福家警部補の挨拶

『福家警部補の挨拶』 大倉崇裕   ☆☆☆★

福家警部補シリーズの第一弾短篇集を再読。このシリーズ、私は最初に第三短篇集の『福家警部補の報告』を読み、遡って第一短篇集の本書を読み、次に第二短篇集の『福家警部補の再訪』を読んだ。次々とそこまで読んだのはもちろん、結構面白かったからだ。他に『追求』『考察』と第五短篇集まで出ているようだが、まだ文庫になっていないので読んでいない。それはもちろん、ハードカバーを買って読もうとまでは思わないからである。つまり、私にとっては大体それぐらいの面白さだということだ。

作者はかつて刑事コロンボのノヴェライズをやっていた人で、この福家警部補シリーズは刑事コロンボと同じ倒叙スタイルのミステリである。倒叙スタイルというだけでなく、毎回高いステータスを持った犯人が登場する、福家警部補がちょっと話しただけで犯人の目ぼしをつけてしまう、犯人との会話で細かい矛盾を突っ込んでいく、初対面の人からは刑事とは思われない、凄腕だが間抜けなところがある、などほとんどコロンボのバリエーションといっていい内容だ。もちろん、古畑任三郎にもよく似ている。

本書は最初の短篇集なので、主人公である福家警部補のキャラが徐々に固まっていく過程を見ることができる。といっても第三短篇集とほとんど変わりはなく、小柄な眼鏡女子でいつも交通課の婦警さんと間違われ、たびたび身分証を忘れ、現場に入れてもらえず、しかし徹夜も酒も平気という常人離れした体力の持ち主、などの基本設定は最初から出来上がっている。第三短篇集の頃はもうちょっとコミカルな味付けがされている程度だ。

本書には「最後の一冊」「オッカムの剃刀」「愛情のシナリオ」「月の雫」と四篇収録されている。日本的なヤクザ相手の事件が一番ボリュームが多くて全体の印象を決定づけていた第三短篇集と比べると、より本家のコロンボに近い、知的でアカデミックな雰囲気が漂っている。それぞれ図書館の女性館長、科学捜査研究所主任だった復顔術の名人、女優、酒造会社社長が福家警部補と対決する犯人として登場する。特に第一話の図書館の女性館長が犯人というのはコロンボにもあったし、とてもコロンボ的なムード漂うエピソードだ。一方で第四話の酒造会社社長というのは、コロンボより古畑任三郎の雰囲気かも知れない。

そしてデビュー作品集らしく、とても気合が入っている。特に最初の二篇、「最後の一冊」と「オッカムの剃刀」は細かいところまで非常に凝っていて、福家警部補の突っ込みポイントや犯人とのやりとりが緻密に組み立てられている。たとえば深夜の図書館で事件が起きる「最後の一冊」では雨が降っていて空調が故障している、というのが犯人の計画に思わぬ影響を及ぼす重要なファクターになっているし、「オッカムの剃刀」ではスモーカーである被害者の遺留品として出て来る赤いライターと黒いライターがトリッキーな役割を果たす。一見些細なこうした手がかりから福家警部補が組み立てるロジックはきわめて精緻で、それらをもってどう犯人を追い詰めていくかはまったく倒叙ミステリの醍醐味としかいいようがない。コロンボ・ファンのツボを突きまくってくれる。

という倒叙ミステリとしての出来の良さに加え、さまざまなところに本家本元であるコロンボへの目配せが忍ばせてあって、これがまたファン心理をくすぐる仕掛けになっている。現場に来た時に刑事だと思われないことなどもそうだが、もっと微妙な奴では「因果な商売ね」と犯人から言われたりする(「因果な商売」はコロンボの口癖)。

ストーリーや個々のシーンにも明らかなオマージュがあり、たとえば「オッカムの剃刀」のラストの「今の行為を目撃しましたね」は間違いなく「逆転の構図」である。犯人にトラップを仕掛けてある行動を取らせ、それを見ていた周囲の人間に確認するセリフだが、作者は福家警部補にコロンボとまったく同じセリフを言わせている。それから「最後の一冊」の犯人側のシチュエーションと動機は「別れのワイン」そっくりだ。第一作品集ということで、コロンボへのオマージュぶりはその後の作品集より顕著と言えるかも知れない。

「最後の一冊」「オッカムの剃刀」に盛り込まれたアイデア量と緻密さはハンパないが、三つ目の「愛情のシナリオ」はいささかあっさり目だ。最後は、それまで隠されていた(つまり読者にも知らされていなかった)証拠が出て来て詰むパターン。悪くはないが、この短篇集の中では物足りなく感じた。四つ目の「月の雫」は酒造会社で起きる事件だが、この解決もまた明らかなコロンボへのオマージュで、「祝砲の挽歌」を意識している。犯人がこの扉を開けた時間帯はここしかない、あることを目撃できた時間帯はここしかない、というロジックでギリギリと追い詰めていく。「祝砲の挽歌」もそうだったが、このパターンは最後の詰めシーンが異様にスリリングだ。

そういう意味では、本書はやはり偉大なる原型であるコロンボにかなりの部分を負っている。その代わりと言ってはなんだが、おそらく手掛かりの細かさはコロンボよりこっちの方が上だ。前述の通り「最後の一冊」「オッカムの剃刀」で展開されるロジックの緻密さは素晴らしい。一方で、以前『福家警部補の報告』のレビューでも書いたが、犯人の心理描写はコロンボの方が上だ。特にコロンボのノヴェライズ本はその点実に読みごたえがあった。本書では福家警部補のキャラクターがアニメ的というか妙にアンドロイド的なこともあり、そのあたりあっさり目で淡泊な印象である。もちろん犯人は福家警部補を侮ったり焦ったりするが、パターン化していて、そこに引き込まれるほどではない。まあ短篇なのでしかたがないかも知れない。

そういうわけで、昔コロンボのノヴェライズのファンでしたという私みたいな人は物足りなさを感じるかも知れないが、そんな人はごく少数だろうし、細かい手がかりに注目して犯人と刑事が丁々発止する倒叙ミステリの愉しみは十分に味わえる。文庫が出たら、第四第五短篇集も入手しようと思っています。