伊賀忍法帖

伊賀忍法帖』 山田風太郎   ☆☆☆★

『江戸忍法帖』に続いて『伊賀忍法帖』を再読。これも勧善懲悪色が強く、爽やかな青年が主人公で、一人対多数の対決フォーマットである点が『江戸忍法帖』と似ている。が、エログロ色は強い。というか、要するに忍法帖シリーズの標準仕様である。

ストーリーはまず、欲の深い戦国時代の有力者・松永弾正が主君の奥方に懸想したため、その思いを遂げさせるために妖術師・果心居士が七人の根来忍法僧を貸そうと申し出る。この忍者たちはどんな女も思いのままにできる淫石というものを作れるのだが、そのためにはまず手当たり次第に美女を犯し、その淫水を集めて凝固させるというとんでもない手段に訴える必要があるのだった。

この連中が美女狩りをしているところへたまたま通りかかったのが、主人公である伊賀忍者・笛吹城太郎とその妻の篝火である。篝火の美貌に根来忍者達がいきなり拉致にかかり、こちらも只者ではない笛吹城太郎が応戦して忍者対決となるが、やはり多勢に無勢で城太郎は瀕死の重傷を負い、篝火は連れ去られる。かつ、篝火は体を切断され、弾正の妾と半身を入れ替えて合体されることによって稀代の悪女・漁火となって再生する。一方、城太郎は篝火の弔い合戦のため、たった一人で根来忍法僧たちに戦いを挑むのだった…。

本書はエログロ色が強いとさっき書いたが、冒頭、千利休と柳生新左衛門同席のもと、果心居士と根来忍者たちが背徳きわまる術を弾正に見せる冒頭部分からしていきなり強烈だ。女二人の胴体をそれぞれ二つに切断し、上半身と下半身を入れ替えて接合するというとんでもない胴体接合術も披露される。あまりの凄惨さ、鬼畜ぶりに、千利休と柳生新左衛門が顔色を変えて退席するほどである。

それから本書の特徴として凝った設定やギミックが多いことをあげたいが、特に目立つのが三人の女達の設定である。城太郎の妻・篝火、弾正の妾にして稀代の悪女・漁火、そして本書の真のヒロインであり弾正が懸想する奥方・右京太夫の三人だが、この三人は皆同じ顔なのである。正確には、もともと右京大夫と篝火がたまたま瓜二つの顔なのだが、篝火が死に、弾正の淫乱な妾と半身を合体されることで漁火という悪女が誕生するので、漁火も同じ顔ということになる。いわば、この三人は互いに重なり合う分身としてこの物語の中で機能する。これが本書の大きな特徴であり、また物語を動かす大きなモーメンタムとなっていく。

つまり笛吹城太郎は篝火を心から愛しており、彼女以外の女は決して愛さないと誓っている。しかし篝火は死に、城太郎は復讐を誓う。ところが敵側の魔女ともいうべき漁火が、篝火の顔をしているのである。漁火はその顔を使って城太郎を騙そうとするし、また弾正の標的にして高貴な右京大夫も同じ顔なので、漁火が右京大夫のふりをして主君の城へ潜入したり、逆に右京大夫が漁火のふりをして弾正の城へやって来たりと、ややこしい知能戦が繰り広げられる。加えて城太郎は篝火と同じ顔をしている右京大夫を助け、護衛するうちに、彼女のことが好きになってしまう。しかし彼は死んだ篝火に永遠の愛を誓っている身なので、その思いを必死に封印しようとする。

しかも、この三者は互いに交換可能な分身といってもいい外見であるにもかかわらず、死んだ篝火、生きている右京大夫、そして悪の化身・漁火と、生者と死者、聖と邪が入り乱れている。この摩訶不思議な三位一体がストーリーを面白く、奥深くしていることは間違いない。

