豚の戦記

『豚の戦記』 ビオイ=カサレス   ☆☆☆

ビオイ=カサレスの文庫本『豚の戦記』を再読。これは昔読んであまり記憶に残らず、今回ためしに再読したがやはり印象は薄かった。ビオイ=カサレスといえばどうしても『モレルの発明』『脱獄計画』などの奇々怪々な長編や、短篇集『パウリーナの思い出に』的な幻想小説の書き手というイメージが強いが、本書はだいぶ肌合いが違う。幻想味は薄く、初期の長編や短篇に顕著なSF性も皆無。年代的にはかなり後期の作品だが、歳とともに作品の傾向が変わってしまったのだろうか。

この人の初期作品は本当に独特で、ボルヘスと親交が深かったようで共著もあるがボルヘスともまた違い、コルタサルキローガフエンテス、ドノソあたりともまるで違う。幻想作家が多いラテンアメリカ文学界の中でもとびきりユニークな書き手だと思う。怪奇幻想味を漂わせたアイデアは間違いなく幻想文学の範疇内だが、そこに疑似科学的な仕掛けや説明が付属するところがSF的であり、突拍子もない飛躍はシュルレアリスム的でもあり、どこか人を喰ったユーモラスなところもある。

特に顕著なのはシュールな現象に無理やりな仕掛けや理屈を考えてしまうところで、しかもその仕掛けや理屈が現象以上に荒唐無稽であり、シュールレアリスティックなのだ。『モレルの発明』『脱獄計画』いずれもそうだし、「パウリーナの思い出に」もロマンティックな恋愛譚なのにパウリーナの幻影を見た仕掛け(しかも到底あり得ない妄想的な理論)の方がメインになっている。いわば幻想の考案者というよりも幻想の仕組みの分解者、非現実的な仕組みの設計者という趣きである。

さて、話を本書に戻してあらすじを説明すると、主人公はブエノスアイレスに住む六十前ぐらいのビダル。息子と一緒の貧乏長屋に住み、夜は老人仲間とカフェでカードゲームをする毎日だったが、ある時老人が青年たちに襲撃され殺される事件が続発し、「豚の戦争」と呼ばれてニュースになる。やがてビダルの仲間にも被害が広がり、殺されたり拉致されたりする者が出て来る。ビダルはそれらの通夜に出たり仲間と議論したり、時には自分も襲撃されて逃げまどったりしつつ、一方で同じアパートに住む若い娘ネリダに恋をする。やがてネリダもビダルを愛していることが分かり、二人はネリダのアパートで一緒に暮らし始めるが…。

最後はビダルの身に悲劇的事件が降りかかり、それと同時に「豚の戦争」はなんとなく終息する。つまりこの小説では青年と老人の「戦争」と、若いネリダと初老のビダル恋物語の二つがストーリーの柱となって、パラレルで進んでいく。ただ、戦争といっても老人たちは青年グループに反撃するわけでもなく、ただ一方的にやられ続けるだけだ。途中で老人チームの反撃が始まり戦争が激化するのかと思ったらそんなことはない。事件は散発的で、あまり盛り上がらない。若者はいつの時代も老人を嫌い、排斥するという世代のギャップを戯画的に描いたのだろうか。あるいは、ブエノスアイレス特有の社会問題を取り上げたのだろうか。

一方で、恋物語の方には多少自伝的な要素があるらしい。あとがきで解説してあるが、ビオイ=カサレスは若い頃ネリダという女性に恋をしている。このラブストーリーの顛末も悪くはないし、こんな若い女性が自分みたいな年寄りを好きになるわけがないと自分に言い聞かせつつどうしても気になってしまう前半部分などはそれなりに面白いが、このプロットに長編を支え切れるほどの強度はないし、何よりビオイ=カサレスらしさという点で激しく物足りない。

そんなわけで、初期の代表作『モレルの発明』や『脱獄計画』と比べるとアイデア、ストーリー、仕掛けの巧緻さとあらゆる点でゆるく感じてしまう本書だが、ビオイ=カサレスのトレードマークともいうべき文体、あのフラフラとさまようような、省略と隙間が多い独特の文体は健在だ。物語の魅力に欠けるため、個人的にはこの文体を読めることがほぼ唯一の快感だった。