残月記

『残月記』 小田雅久仁   ☆☆☆

知らない作家さんだったが、Amazonの作品紹介とカスタマーレビューで絶賛されていたので読んでみた。絶賛とはつまり「なんと豊かな物語性」「打ちのめされた」「絶句という言葉でも追いつけない読書体験」「もう以前と同じように月を見上げることはできない」「これから千年輝き続ける現代小説の最高峰」などで、月がモチーフという点にも惹かれた。幻想文学好きの私にとって「月」はツボである。古雅な響きのタイトルと「月がモチーフ」から、勝手に中島敦皆川博子、または泉鏡花あたりの流れを汲むような作品を想像し、手にとったのである。

で、すでに読まれた方はご存知の通り、本書は全然そういう系統ではない。SFであり、異世界ファンタジーである。もちろん、これは勝手に好みのジャンルを期待した私が悪いのであって、著者の責任ではない。もっと事前に調べれば良かったのだ。が、おそらくこんな系統だと知ってたら私は手を出さなかっただろう。いや、もちろんこれは評者の責任でもないのであって、それは重々分かっている。が、「これから千年輝き続ける現代小説の最高峰」はさすがにオーバーじゃないだろうか?

三篇収録されているので、それぞれについてざっと触れてみる。「そして月がふりかえる」は現代のごくありふれた光景、家族四人がファミレスで食事する場面から始まって、父親にして夫である主人公がトイレから席に戻ると、なぜかレストラン内の全員が凍り付いたように止まって月を眺めている。月はゆっくり回転して裏側を見せる。と、全員がまた動き始めるが、家族は主人公のことをまったく覚えていない。「どなたですか?」などと言われる。そしてどことなく自分に似た男がやってきて、自分の席に座る。家族はその男を父親として、夫として扱う。一体何がどうなっている?

という始まりで、それから主人公はこの世界で自分の恋人らしい女の部屋に行き、それから元の自分の家に行き、忍び込んで妻とその「夫」の様子を窃視する、という風に進んでいく。自分の立場を他人に乗っ取られるというのは幻想小説や不条理譚ではそれほど珍しくないアイデアだが、本篇の特徴は寓話風でもユーモラスにでもなく、あくまでリアルに、緻密なディテールとともに書き込まれることと、全体の悪夢的なムードである。文体やトーンは基本エンタメのそれだけれども、純文学風の凝ったレトリックや比喩の多用、そして耽美性を感じさせる情緒たっぷりの語り口だ。簡潔ではなく、饒舌で熱っぽい文章である。

こんな文章でこの物語を書いてたら大長編になるんじゃないかと心配しながら読んでいると、驚いたことに物語が起承転結の承ぐらいでブツっと終わってしまう。流れ的には、長編小説の第一章が終わったぐらいの感じである。これは間違いなく後で他の二篇とつながるだろうと思ったが、なんと最後まで読んでもそうならない。びっくりした。

面白いっちゃ面白いが、全体で何がどうなってるのか分からない。今目の前で起きていることが面白きゃそれでいいじゃないかということなのか。気を取り直して次の「月景石」を読むと、これも現代社会で生きる女性の物語がリアリズムで始まり、ある時点で突然異世界にスリップする。月景石という石を持って眠ると異世界で目覚めるのだが、そこではヒロインは現代日本ではない、まったくのファンタジー異世界で別の名前を持ち、別の人生を生きている。日本での生活の記憶はうっすら残っているがはっきりとは思い出せない。そこでの人々の言動はまさに異世界ファンタジーのそれで、ヒロインは下層階級の一人として辛い人生を送っているらしい。この世界と現代日本の間をヒロインは何度か行ったり来たりするが、やっぱりこれも何がどうなっているのか分からない。

そして三篇目が表題作の「残月記」。これはSF的なストーリーで、全体主義独裁国家となった未来の日本が舞台。主人公の冬芽は致命的な感染症「月昂(げっこう)」にかかって長く生きられない体だが、警察に逮捕された後、素質を見込まれて剣闘士になる。剣闘士たちは皆「月昂者」で、独裁者の娯楽のために闘技場で戦わねばならない。冬芽は次々と試合を勝ち抜いてスター剣闘士になっていく。やがて彼はやはり「月昂者」である女と出会い、愛し合うようになる。二人は義務として課せられている労働をすべて終わらせた後は、一緒に静かに暮らしていきたいと願うが、そんな時、冬芽のもとへ独裁者暗殺のクーデター計画がもたらされる...。

冒頭部分のナレーションで冬芽が彫り物師と紹介されるので芸術家の物語かと思っていたら、剣闘士の話になって競技場でバトルを繰り広げる。しかし後半冬芽は彫り物師になっていくので、まあそういう話でもある。そんな紆余曲折からも分かるように、これはかなり波乱万丈の大河ドラマである。絶賛する人々が口々にあげる「豊かな物語性」とはこのことだろう。

辛い境遇で育ち、不治の病にかかっている主人公、同じく感染者である女との出会い、そして哀しい愛。とても壮大でドラマティックな物語で、特に後半、冬芽が森の中に入って彫り物師となり伝説化していくあたりは手塚治虫の『火の鳥』(洞窟に入って無数の仏像を彫る男のエピソード)を想起させる。数奇な運命と荘厳な悲劇性に彩られたストーリーにどこか共通するものを感じるのだが、ファンタジー世界での剣闘士バトルには最近のアニメっぽいテイストも入っている。

三篇読み終えて思ったのは、結局あまり「月」は関係なかったなという事だった。月の裏側が見えたり月景石が出てきたり、「月昂者」が満月になると超人的体力を得るという狼男みたいな設定だったりするが、ストーリーそのものに月はあまり関わってこない。あくまで装飾である。

それから「残月記」を除いては前述の通り断片的で、物語の全体像がよく見えない。言ってみれば読者の目の前にひたすら異様な光景を並べていく小説で、妄想や白昼夢を膨らませたような感触がある。加えて、もっと長い物語の一部分だけを抜粋したような印象を与える。そんなストーリーが主観的、情緒的、思い入れたっぷりの熱い文体で書き綴られていく。それが本書である。

ちなみに私は、作中世界の設定や法則がよく分からないし説明もない、という点で新海誠監督『君の名は』を思い出した。あれもなんで二人が時を越えてつながったのかまるで説明がない映画だったが、この著者ももしかするとそういう流れを汲んでいるのか。そしてこういう傾向はこれからだんだんと主流になっているのだろうか。

一つ一つの場面がスリリングならリーダビリティは確保されるかも知れないが、真の感動はコンテキストの中から立ち上がってくると考える私みたいな読者には、少々戸惑いがあるのも事実だ。まあ一冊読んだだけではなんとも言えないので、この作家さんの今後の展開に注目したいと思う。