中でも強烈なキャラクターが漁火だ。その悪の切れ味は主人である松永弾正を明らかに超えていて、時にはバケモノ揃いの根来忍法僧達すら戦慄させてしまう。悪役のキャラが立っているエンタメは面白いものだが、それに加えて漁火はヒロインである聖女・右京大夫、さらに篝火と同じ顔を持っている、いわば鏡像なのだ。かつ、胴体接合術という妖術によって生まれた一種の人造人間、フランケンシュタインの化け物でもある。これほど魅力的な悪役はなかなかいない。

さて、他に目立つギミックとしては謎の黒衣装集団がある。城太郎は伊賀忍者だが、掟を破って篝火と結ばれたため叱責され、伊賀一族のバックアップは一切受けられない。孤立無援であり、弾正、漁火、そして7人の根来忍法僧を敵に回すには圧倒的不利なのだが、そんな彼をひそかに助ける集団が出現する。それが黒衣装をつけて馬を駆る武芸者集団で、かなりの熟練者たちのようなのだが、その正体も目的も謎に包まれている。

そしてもちろん、ロマンス要素。死んだ篝火に永遠の愛を使った城太郎は、篝火と同じ顔を持つ右京大夫に恋してしまう。弾正に狙われている右京大夫を城太郎が救うことで二人はしばらく同じ時間を過ごすが、当然ながら、その中で二人の間に特別なものが育まれる。しかし右京大夫は一国の主の奥方、城太郎は篝火の夫。お互いの気持ちを口に出すわけにはいかない。

ところがクライマックス、弾正の陰謀で右京大夫は淫石のお茶を飲むよう強要される。これを飲んだ女は最初に見た男に首ったけになってしまうという妖しいお茶なのだが、そこへ城太郎が飛び込んでくる。右京大夫は果たしてお茶を飲んだのか、そして彼女が見たのは誰なのか。という具合に色々と仕掛けを施して盛り上げてくれるが、この二人の不可能な愛の行方は最後まで気になる。

そして本書のいわば特別ゲスト、果心居士と上泉伊勢守。果心居士の存在感はまさに魔王の如しで、弾正、根来忍法僧達の背後から物語に巨大な影を投げかけてくるし、伝説的な剣聖・上泉伊勢守も名前だけチラチラ登場し、いつ出て来るかと読者をワクワクさせる。終盤、ついに上泉伊勢守が登場する場面はいやが上にも盛り上がるが、ただし竜頭蛇尾に終わってしまうのが残念。

実際のところ、本書の弱点は結末だと思う。悪の限りを尽くした松永弾正は死ぬことも失墜することもない。史実としてこの数十年後まで生きているのだからどうしようもないのは分かるが、やっぱり釈然としない。作者は十数年後、弾正がついに失墜する顛末を挿入することでお茶を濁している。また前述の通り、終盤ついに登場した果心居士と上泉伊勢守の対決もなく、笛吹城太郎はなぜか敵方の果心居士によって救われる。

曖昧さを残すオープンエンディングでも余韻が残ればいいのだが、特別な余韻も情緒も残らない、ピリッとしない結末だ。本書のストーリーを大体覚えているという人もラストは記憶に残っていないのではないか。

さて、本書は真田広之、渡辺典子主演で1980年代に角川映画になったことはご存知の方も多いことだろう。もちろん真田広之が笛吹城太郎で、渡辺典子がヒロインだ。渡辺典子は新人だったにもかかわらず右京大夫、篝火、鬼火(=原作の漁火)と三役をやったらしい。私はずいぶん昔にレンタルビデオで見たが、もう全部忘れてしまっている。が、唯一なんとなく覚えているのは城太郎と右京大夫が大仏の中で暮らすシーンだ。今回原作を読み返しても、大仏の中で暮らすという設定がやっぱり面白かった。

数ある忍法帖の中では特に傑出しているわけでもない本書だが、これが角川映画の企画に選ばれたのは、笛吹城太郎の爽やかなヒーロー性、ヒロインの清純性、そして愛の絆がテーマということで一般受けしやいと判断されたのだろう。もちろん、ちゃんと千葉真一の役どころもある。過剰にダークだったり残酷だったりする作品が氾濫する忍法帖の中では、エンタメ的な華やかさを感じさせる作品と言えるかも知れない。