あらくれ

『あらくれ』 成瀬巳喜男監督   ☆☆☆☆

日本版DVDを購入して鑑賞。成瀬監督の目ぼしい作品は大体観たつもりでいたのにまだこんなのが出て来るのだから、まったく油断できない。大体成瀬監督作品は日本でブルーレイがほとんど出ていないが、あれはDVDレベル以上の画質の向上が難しいからなのだろうか。成瀬作品は日本の文化遺産といっても過言ではないのだから、なんとかリマスタリングを施して、美麗な画質にして、ブルーレイBoxか何かで発売して欲しい。高くても、私は頑張って買いますよ。

さて、この『あらくれ』は1957年の作品。DVDを観始めて、映像のいかにも古びた感じにごく初期の作品かと思ったら、名作『浮雲』の2年後だった。だから初期の習作的作品などではなく、一流の映画監督として認められた後のフィルムである。物語の骨格は、『女が階段を上る時』のように高峰秀子演じるヒロインが色んな男達を遍歴していく話。そしてやっぱり、ろくな男がいない。ただし銀座のバーを舞台にしたおとなの色事の物語ではなく、農家の娘・お島が商家に嫁入りした後、色々と遍歴する話である。

遍歴の対象となる男達は、まず最初は神田で缶詰屋を営む上原謙。まだ10代のお島の最初の嫁入り先がこの男だが、のっぺりした二枚目のこの男は商人らしく外面がいいけれども家の中では陰険でねちっこく、おまけに女遊びが好きで浮気性。ちなみに嫁入り前、お島は奉公していた先の農家の息子と結婚話が持ち上がり、それが嫌で逃げ出したという経歴の持ち主で、とんでもないわがまま娘だという風に親からも言われている。だから多少のことは我慢しろと忠告されるのだが、自分は女遊びをするくせにネチネチ嫌味を言ってくる夫に我慢できず、しまいには大喧嘩をしてしまう。その結果階段から転げ落ちて流産し、缶詰屋とは縁を切って田舎の温泉宿で働き始める。

そこで出会うのが第二の男、森雅之である。森雅之には病弱な妻がいるので、お島との仲は不倫だ。彼は宿の若旦那だが気が弱い文学青年という風情で、お島には優しいが優柔不断な性格。お島も彼の優しさに惹かれ、愛するようになるが、世間体を気にしてはっきりしない態度の彼に業を煮やして、またもやその土地を去る。

次に登場する加東大介は、お島が働く洋裁工場に出入りする気のいい業者だったが、お島が一念発起して洋裁ビジネスを始める時にパートナーとして選び、夫婦となって洋裁店を経営する。ところがいざ商売がそこそこ軌道に乗ると怠けぐせが出て来て、お島が忙しく働いているのに職人と将棋を打ってたりする。お島が癇癪を起して文句を言ってものらくらしていっこうにあらためない。おまけにこいつも浮気性で、またもやお島は大喧嘩をしてしまう…。

という風に話は続いていくが、この物語の特徴はお島も気が強く、泣き寝入りをせずに自分を主張し、男と戦っていく点である。だからかわいそうな女の哀れな人生、という感じにはならない。その点『女が階段を上る時』のヒロインとは違うし、当時の一般的な女性観ともかなり違っていたようだ。現代ではこんな女性は普通にいると思うが、成瀬監督の映画でこういうヒロインが活躍するのは珍しい。

男優陣も『女が階段を上る時』とかなりかぶっているが、キャラクター設定が違うのでなかなか面白い。ふちなし眼鏡をかけてネチネチ嫌味を言う上原謙は実にイヤらしく、のっぺりした色男なだけに余計気色悪い。『めし』や『驟雨』の夫役だった時みたいな好感度はまったくなく、この物語の中でいちばんの憎まれ役だろう。この人はこういう役をやらせても実にうまい。

森雅之も他の映画では押しの強い役柄が多いが、本作では実に気弱な、優柔不断な、おとなしい男を演じていて珍しい。気は優しいんだけれども世間体を気にして別れ話を持ち出し、生活は支援するよと申し出るが、お島に「妾はイヤ!」ときっぱり拒絶されてしまう。とはいえ、おそらく彼がいちばん永続的な絆でお島と結ばれていた男だろう。彼が早逝してしまい、お島が彼の墓参りをするシーンはしみじみと哀感が漂う。

加東大介は最初働きものみたいに見えるので商売のパートナーに選ばれるのだが、すぐに怠け者の地が出てくる。なんとなく『女が階段を上る時』の役に近いキャラだ。しかも女好きで、お島とは何度も激しい喧嘩をするが、なかなか別れない。なんだかんだでずっと一緒にいる。多分、勝気なお島とずぶとい夫で相性がいいのだろう。お島も森雅之に対するような気持ちはないようだが、一緒に生活をともにするパートナーとしては信頼している感じがする。

それからこの三人の男たち以外にもう一人、重要なキャラとしてお島と浅からぬ因縁で結ばれた女、おゆう(三浦光子)が登場する。おゆうはお島の最初の夫・上原謙の幼なじみにして浮気相手、しかも後の夫・加東大介も誘惑するという女である。お島と対照的ななよっとした女だが、彼女はただの憎まれ役ではなく、最初は好きだった上原謙の妻となったお島に(自分は愛人なので)劣等感と優越感の入り混じった感情を抱き、その後上原謙と別れてからは落ちぶれて困窮し、お島と再会した時に羽振りのいいお島を羨み、後に加東大介を誘惑してお島と殴る蹴るの大喧嘩を演じる。いわば最初からずっとお島を意識し、お島への嫉妬をモチベーションに生きているような女だが、こういう憎たらしくも哀れを催すキャラを物語に絡ませてくるのは、さすが成瀬監督だと思った。

その他、お島の父に東野英治郎、兄に宮口精二、姉に中北千枝子、精米所のおやじに志村喬、とかなりの豪華キャストだ。これだけのメンツが揃えば物語が多少ゆるくても安心して観ていられるだろうが、この映画は脚本も実にしっかりしているのだ。あちこちにコミカルな味もあって、お島の父親の東野英治郎は「これでも昔は庄屋の家柄で…」が口癖だし、志村喬は珍しく露骨なセクハラおやじである。店の客なのだが、よろけたふりしてお島の胸をわしづかみするという荒業を見せる。が、こんな時もお島は笑ってかわしてしまう。

高峰秀子はおとなしい女性の役も多いが、勝気なお島もまた違う感じで存在感があり、見ごたえがあった。