俺ではない炎上

『俺ではない炎上』 浅倉秋成   ☆☆☆★

最近SNSを題材にした映画や小説が多いが、これもその一つ。なんだか不思議なタイトルだが、要するに何の心当たりもないのにいきなり殺人事件の犯人と名指しされ、SNSで大炎上した男が「え、なんで!?」とパニクる小説である。軽く、スラスラと読める。

世間を騒がせる有名な事件についてSNS魔女狩りが始まる、というのは映画『白ゆき姫殺人事件』でもやっていたが、若いOLがターゲットになるあちらと違ってこちらは企業の部長職にある妻子持ちの50代のおじさんである。主人公にしては華がないが、ネットに弱いとか自分では部下に人望があると思っているとか、そういうおじさん要素もストーリーの中で活きて来る仕掛けになっている。

さて、このおじさん山縣泰介がある日突然殺人事件の犯人と名指しされ、自分じゃないと言っても周囲の誰からも信用されず、とうとう家族を実家に帰して自分一人必死に逃亡する羽目になるわけだが、警察までが彼を犯人と断定するのは数々の非常に有力な状況証拠ゆえである。たとえば、犯人が死体画像を最初にアップしたツイッターアカウントは彼の名前で10年前に開設され、趣味のゴルフのことなど時々呟かれていたアカウントで、ゴルフ関連の画像には彼の持ち物が映っているし、アカウントへのアクセスは確かに彼のデバイスからなされている。もちろん泰介はツイッターなどやっていないのだが、では誰かが10年も前から彼になりすましていたのだろうか? 彼の持ち物からアクセスされているログはどうなのか?

というわけで、ネット民だけでなく警察も彼を犯人と断定する。彼が犯人ではないと知っている読者にとっては、一体なぜこんなありえない状況証拠が出て来るのか、誰かの罠だとした場合どうやってこんな非現実的な罠を仕掛けることができるのか、が最大のミステリーとなっていく。

そういう意味では、人々の無責任な噂や嘘が積み重なって魔女狩りが起きる『白ゆき姫殺人事件』とは違って、こちらは明らかに誰かの意志で生み出された罠、捏造であり、その結果として起きる冤罪である。従って確かに無責任に騒ぎ立て、断定し、山縣泰介とその家族を誹謗中傷するネット民はひどいものの、彼らはあくまで外野だ。最大の関心は誰が真犯人で、どうやって泰介を罠にかけたか、である。

最初は濡れ衣なんてすぐ晴れる(だって俺は何も悪いことはしてないから)と楽観していた泰介は、あまりの状況の悪さについに逃走を開始する。ここからは寒さや飢えや絶望との戦いも始まり、サバイバル小説の様相を呈してくる。前半はそのスリル、絶望感、不条理感で一気に読ませる。物語は色んな人物、たとえば泰介、刑事、事件を拡散したSNSユーザー、泰介の娘、などの視点が切り替わりながら進むので、警察はこう考えて動きその間泰介はこう動いた、などがよく分かる。定石だけれども効果的で、サスペンスはいやが上にも高まっていく。リーダビリティは十分だ。

おまけに、絶対に自分を慕ってくれているはずと信じる後輩の家に行くと「出て行って下さい」と冷たく言われるなど、泰介の自尊心はズタズタ。これまで積み重ねてきたはずのものや自己イメージもガラガラと崩壊していく。一度は「真犯人を見つけてやる」などと意気込んでいた彼も、やがて絶望と疲労で心が折れ、もうどうでもいいから死にたいと思うようになる。いやまったく、こんな状況になったらたまらんなあと思いつつ読み進めるしかない。

ここまでは起承転結でいう「起承」だが、やがて「転」が訪れる。ついに、泰介の無実を信じてくれる人が出現するのである。もともとその人物を泰介がひどく嫌っていて批判していたという前振りがあるため、この予想外の場面はかなり鮮やかなインパクトを残す。この人物が泰介を信じる理由もちゃんと伏線が張られていて、細かいながらもクレバーだ。こういうくすぐりや伏線回収がなかなか巧い。ここから物語のトーンが変わって、物語は徐々に真相解明の方向へと動き出す。

と同時に、このちょっと前から登場する「包丁を持って泰介を追う女」が殺し屋なんじゃないかとか、被害者は風俗嬢で裏に暴力団がいるんじゃないかとか情報や錯綜し始め、事態は混迷の色を深めると同時に、だんだん荒唐無稽になってくる。泰介が受け取っていた怪文書なども絡んで、読者はかなり混乱すると思う。アマゾンのカスタマーレビューで、前半はストレートで面白かったが後半ごちゃごちゃしてつまらなくなったみたいなコメントが散見されるが、この事だろう。私も大体似たような感想だが、ただし後半も一定のリーダビリティは維持できていると思う。

そしてラストで大がかりな叙述トリックが炸裂し、意外な結末を迎える。叙述トリックはかなりの大技で、これで全体の辻褄が合うか心配になるほどだったが、読み返してみるとかなりトリッキーではあるものの、確かに辻褄は合っている。犯人は10年前からツイッターアカウントを捏造していたのか、どうやって泰介の自宅にあるものにアクセスしたのか、などのミステリーにも(ちょっと苦しいところはあるけれども)ちゃんと説明がつく。伏線もちゃんと張ってある。なるほど、この作家さんはこういうタイプなんだなと納得がいった。

ただし難を言えば真犯人がとってつけたようで、存在感が薄い。動機にも説得力がない。だから真相が分かった時にずしんと来るようなものはない。叙述トリックを優先させ、それに合わせて犯人を設定したからだろう。

ラスト、泰介の無実が公になってからまたSNSでは「泰介を犯人扱いした奴ら」叩きが始まり、警察内では泰介を犯人扱いした刑事が若い刑事(彼は泰介犯人説に反対していた)に「しかたがなかったんだ、俺たちは悪くない」と笑いながら言い聞かせる。本書のSNS批判の根っこにはこの「自分は悪くない」マインドが蔓延する社会への批判があって、これが真のテーマとして呈示される。

確かにその通りだが、魔女狩りも誹謗中傷もすべて「自分は悪くない」マインドに収斂させるのはちょっと無理があるようだ。「自分は悪くない」マインドとは大雑把に言うと自己正当化、責任転嫁だろうが、他者への非寛容や他人を裁くことの快感にはそれだけじゃなくてまた別のファクターも絡んでくるはずだ。そのあたりのテーマ性、メッセージ性はさほど強くなく、深く掘り下げられることもなかった。

とはいえ、読んでいる間読者をハラハラドキドキさせる軽いエンタメとしてのリーダビリティは十分だ。叙述トリックや伏線回収などの仕掛けが得意な作家さんのようなので、今後は本書で見られた不自然さを解消し、更に巧緻なミステリを書いてくれることを期待したい。