江戸忍法帖

江戸忍法帖』 山田風太郎   ☆☆☆★

山田風太郎が名作『甲賀忍法帖』の次に書いた、忍法帖シリーズの第二弾。『江戸忍法帖』というなんだか適当なタイトルの本書は、忍法帖の中でもかなりマイルドな内容であり雰囲気である。一作目にしてすべてにとんがりまくっていた『甲賀忍法帖』とは対照的だ。

戦いのフォーマットも大きく違い、忍者のチーム対チームの勝ち抜き合戦という斬新かつエキサイティングだった『甲賀』のフォーマットを二作目にしてさっそく捨て、一人対多数の戦いになっている。そうするともちろん一人の方がずっと勝ち続けるわけで、こちらが当然善玉の主人公、チーム側が悪役ということになる。更に忍者対忍者の忍法対決でもなく、主人公の葵悠太郎は正統派の青年剣士であって忍者にあらず。忍者は敵側の甲賀七忍のみ。悪の黒幕、大老格の柳沢出羽守がひそかに葵悠太郎暗殺を企て、甲賀七忍を刺客として差し向ける。

なぜ出羽守が悠太郎を殺そうとするかというと、この青年剣士は先の将軍の落し種、つまりご落胤なのである。もしもそれがうるさ方の水戸光圀公の耳にでも入れば一大事で、将軍家の跡継ぎ問題が紛糾し、自分の立場が危うくなってしまう。だから今のうちにこっそり始末してしまおう、というわけだ。

葵悠太郎側にもボディガードの侍が三人いるのだが、彼らは序盤で忍者の奇襲に遭い、全員やられてしまう。残ったのは悠太郎と仲のいい角兵衛獅子の姉弟、お縫とたあ坊のみ。しかし天下の権力争いになど全然興味がない悠太郎は味方が三人やられてもまだ戦意がなく、田舎に逃げてしまおうなどと言ってお縫に叱られるが、忍者の毒牙にかかってついにたあ坊までがやられてしまう。たあ坊の遺体にすがって泣くお縫の傍らで、悠太郎はついに怒りとともに立ち上がる。出羽守と忍者ども、首を洗って待っていろ、というわけだ。勧善懲悪もののパターンです。パターンだが、燃える。

この設定と幕開けからして『甲賀忍法帖』とはずいぶん違い、何やらTVの時代劇みたいだ。主人公はかっこいい青年剣士にして将軍のご落胤。長屋あたりに住んでいる好青年で、全然戦意はなかったけれども罪のない子供が悪党どもの餌食になったことでついに立ち上がる。ヒロインは主人公を慕う角兵衛獅子のお縫。忍者でも侍でもないが身軽な曲芸師で、時には忍者と渡り合ったり悠太郎を助けたりする。一方の悪役は腹黒い大老の出羽守で、怪しい忍法を使う七人の甲賀忍者たちがその手足となって暗躍する。ここまでくるともう、時代劇のタイトルバックまで目に浮かぶようではないか。

ヒロインについてもうちょっと補足すると、悪の黒幕・出羽守には義理の娘がいて、名を鮎姫という。鮎姫は美貌ながら男勝りの気が強い令嬢で、出羽守の政略結婚の道具としていいなづけを決められているのが気にいらない。彼女もこの闘争に巻き込まれ、敵方の悠太郎に誘拐されるのだが、逆に彼の男っぷりの良さに惚れてしまい、わらわと結婚してたもれと迫って悠太郎を閉口させる。そして悠太郎の仲間であるお縫にライバル意識を燃やす。つまり、本書はお縫と鮎姫のダブル・ヒロインなのである。ゴージャスだ。

そして最初からチラチラ名前が出て来る水戸光圀公、つまり水戸黄門も最後には登場する。悪党の出羽守が煙たがっている存在だ。助さん格さんも出て来る。もうこれは豪華キャストでTV番組にするしかないストーリーである。結末も他の忍法帖みたいに救いのない無残なものじゃなく、(一部のメインキャラは死んでしまうものの)爽やかなハッピーエンドだし。

そもそもエロすぎて映像不能、残酷過ぎて映像不能、というシーンがほぼゼロ。忍法帖にあるまじきフツーさ、健全さである。おそらくそのあたりの理由で、著者の山田風太郎自身も本書を高く評価していないらしい。本書の解説に書かれているが、少年小説みたいな気がする、と言っている。

確かにそんな雰囲気はあるので、他の忍法帖シリーズみたいな妖しさ、濃厚エログロ、刺激の強さを求めると肩透かしかも知れない。が、私は決して駄作ではないと思う。筋立ても凝っていて、ちゃんと面白い。忍法帖独特のアクの強さを期待しなければ、十分楽しく読める。

ちなみに私が本書で気に入っているのは、クライマックスとなる小塚ッ原の刑場シーンである。刑場でお縫の身代わりとなって処刑されんとする鮎姫を、悠太郎とお縫がたった二人で救出に行く。しかし刑場には出羽守の息がかかった役人どもが手ぐすね引いて待ち構えている、という場面である。行けばまず、生きては帰れない。それでも二人は、あえて罠の中に飛び込んでいく。

古今東西の小説・映画の中でこれは絶対に盛り上がるという鉄板シーンがいくつかあるとすれば、刑場破りはその筆頭だろう。悪の権力者が主人公の仲間を処刑しようとする。警備は万全に固め、助けに来るであろう仲間達に対して罠を仕掛けている。もはやどうにもならない、と誰の目にも見える。にもかかわらず、主人公達はごく少人数だけで、仲間を助けるため刑場に乗り込んでいく。

これ以上に燃える設定があるだろうか。アレクサンドル・デュマや『アイヴァンホー』のような古典的冒険小説の昔から最近のハリウッド映画やTVの時代劇まで、鉄板の盛り上がりシーンとして活用され、繰り返し引用されてきたフォーマットである。

本書も例外ではない。捕り方が多数待ち構える刑場へそれと知りつつ斬り込んで鮎姫を救おうとする悠太郎には、間違いなく古典的冒険小説のヒーローの面影がある。もちろん、鮎姫の方は悠太郎に逃げて欲しいと思っている。悠太郎とお縫を逃がすために、命を捨てる覚悟なのである。が、そこへ悠太郎とお縫が決然と斬り込んでくる。大勢の捕り方達をものともせずに。

いやー盛り上がりますなあ。お約束だと侮るなかれ、フォーマットをきちんと生かせるかどうかはエンタメ作品の重要なポイントなのである。本書のこの場面には、古今東西の刑場殴り込みシーンのエッセンスを凝縮したような、一種クラシックな香気が漂っている。やはり風太忍法帖は侮れない。