雲をつかむ死

『雲をつかむ死』 アガサ・クリスティー   ☆☆☆★

中期のポアロものを再読。この『雲をつかむ死』は有名な『三幕の殺人』『ABC殺人』と同時期の作品で、つまりクリスティーの脂の乗り切った時期に書かれた作品である。が、そのわりにはあまりメジャーでもないし、それほど高くも評価されていないようだ。確かに、本書には『オリエント急行』や『アクロイド殺し』みたいにトリック面や犯人の意外性の面であっと驚く仕掛けはない。が、クリスティーの名だたる傑作群の中にはトリックや犯人像だけ見るとどうってことないものもある(たとえば『葬儀を終えて』や『五匹の子豚』など)のであって、やはり個人的には、本書の問題点は殺人の舞台が飛行機という点にあると思う。

やはりクリスティーの古き良きロマネスクな世界観には船旅、あるいは列車の旅がフィットするのであって、飛行機じゃミスマッチだ。人間ドラマの舞台としては狭すぎるし、スピード感があり過ぎて旅情にも欠ける。スパイものや現代的な警察ミステリには合うかも知れないが、牧歌的なクリスティーには似合わない。飛行機に乗ってシートベルトをしめているポアロなんて誰が見たいだろうか。雰囲気って大事である。本書が凡作になってしまった最大の理由はそれだと思う。

とはいえ、本書は決して駄作ではない。雰囲気はさておいて、ミステリとストーリーテリング面に注目すると地味ながらかなり良い出来だと思う。その理由を説明する前にまずこれがどんな事件か簡単に要約しておくと、飛行機の中で高利貸しの女性が殺される。席に座ったまま気づいたら死んでいた、という公衆の面前で行われた殺人なのだが、目立った特徴はその凶器である。アフリカかどこかの部族が使っているらしい毒を塗った吹き矢が発見されるのだ。おまけに、その直前に機内で危険な蜂が見つかり、乗客の一人に殺されている。死体は最初蜂の毒で死んだかと思われたが、その後毒を塗った吹き矢が見つかる。蜂と毒矢に関係はあるのか、犯人は本当に吹き矢で殺したのか、そもそも飛行機内で誰にも見られずにそんなことが可能か。

というような事件だ。地味に不可能興味が横溢している。さて、私が本書を評価するポイントとしてはまず第一に、他のクリスティーの傑作と同じようにロマンスとミステリの融合がうまい。これは最初から若い女性ジェーン・グレイを登場させ、彼女の周囲に何人かの恋人候補を配置していることからも分かるし、またそれが例によって巧みなミスディレクションとしても機能している。

そしてもう一つ。私が非常に感心したのは、ポアロが乗客たちの持ち物リストを見てただちに犯人の目ぼしをつけてしまうところだ。ポアロは早くから乗客の持ち物リストに関心を示すが、警察が入手した持ち物リストを一通り見た途端に捜査の方向性は分かったと発言する。刑事は半信半疑で、「まさかこれで犯人が分かったなんて言うんじゃないでしょうね?」と問いかけるが、ポアロは「事件の性格からあるものが見つかるだろうと予想し、そして見つかりました」と言うのみだ。持ち物リストは全部記載されているので私も目を皿のようにして眺めたが、当然ながら何も分からない。

そして最後の謎解きにおいて、ポアロはそれが何だったのかを説明する。それはまったくロジカルかつリーズナブルな推理で、なるほど、これに気づかなったおれはアホだったなと心から納得できる。ポアロはエラリイ・クイーンなどと違って直観的に推理することが多いので、このロジックの明晰さと納得性はひときわ印象的だった。しかも本作においてはこの推理がほとんど真犯人に直結しているのである。この部分を読んで、私はあの論理的推理の大傑作『Xの悲劇』を思い出した。

その後、殺された高利貸しの女性が色んな上流階級の人々の弱みを握って恐喝していたことが分かり、飛行機の乗客達もそれぞれ色んな事情を抱えていることが判明する。いつものルーチンである。皆が隠し事をしているので、ポアロが一芝居打って秘密を聞き出したりする。そんなこんなで大団円に向かい、ポアロが関係者の前で謎解きをするシーンがやってくる。この謎解き場面はもちろん、ポアロがあれこれ話しながら徐々に犯人を絞り込んでいく見せ場だが、さすが脂の乗り切った時期の作品だけあって緊迫感がある。穏やかなポアロの話しぶりが急に鋭さを増すところはいつ読んでもワクワクする。

ただ、この事件には「狭い機内でどうやって人に見られずに犯行が可能だったか?」という不可能興味もあったのだが、その部分のトリックはつまらなかった。どうもやっつけ気味のアイデアで、現実的でもない。やはり本書の謎解き部分の美点は、前述した持ち物リストからの推理に尽きるようだ。

全般に手堅い佳作という印象で、一通りクリスティーの有名どころを読み終えた人がその次ぐらいに読む作品じゃないかと思う。