迷子たちの街

『迷子たちの街』 パトリック・モディアノ   ☆☆☆☆☆

本棚から引っ張り出してきて再読。モディアノの長編は一時期色んなものをまとめて読んだせいで、内容や印象が頭の中でごっちゃになってしまっている。これは長い年月の後、昔過ごしたパリに戻ってきた作家が若き日の彷徨を回想する小説である。

今回再読してみて、物語の大枠は『イヴォンヌの香り』によく似ているなと思った。つまり、全体が遠い過去を振り返る回想であること、若者が謎めいた豪奢な女性とともに過ごす享楽的で、刹那的な日々を描いていること、エキセントリックな友人たちが登場すること、そんな甘美な輝かしい日々の中に忍び寄る崩壊の影を感じさせること。そして歳月が過ぎ、主人公とともに読者は祭りの後の静寂とさみしさを噛みしめること。モディアノの黄金パターンである。

物語は大体次のように進む。まず、時は現在、場所はパリ。主人公である作家の「僕」がドゴール空港に到着する。「僕」は久しぶりになつかしいパリを訪れ、死んでしまった友人の妻や、映画の助監督や、リモのドライバーになったかつての知人などを歴訪する。そして死んだ友人が遺したファイルをめくりながら回想に耽る。

このパートでは現在の「僕」の行動が比較的淡々と記述され、「僕」がなぜパリを離れたのか、「僕」とそれぞれの友人たちはかつてどんな関係だったのか、などの事情は説明されない。が、あちこちでかすかに過去の(複雑な、もしくはロマンティックな)事情を暗示する文章やセリフがあらわれては消えていく。当然ながらそれが読者の想像力を刺激し、この小説にミステリアスな陰りを与えていく。

次に過去パートとなり、カルメンという女性が登場する。カルメンと「僕」とのホテルでの奇妙な出会いと、その後の日々。彼女の周囲には、まるで太陽を囲む惑星系のように個性的な取り巻き連中が生息している(中でも印象的なのはカルメンに仕える元運転手の執事)。「僕」は気ままな王侯貴族のように振る舞うカルメンに惹かれつつも、どこか虚無の翳りを帯びた若き日々を過ごす。

このパートがつまり「回想」であり、本書のコア部分だ。最初の「現在」パートで掻き立てられた主人公の過去への関心が、ここでだんだんと満たされていく。また、すべてが過ぎ去ったことであるというセピア色のフィルターを通して眺めることによって、光り輝くノスタルジーの魔法が完璧に発揮され、甘酸っぱくやるせない香りがページから立ち昇る。モディアノの本領発揮である。

そして、ついに「僕」がパリを離れた真相が分かる終盤になって、突然物語は思いもよらないツイストを見せる。カルメンではないもう一人の若い女性が唐突に登場し、それとともに「僕」の身にドラマティックな事件が起きるのである。それがもとで「僕」はパリを離れることになるが、この急展開は読者を戸惑わせ、この「僕」の物語を再び多義性の靄の中へと押しやってしまう。読者は複雑な感慨を抱きながら本書を置くことになるだろう。

訳者はあとがきで、本書が後のモディアノの小説ほどまだ枯れておらず、あるいはさりげなさに徹しておらず、そのため本書には絢爛たる華やかな印象がある、という意味のことを書いている。一部引用してみる。「…特にこの惜しみないファンテジーの爆発は、その意味で、時にショパンすら連想させ、美しい、としかいいようがない。枯淡、というのとはむしろ対蹠的な瑞々しさだ」

またWikipediaには、本書について堀江敏幸氏の次のような評が記載されている。「読者は語り手の過去を自身の過去として共有せざるをえなくなり、時間と記憶の海で船酔いに似た気分を味わう。そして、その奇妙な酔いが醒めないうちに、物語の外に放り出される」

「絢爛たる華やかさ」については、私はモディアノの小説をそこまで体系的には読んでいないのでなんとも言えないが、本書は確かに『イヴォンヌの香り』と同様光り輝くような、読者に甘美な陶酔をもたらす小説である。『イヴォンヌの香り』は本書より前の作品だが、後の『さびしい宝石』『失われた時のカフェで』あたりはここまで華麗な印象を与えないと思う。

それから私が本書の特徴として挙げたいのは、やはり現在と過去の交錯が非常に巧みになされていることで、回想というものの吸引力、ノスタルジーの甘美さが最大限に活かされていることだ。そして当然ながら、過ぎ去っていく時間というものへの哀惜の念が全体を包みこんでいて、これに心動かされない読者はいないだろう。このように美しかった過去、その回想、というものの普遍的な魅惑を実に効果的に引き出す物語構造であり、文体なのである。

また前半の「現在」パートでは、「僕」が友人が受け取ったファイルや、死んだはずの映画監督を尾行する奇妙なエピソードなど、読者の興味を惹きつけるアイデアが色々投入されている。単純に、物語として面白い。それもまた、本書の華やかさの理由の一つかも知れない。そういう意味では、本書にはモディアノの魅力がとても分かりやすい形でパッケージされていると言っていいと思う。モディアノってどんなの、という人にはおススメだ。

もちろん、モディアノ最大の魅惑はストーリーやエピソードのみならず、そのロマンティシズムであり、センチメンタルに堕するぎりぎり手前ぐらいの抒情性であって、それは本書でも十分に堪能できる。文体は柔らかく、読者の想像を掻き立てるメタファーがちりばめられている。そして何よりも、染み入るような美しい瞑想性。私はこの瞑想性の美しさこそがモディアノ文学のエッセンスだと思うが、これにはどこかアントニオ・タブッキと共通するものを感じる。これは私だけだろうか。タブッキとモディアノ、この二人は私にとって特別な作家である。