マルサの女2

マルサの女2』 伊丹十三監督   ☆☆☆☆

久しぶりに手持ちのDVDを引っ張り出して鑑賞。前作『マルサの女』は脱税者と国税局査察部の戦いというこれまでにない題材、徹底したリサーチにもとづく圧倒的情報量と蘊蓄、そして達者な演技陣による芝居の妙味で冴えたエンタメの傑作となり、伊丹監督の才覚とユニークな作劇術を広く世に知らしめた。私もこの映画には大いに感嘆したクチで、最高に痛快なエンタメでありながら知的な愉しみに溢れた大人っぷりが何より嬉しかった。

さて、その続編ということで本作にも大いに期待したし、また映画館で最初に観た時にはその毒気と重厚感に圧倒されたものだが、その後繰り返しDVDで観た現在の感想を言えば、やっぱり一作目の方が出来がいいということだ。確かに毒気や重厚感、更には観客への挑発度はこっちの方が上だと思うし、それを理由にこちらの方が傑作と評する人がいるのも知っているが、私としては総合点で前作の方が勝っていると考える。全体のバランス、と言ってもいい。この『2』では題材の過激さはアップしたものの、その分えげつなさが増し、一作目にあった洒脱さと適度な軽みが失われている。

そしてその洒脱さと軽みは、大人のエンタメたる伊丹十三作品においては毒気や重厚さよりもさらに重要な、欠くべからざる要素だ、というのが私の意見だ。『2』にも伊丹監督らしいウィットがところどころに見られるが、やはり一作目に比べるとぐっと少なく、弱い。たとえば終盤、鬼沢が板倉の取り調べを受ける前に窓際で同じポーズを取ってしまうところなんかがその一例で、ついニヤッとしてしまうが、この映画においては全体の陰惨な雰囲気と不釣り合いなのである。つまり陰惨さと毒気が突出した結果、一作目で見せていた重厚さと軽みの美しいバランスが崩れ、観終わった後に胸やけがするような消化不良の印象を残す。

とはいえ、主演の三國連太郎の迫力は素晴らしい。というか、この人が発散する精気と圧迫感はただ事ではない。私はこの映画で三國連太郎の凄さを思い知らされたが、特に取調室で「日本がどうなってもいいのか!」と津川雅彦と大地康夫に迫るシーンは圧巻の一言だ。「私の不徳のいたすところです」なんてしおらしい態度から豹変するのもびっくりするが、あの何かに取り憑かれたような目がおそろしい。鬼沢は冷酷で悪辣かと思えば、夜な夜な断崖絶壁を支えている悪夢にうなされるみたいな繊細さ、悲愴さも持ち合わせた複雑なキャラクターで、三國連太郎はそんな鬼沢を完璧に演じきっている。

伊丹監督にしてみれば、一作目の山崎努が素晴らしかったので続編には三國連太郎クラスの俳優をもってこなければつとまらなかった、という事情もあるだろう。いずれにせよ、三國連太郎の起用がこの映画のクオリティを決定づける最重要ポイントであることは間違いない。

さて、映画の前半は鬼沢メインで進み、地上げの手口や手法をじっくり見せる。そして途中でマルサメインに切り替わる。地上げの手口とはすなわち、暴力団を使った抵抗住民への懐柔または脅迫である。ヤクザが乗り込んでマンションの環境を悪化させ、カメラマンに反撃されるといったん折れたふりをして金の受け渡しを盗撮、それをネタに脅迫する。クセ者の大学教授にはツツモタセで対抗し、頑固な商店主にはホラー映画のメイク技術で作成した手首を見せて脅す。いやとんでもないやり口だ。あんなことやられたら一般市民には到底対抗できない。

で、結果的に暴力団地上げ屋に億の金が入る。また、鬼沢は地上げ屋の隠れ蓑として宗教法人を使っているが、その宗教法人の内部の様子も出て来る。ここでマルサの板倉(宮本信子)その他が登場し、鬼沢の宗教法人に税務署と査察部が注目していることも描写されるが、なかなか尻尾を掴むことができない。

そして後半、マルサメインに切り替わってからは前作のメンバーが再登場。上司は津川雅彦、同僚は大地康夫と桜金造ニューフェイスとして板倉の下につくのが東大出の益岡徹。課長は前回の小林桂樹から変わって、丹波哲郎。一気にGメン色が濃くなった。

板倉が鬼沢の「天の道教団」を訪問し、教祖の毛皮のコートをとっかかりに斬り込むシーンは痛快だが、信者たちに追い出されてしまうのは残念だ。その後マルサチームはソープランドに入ったり変装して「天の道教団」に潜入したりと辛抱強く調査を続け、ようやくガサ入れとなる。ところが鬼沢はガサ入れ後もなかなか手ごわく、決め手になるブツが出ない。焦るマルサチーム。この過程での鬼沢の取り調べシーンは、前述した通り強烈だ。

やがて鬼沢の秘密のノートから突破口が開け、数人のヤクザがトカゲの尻尾きりで死体となり、最後に鬼沢もトカゲの尻尾だったことが分かって陥落する。没収された秘密のノートはあのまま放っておけば気づかれなかったんじゃないかと思うが、手下のヤクザ(きたろう)が侵入して取り返そうとした結果、かえってマルサの注意を引いてしまう。それにしても、最近じゃユーモラスな役柄が多いきたろうが完全に目つきの悪いヤクザで出て来るのが面白い。まだ若いし、まるで別人だ。

そしてラストは、鬼沢の上にいた政治家達には手が届かないくやしさを滲ませて終わる。社会問題告発型の映画としてはこれで構わないが、エンタメとしては消化不良とも言える。また、鬼沢が隠していた金ぴかの墓の前で哄笑する演出もどうもこけおどし的で、個人的にはあんまり好きではない。前作の、板倉と権藤が夕焼け空の下で語り合う抒情的な結末とは、だいぶ趣きが異なる。

まあそんなこんなで私は前作の方に軍配を上げるわけだが、もうひとつ不満を言わせていただくと、この映画では暴力団が目立ち過ぎである。前作では、例えば会社をわざと倒産させたり友達に貸したことにしたり宝くじの当たり券を買ったりと、(暴力団も出てきたがそれ以外にも)面白い脱税の手練手管を見せたのに対し、今回は暴力団の恫喝や恐喝ばかりだ。これもまた本作の陰惨さの原因の一つで、まるで後の『ミンボーの女』の予告のようである。

それもまた、この時点での伊丹監督の興味のありかを示していてフィルモグラフィー的には興味深いかも知れないが、私としては前作に引き続き、もっとウィットに富んだマルサの活躍と人間ドラマを描いて欲しかった、と思うのである。