アルファ系衛星の氏族たち

『アルファ系衛星の氏族たち』 フィリップ・K・ディック   ☆☆☆

ディック中期のSF小説、『アルファ系衛星の氏族たち』を再読。これは『高い城の男』の後、『火星のタイム・スリップ』と同時期の発表で、すでにディック独特の個性は確立された時期の作品である。このすぐ後に『最後から二番目の真実』『シミュラクラ』『ドクター・ブラッドマネー 』などが書かれている。

出来の方はどうかというと、『火星のタイム・スリップ』や『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のような有名作に比べると当然ながら落ちるし、個人的には『シミュラクラ』『ドクター・ブラッドマネー 』より落ちると思う。ただ私はマイナーな『シミュラクラ』が人気の高い『火星のタイム・スリップ』よりはるかに優れた作品と思っている人間なので、あまり客観的な評価とは言えないかも知れない。ディックの作品は個人の好みで大きく評価が割れるのが特徴なので、本書も好きな人は傑作と評価する可能性はある。

ストーリーは例によって入り組んでいるので要約困難だが、大体こんな感じだ。舞台はアルファⅢM2という衛星と地球。アルファⅢM2は昔地球の植民地だった星で精神科の病院施設があり、地球の精神病患者が大勢収容されていた。その後地球がその衛星を放棄したため連絡は途絶えたが、その後患者たちは自分たちの力で、独自のコミュニティを築きあげた。したがってそのコミュニティはそれぞれ精神病的傾向を持つ部族、つまり躁病系のマンズ族、偏執狂的なペア族、破瓜病的なヒーブ族などの連合体となっている。彼らはお互いの相いれない世界観のため基本的にいがみ合っているが、再び始まった地球からの干渉をきっかけに団結する。

一方、地球からは再びアルファⅢM2の住民を病院に収容しようと計画する女医のドクター・リッタースドーフとCIAのシミュラクラがこの星にやってくる。ドクター・リッタースドーフには離婚したばかりの前夫チャックがいて、彼は地球で働いているシミュラクラのプログラマーなのだが、異常に攻撃的で彼の人生を破壊しようとするドクター・リッタースドーフを恨み、シミュラクラを遠隔操作して彼女を殺そうと企んでいる。こうしてアルファⅢM2の住民たち、ドクター・リッタースドーフが代表する地球政府、この二つの対立のどさくさに紛れてドクター・リッタースドーフを殺そうとするチャック、が入り乱れて悪夢めいた騒動が展開する…。

大体こんなストーリーだが、典型的なディックの思いつき先行型の小説で、行き当たりばったりのプロットがころころと方向性を変えながら展開していく。たとえば小説の冒頭でアルファⅢM2衛星の精神病患者の子孫たちが紹介され、彼らが団結せざるを得ない危機が呈示されるが、その後舞台は地球に移り、チャックと前妻であるドクター・リッタースドーフの確執、チャックがCIAのプログラマをやりながらコメディ番組の脚本家になるという、かなりヘンテコな話になる。まあこういうヘンテコさはあらゆるディック作品に共通の特徴ではあるが。

しかも、そのコメディ番組ではなぜかシミュラクラを操って妻を殺そうとする男の企画が進行している。それとまったく同じことを企んでいるチャックは、これは自分に対する何らかの陰謀だと考えてその裏を探ろうとする。もはやアルファⅢM2の話はどうでも良くなっている。

そしてチャックの協力者として、テレパシー能力を持つガニメデの粘菌や、五分だけ時間を戻せる超能力者の少女などが登場する。ガニメデの粘菌は、たまたまチャックと同じアパートに住んでいる。ちなみにこの粘菌は一度殺されるが、死ぬ直前に吐き出した胞子が育つことによって記憶を引き継いだ第二世代となって復活する。よくこんなこと思いつくな、と呆れるようなディックのアイデア力、発想力は本書でも十分に堪能できる。

後半になってようやく舞台がアルファⅢM2衛星に戻る。ドクター・リッタースドーフの後を追ってチャックと粘菌もアルファⅢM2衛星へやって来た直後、地球軍とアルファⅢM2の戦争になる。一気にSFアクションもの的な展開になり、最後はチャックとドクター・リッタースドーフの関係が修復されることを匂わせて終わる。おいおい殺そうとまでしていたのにかい、と突っ込みたくなるのはディック・ファンなら慣れっこである。それにしてもいい加減というか投げやりというか、無理やり終わらせました感が濃厚に漂うエンディングだ。

先に書いた通り、ガニメデの粘菌や超能力少女などのアイデアはディックらしいキッチュさで面白い。ただ、少女の超能力で限られたエリアの時間を5分だけ戻せる、なんていう設定もワクワクする面白さなのに、まったくストーリーに活かされていない。本書では全般に、ディックならではのガジェットやアイデアが断片的に盛り込まれてそれはそれで面白いものの、展開したり他とつながったりせず、思いつきレベルで無駄に消費されながら行き当たりばったりにプロットが進む印象が強い。従って、ディックならではのアイデアが渾然一体となって読者を戦慄させる、たとえば『ユービック』や『シミュラクラ』のような凄みが出ない。

また、ディックは作品によってはキッチュでケバケバしい道具立ての中に静謐なリリシズムや哀感を醸し出すこともあり、たとえば『流れよわが涙、と警官は言った』や『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』などがそうだが、本書ではそういうこともない。全体に軽く、躁病的に騒がしい。アルファⅢM2のベインズがドクター・リッタースドーフに媚薬を飲ませた結果サディスティックなセックスを強要されて助けを求めるなんてシーンでは、露骨にドタバタ喜劇じみている。

まあそんなこんなで、私としては部分的にガジェットやアイデアを愉しむ以外にあまり読みどころがない凡作だと思うが、ただディックの場合、出来が悪くてもありきたりの小説にだけはならないところがさすがである。バランスが悪く、雑で安直な本書の場合も、これだけ色んなキャラをどんどん登場させ、とりあえず次々とエピソードをぶちこみ、めまぐるしくストーリーを転がしていくその反射神経は、なにはともあれ凄いと思ってしまう。