地球の中心までトンネルを掘る

『地球の中心までトンネルを掘る』 ケヴィン・ウィルソン   ☆☆☆★

今まだ40代ぐらいの、現役バリバリのアメリカ人作家の短篇集。いわゆるアンリアリズム系の奇想作家で、本書には祖母の代理業の話「替え玉」、自然発火で人間が燃えてしまう「発火点」、若い男女が地面にひたすらトンネルを掘り続ける「地球の中心までトンネルを掘る」などが収録されている。

アンリアリズム系と一口に言っても色々なタイプがあるけれども、この人はたとえばエトガル・ケレットみたいに文体やイメージの瞬発力で読ませるタイプではなく、昔から小説の王道であるところの人物描写とストーリー展開で読ませるトラディショナルなスタイルである。だから文体は現代小説らしくポップだけれども、ロジック無視で八方破れな展開をすることはなく、基本的に初期設定があり、キャラ描写があり、それらを踏まえた因果関係がある。だからこの手の作品にしては一篇一篇が比較的長い。一筆書きみたいな散文詩的テキストではなく、ちゃんと物語になっている。

たとえば、冒頭の「替え玉」の主人公は祖母代理業に登録して、色んな家庭向けに「祖母」代行をしているおばあちゃんである。つまりこの社会では子供たちのメンタルを守るため、急死した、あるいは不治の病にかかった本物の祖母の代わりに「代理祖母」を派遣するビジネスが普及していて、祖母が死ぬ時は子供にショックを与えないよう慎重なシナリオのもとで「別れ」が演出されたりする、という設定だ。が、あるクライアントの家庭ではまだ本物の祖母が元気なのに祖母代理を依頼してくる。主人公は釈然としないまま祖母を演じるが、やがて本物の祖母に代理の「孫」まであてがっている事実を知り、彼女は更なる葛藤に投げ込まれる。

この作品における「祖母代理業」という奇想は明白にサタイアの装置であって、メンタルのケアという名目で偽物の家族を推奨する社会を痛烈に皮肉っているわけだが、それゆえにこの短篇には洒落や冗談の軽やかさより、社会に向けて問題提起する真摯な姿勢が感じられる。真面目なのである。主人公のおばあちゃんがクライアントのやり方に疑問を感じる感性もまともだし、だんだん真実が明らかになってくる展開も丁寧だ。読者の関心を惹きつけ、先の展開を期待させるというトラディショナルな小説作法に則っている。

「あれやこれや博物館」は、珍しいものではなく逆にありふれたものを集めた博物館というアイデアだが、だからといってこの博物館のディテールをマニアックに掘り下げていくミルハウザーみたいな方向には行かない。ヒロインと彼女の上司である「ドクター」の恋愛が主たるプロットになる。やはりオブジェや観念ではなく、人間ドラマが主軸になるのである。

そういう作家なので、アンリアリスティックなアイデアがない(もしくはほとんど目立たない)短篇もいくつかある。自分の周囲に違和感を感じているチアリーダーが年下の少年と愛し合うようになる「ゴー・ファイト・ウィン」、オタクの親友同士がゲイ関係に陥りそうになる「モータルコンバット」、不倫する教師の悲喜劇をその友人の視点から描く「女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)」などがそうだ。

その他、「弾丸マクシミリアン」は拳銃で撃たれても死なない弾丸マクシミリアンという見世物の話で、これはアイデア一発の完全なブラック・ジョーク。「ワースト・シナリオ・ケース株式会社」はまたしても奇妙な職業が題材で、起こり得る最悪のケースを予想するコンサルタントが主人公。やっぱりこれも奇妙な職業のディテールや仕事ぶりを紹介するのではなく、主人公の人間関係と心情がメインになる。彼はつきあっている彼女と結婚したいがつれなくされ、逆に顧客の女性とは妙な関係になって心配性の女性を慰めたりする。彼女は自分の赤ん坊の将来が不安で、主人公に相談してくるのである。この赤ん坊に対する主人公の憐憫でもってラストが締めくくられる。

要するに、この人の短篇はまず最初に極端で非現実的な設定をポンと出し、あとはその中で右往左往する人間達の思いや葛藤を生々しく、ある程度ロジカルに描いていくものが多い。極端で非現実的な設定はサタイアの装置として機能する。つまり奇想はスパイスもしくはテーマを掘り下げる道具であって、あくまで物語の中心はその状況の中にいる人物の葛藤である。

ただ表題作「地球の中心までトンネルを掘る」は、三人の若い男女が急に憑かれたように裏庭に穴を掘り始める話だが、これはあまりサタイア色を感じさせない、どちらかというと不条理な寓話のようだ。

語り口は才人らしく、洒落ていてウィットに富んでいる。軽妙な文体で読者をケムに巻きつつ突飛なアイデアと人間ドラマを混ぜ合わせていくのだが、その手法はたとえば「女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)」などで分かりやすく見ることができる。歯の生えた赤ん坊というアイデアで読者を惹きつけながら、題材としてはそれほどユニークでもない教師の不倫愛の顛末をトラジコミカルに描いていく。この二つの間に直接的な関係はないが、組み合わせることで面白い効果を上げている。

が、この凝り方がかえってくどいと思わせる場合もあって、その典型例が「今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き」だろう。この短篇全体が辞書の体裁になっているのだ。好みの問題になってくるけれども、私はちょっとやり過ぎなんじゃないかと思った。

というわけで、最後に私のフェイバリットを書いておくと「替え玉」「地球の中心までトンネルを掘る」「女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)」の三つということになる。