戻り川心中

『戻り川心中』 連城三紀彦   ☆☆☆☆

ちょっと前に読んだ『夜よ鼠たちのために』の、きわめて人工的な超絶技巧の世界が面白かったので、名作の誉れ高いこの短篇集に手を伸ばしてみた。ただの短篇集ではなく、一つのモチーフと美意識のもとに書かれた連作短篇集である。巻末の解説によると、本書は「我が国のミステリの歴史において、もっとも美しくたおやかな名花」とのことだ。

連作短篇集と書いたが、テーマは「花」である。<花葬>シリーズと呼ばれているらしく、著者自身、花が主人公であり、花の個性に似合った話を、トリックを、登場人物を選んだという作品集である。また、これも著者の言葉で「(選んだ話は)どれも今では忘れかけられた、いささか時代錯誤のものばかり」というのもある。確かに各短篇の時代設定は大体において大正時代であり、古き良き時代の浪漫の香りがする。

収録されているのは「藤の香」「桔梗の宿」「桐の棺」「白蓮の寺」「戻り川心中」の五篇。見ての通り、表題作を除いてすべて花の名前がタイトルに入っているし、表題作も当初のタイトルは「菖蒲の舟」だったらしい。このように本書はタイトルから舞台設定からストーリーから、すべて一つのモチーフと美意識に収束していくよう緻密に計算され、練り上げられ、彫琢された作品集といっていいと思う。『夜よ鼠たちのために』よりも更にこだわり抜き、職人的な技巧と工夫を凝らした短篇の数々が並んでいる。

当然、文体も彫琢され尽くしていて、流麗かつ耽美だ。簡潔とか明朗闊達というよりもほの暗く、靄がかかったような湿り気を帯びている。そしてこの文体が陰影に富んだ、哀れに満ちた大正浪漫の世界を現出させる。ではストーリーはどうか。「藤の香」「桔梗の宿」では色町が舞台の男女の愛憎、「桐の棺」では日本古来のやくざの世界が描かれ、「白蓮の寺」は魔性といわれ寺に嫁いだ母に関する記憶、そして「戻り川心中」では歌人の心中事件が扱われる。いずれも一人称で、事件の渦中にいる人間が語る手記の体裁が多い。行間に書き手の思いが強く滲むタイプの小説である。

男女の愛憎を哀感とともに描き出す作品が多く、全体として人情もの的な印象が強いけれども、その一方でミステリとして仕掛けやトリックはきわめてメカニカル、かつ人工的だ。どの短篇も、あっと驚く反転がある。その点はやっぱり『夜よ鼠たちのために』に共通するものがある。決してリアリズムの人情小説ではないのだ。本書最大の特徴はそれだろう。

本書並みに哀感と情緒を湛えた作品集は他にもあるだろうし、また本書並みにメカニカルなトリックを駆使したミステリも探せばあるだろう。けれどもひとつで両方を兼ね備えた作品集となると、あまり見当たらないのではないか。

たとえば「桔梗の宿」では、少女の娼婦と馴染みの客にオーバーラップさせる「黒衣と人形の心中」というモチーフかと思わせ、最後にもう一度反転する。意外な真相が明かされ、しかも最初から緻密な伏線が張られていたことが分かって読者は感嘆するだろう。さまざまな技巧的なダブルミーニングが施されているが、その一方で、売られていく少女の哀れさもあいまって、哀切な浪漫小説として成立している。

「桐の棺」はやくざの世界を描く短篇だが、最近の日本映画にあるようなバイオレンスものではまったくなく、やはりひと昔前の任侠ものみたいな濃厚な浪漫の香りが漂う。その一方で、まるでチェスタトンの「折れた剣」を思わせるアクロバティックな逆説がミステリのベースになっている。登場するやくざ達のキャラクター造形も非常に精緻だ。「白蓮の寺」「戻り川心中」では、フィクションが現実を塗り替えていくという離れ業が扱われる。これも、どことなくチェスタトンを思わせる逆説的な形而上学の匂いがする。特に「白蓮の寺」は非常にトリッキーなプロットだが、少し人工的過ぎる気がして、個人的にはそこまで入り込めなかった。

表題作の「戻り川心中」は作家と情婦の心中事件ということで太宰治を題材にしていると思われるが、他の短篇と違って語り手が事件の渦中にいる人物ではない。そのためか他の短篇より情緒が抑え気味で、松本清張のある種の短篇に似た、アカデミックなルポルタージュに近い印象がある。が、やはり相当にトリッキーな仕掛けだ。トリックといっても犯人が警察に仕掛けるトリックではなく、作者が読者に仕掛けるトリックである。

というわけで、どれをとっても細部まで配慮して精緻に作り上げられた室内工芸品の如き短篇であり、見事に浪漫に華を咲かせている。それが五つ揃って妍を競う本短篇集は、やはり名作の名にふさわしい。