画像を最初にアップしたツイッターアカウントは彼の名前で10年前に開設され、趣味のゴルフのことなど時々呟かれていたアカウントで、ゴルフ関連の画像には彼の持ち物が映っているし、アカウントへのアクセスは確かに彼のデバイスからなされている。もちろん泰介はツイッターなどやっていないのだが、では誰かが10年も前から彼になりすましていたのだろうか? 彼の持ち物からアクセスされているログはどうなのか?

というわけで、ネット民だけでなく警察も彼を犯人と断定する。彼が犯人ではないと知っている読者にとっては、一体なぜこんなありえない状況証拠が出て来るのか、誰かの罠だとした場合どうやってこんな非現実的な罠を仕掛けることができるのか、が最大のミステリーとなっていく。

そういう意味では、人々の無責任な噂や嘘が積み重なって魔女狩りが起きる『白ゆき姫殺人事件』とは違って、こちらは明らかに誰かの意志で生み出された罠、捏造であり、その結果として起きる冤罪である。従って確かに無責任に騒ぎ立て、断定し、山縣泰介とその家族を誹謗中傷するネット民はひどいものの、彼らはあくまで外野だ。最大の関心は誰が真犯人で、どうやって泰介を罠にかけたか、である。

最初は濡れ衣なんてすぐ晴れる(だって俺は何も悪いことはしてないから)と楽観していた泰介は、あまりの状況の悪さについに逃走を開始する。ここからは寒さや飢えや絶望との戦いも始まり、サバイバル小説の様相を呈してくる。前半はそのスリル、絶望感、不条理感で一気に読ませる。物語は色んな人物、たとえば泰介、刑事、事件を拡散したSNSユーザー、泰介の娘、などの視点が切り替わりながら進むので、警察はこう考えて動きその間泰介はこう動いた、などがよく分かる。定石だけれども効果的で、サスペンスはいやが上にも高まっていく。リーダビリティは十分だ。

おまけに、絶対に自分を慕ってくれているはずと信じる後輩の家に行くと「出て行って下さい」と冷たく言われるなど、泰介の自尊心はズタズタ。これまで積み重ねてきたはずのものや自己イメージもガラガラと崩壊していく。一度は「真犯人を見つけてやる」などと意気込んでいた彼も、やがて絶望と疲労で心が折れ、もうどうでもいいから死にたいと思うようになる。いやまったく、こんな状況になったらたまらんなあと思いつつ読み進めるしかない。

ここまでは起承転結でいう「起承」だが、やがて「転」が訪れる。ついに、泰介の無実を信じてくれる人が出現するのである。もともとその人物を泰介がひどく嫌っていて批判していたという前振りがあるため、この予想外の場面はかなり鮮やかなインパクトを残す。この人物が泰介を信じる理由もちゃんと伏線が張られていて、細かいながらもクレバーだ。こういうくすぐりや伏線回収がなかなか巧い。ここから物語のトーンが変わって、物語は徐々に真相解明の方向へと動き出す。

と同時に、このちょっと前から登場する「包丁を持って泰介を追う女」が殺し屋なんじゃないかとか、被害者は風俗嬢で裏に暴力団がいるんじゃないかとか情報や錯綜し始め、事態は混迷の色を深めると同時に、だんだん荒唐無稽になってくる。泰介が受け取っていた怪文書なども絡んで、読者はかなり混乱すると思う。アマゾンのカスタマーレビューで、前半はストレートで面白かったが後半ごちゃごちゃしてつまらなくなったみたいなコメントが散見されるが、この事だろう。私も大体似たような感想だが、ただし後半も一定のリーダビリティは維持できていると思う。

そしてラストで大がかりな叙述トリックが炸裂し、意外な結末を迎える。叙述トリックはかなりの大技で、これで全体の辻褄が合うか心配になるほどだったが、読み返してみるとかなりトリッキーではあるものの、確かに辻褄は合っている。犯人は10年前からツイッターアカウントを捏造していたのか、どうやって泰介の自宅にあるものにアクセスしたのか、などのミステリーにも(ちょっと苦しいところはあるけれども)ちゃんと説明がつく。伏線もちゃんと張ってある。なるほど、この作家さんはこういうタイプなんだなと納得がいった。

ただし難を言えば真犯人がとってつけたようで、存在感が薄い。動機にも説得力がない。だから真相が分かった時にずしんと来るようなものはない。叙述トリックを優先させ、それに合わせて犯人を設定したからだろう。

ラスト、泰介の無実が公になってからまたSNSでは「泰介を犯人扱いした奴ら」叩きが始まり、警察内では泰介を犯人扱いした刑事が若い刑事(彼は泰介犯人説に反対していた)に「しかたがなかったんだ、俺たちは悪くない」と笑いながら言い聞かせる。本書のSNS批判の根っこにはこの「自分は悪くない」マインドが蔓延する社会への批判があって、これが真のテーマとして呈示される。

確かにその通りだが、魔女狩りも誹謗中傷もすべて「自分は悪くない」マインドに収斂させるのはちょっと無理があるようだ。「自分は悪くない」マインドとは大雑把に言うと自己正当化、責任転嫁だろうが、他者への非寛容や他人を裁くことの快感にはそれだけじゃなくてまた別のファクターも絡んでくるはずだ。そのあたりのテーマ性、メッセージ性はさほど強くなく、深く掘り下げられることもなかった。

とはいえ、読んでいる間読者をハラハラドキドキさせる軽いエンタメとしてのリーダビリティは十分だ。叙述トリックや伏線回収などの仕掛けが得意な作家さんのようなので、今後は本書で見られた不自然さを解消し、更に巧緻なミステリを書いてくれることを期待したい。