茗荷谷の猫

茗荷谷の猫』 木内昇   ☆☆☆☆

所有する文庫本で再読。アマゾンの紹介文には「幕末から昭和にかけ、各々の生を燃焼させた名もなき人々の痕跡を掬う名篇9作」とある。要するに市井の人々の人生の断片を描く連作短篇集なのだが、各短篇の味わいはそれぞれ似ているようで微妙に違い、その共鳴のしかたも奥が深く、なかなか玄妙な短篇集だと思う。ちなみに「てのひら」はアンソロジー『日本文学100年の名作第10巻 2004-2013 バタフライ和文タイプ事務所』に収録されている折り紙付きの傑作。

まず最初の「染井の桜」は武士を辞め、園芸職人になってソメイヨシノを作った男の話。ソメイヨシノは言うまでもなく桜の品種だが、これが人工的に開発されたということを私は初めて知りました。虚構かなと思ったが、ちょっと検索してみるとどうやら本当のことらしい。ただしもちろん、この短篇そのものは創作である。主人公は欲のない清廉な人物だが、もともと武家の生まれで気位が高く、町人の身分に落ちたことを我慢できない妻が不幸をかこつようにして死んでいく。その罪悪感が男の上にのしかかる。優美さの中にも苦く、重たいものを呑み込んだような作品だ。

次の「黒焼道話」は黒焼きを商売にしようとしてだんだん崖っぷちに追い詰められていく男の話で、やっぱり人生の辛さが身に沁みる。一発当てようとしてうまくいかない苦しみは、現代の起業家や自営業の方々にも当てはまるのではないだろうか。その次が表題作「茗荷谷の猫」だが、これは画商に褒められたことをきっかけに絵を描くことで生業をたてようとする、半分素人のような女絵描きの話。芸事や、表現というものの深淵を垣間見るような作品だ。タイトルの「猫」とは物置の床下に住み着く猫の親子のことだが、途中から猫とは思えない不気味な存在が床下に棲みつき、ラストで空へと飛翔していく。ちょっとホラー風の不気味さがある。

ここまで読むと、リアルだったり幻想味があったりテイストはさまざまだが、とりあえず色々な職業を題材にした連作ものかなと思うが、読み続けるとどうやらそうでもない。次の「仲之町の大入道」は下宿屋の若い住人が主人公で、大家の頼みで借金取りを請け負って仲之町の大入道に金を催促に行く。が、大入道は払わない。何度も通ううちにこの変わり者の大入道が小説家であることが判明する。夏目漱石に師事してたりする。そして最後に、これが内田百閒だったことが分かる。内田百閒という作家を第三者の目を通して描いた短篇で、どこかしら悲愴感が漂っていたこれまでの作品と違ってユーモラスな味がある。内田百閒ファンには嬉しい作品であることは言うまでもない。

次の「隠れる」になると、これはもうはっきりとコメディだ。遺産を貰って食うに困らなくなった男が、仕事もせず世間と交渉を絶って、ひたすらずぼらに生きて行こうとする話だが、なぜか周囲が彼をほっとかない。煩わしくて、わざと嫌われるような言動を取っても逆効果となり、かえって慕われたりする。特に隣人夫婦とのやりとりがおかしくて、声を出して笑ってしまった。面白いのは、文体はそれまでのシリアスな作品とまったく同じ格調高いスタイルで、決して砕けたりおちゃらけたりしていないこと。そのギャップが余計におかしくて、こういうコメディの書き方もあるんだなと感心してしまった。私はこういうふざけた短篇が大好きなので、この「隠れる」を読んで本書に夢中になったクチだ。

次の「庄助さん」は映画好きの青年が戦争に行く話で、私はなんとなくあの山中貞雄監督を思い出した。が、もちろんこれは山中貞雄を描いた短篇ではなく、ただ無類の映画好きだった庄助という青年の肖像を描いた作品である。「ぽけっとの、深く」は戦後の混乱期を生き抜いていく身寄りのない少年たちの物語、「てのひら」は前述の通り『日本文学100年の名作』に収録されている名品。年老いた母と久しぶりに再会した娘の感慨と残酷な人生の変遷が、胸に突き刺さるようだ。

職業が題材になっているものが多いが必ずしもすべてそうではなく、シリアスなものからコミカルなものまで作品のトーンも変幻自在に変化する。情緒的なものもあれば謎めいたものもあり、リアリズムもあれば幻想もある。確実なのはだんだんと時代が現代に近づいてくることぐらいだ。なかなか全体を貫くテーマを見定めることができない。そして最後の「スペインタイルの家」はエピローグ的な短めの作品で、「ぽけっとの、深く」の少年が成長して再登場する。彼は通り道で見かける憧れの家を眺め、もう一つの人生を夢想する。

基本的にそれぞれの短篇は独立しているが、ところどころで他の短篇の出来事への言及や、他の短篇の登場人物についての噂が出てくる。そういうところは連作短篇集の愉しみでもあり、作中の世界観を広げていく仕掛けでもある。先に書いた通り、複雑玄妙なとても味わい深い短篇集だと思う。私のフェイバリットはユーモラスな「仲之町の大入道」と「隠れる」だが、哀切だったりシリアスだったり、あるいは残酷だったりする他の作品に混じって並んでいるのがいいのである。