早春

『早春』 小津安二郎監督   ☆☆☆☆★

所有するDVDボックスで再見。小津監督にしては割と暗い話なのであまり印象に残っていなかったが、あらためて観返すとやっぱり傑作だ。見ごたえ十分である。

特色としては主演俳優陣が池部良淡島千景岸恵子といつもの小津映画とは違うメンツであり、そしてテーマも不倫で壊れる夫婦仲、といつもの小津らしくないこと。老人や子供がほとんど出てこないのも勝手が違っていて、いつもの小津映画が大家族のホームドラマだとすれば、これは核家族のドラマである。しかも、前述の通りかなり暗い。

役者陣で特に目立っているのはやっぱり岸恵子だろう。まだ若く、言われないと岸恵子だと分からないツルンとした顔で、キンギョというあだ名の派手な女を演じている。彼女が池部良淡島千景の夫婦を危機に陥れる不倫の恋人だが、脇を固めるいつもの小津組、つまり笠智衆山村聡杉村春子高橋貞二、須賀不二夫、田中春男達の中で、彼女は明らかにこの映画に異質なトーンをもたらしている。

さて、ストーリーは大体次の通り。杉山(池部良)と昌子(淡島千景)は以前に子供を亡くした夫婦で、破綻してはいないまでも円満とは言い難い仲。朝からお互いに不平不満が飛び交う。ある日杉山は友人達とのハイキングでキンギョ(岸恵子)と親しくなり、後日デートした際に関係を持ってしまう。それに気づいた昌子とだんだん険悪になり、ついに激しい口論に発展、昌子は家出する。杉山とキンギョの不倫は友人達の間でも噂になり、キンギョは呼び出されて吊し上げをくらう。そんな折、杉山に岡山県の田舎への転勤の話が持ち上がる…。

という具体に、不倫と夫婦仲の危機がメインのプロットだが、それ以外にも色々なサブプロットが盛り込まれている。まず目立つのが、サラリーマン人生の空しさ。小津映画では通常堅実な社会人というイメージで、あまり否定的には描かれないサラリーマンだが、本作では珍しくそれが重要なテーマとなっており、映画を通して何度もリフレインされる。序盤のシーンで会社員の笠智衆がもう会社を辞めたいといい、それを聞いている山村聡は数年前に脱サラしてバーを経営している。中盤では山村聡がサラリーマンの嫌なところを知らずに死んだ元部下を幸せだと言い、終盤になって定年間近というバーの客(東野英治郎)が、31年間のサラリーマン人生のはかなさについて慨嘆する。

それから病死する杉山の同僚、三浦。彼は物語の最初の頃から体を悪くして入院していることが何度も話題に上り、見舞いに行く行かないという会話があったり、杉山が不倫の逢引をする言い訳に使われたりするが、後半になって杉山がようやく見舞いに行った直後、死んでしまう。彼の登場シーンはたった一度しかないが、映画全体に不吉な影を投げかけている。また、杉山が見舞った時に長岡輝子演じる母親との短い会話があるのだが、私(母親)も東京へ出て来て息子と一緒に暮らそうと思っている、息子にはこれから嫁さんをもらって欲しい、との内容が悲しく、直後の三浦の死の虚無感がいや増す仕掛けになっている。

もう一人、杉山の友人で妻の妊娠に悩む男(高橋貞二)も登場する。妻に妊娠したと告げられて絶句し、子供を持つ財政的余裕がとてもないため一人で悶々と悩むのだが、杉山になんとかなると言われて気を持ち直す。当時若いサラリーマン夫婦の生活がどの程度大変だったか知らないが、これを見るとそう楽ではないようだ。

という具合に、不倫によって壊れる夫婦仲や病死する同僚、サラリーマン人生の空しさなど、全体に暗く、不穏さに満ち溢れたフィルムで、小津のミニマリズムでこういうのをやられると、とてつもなくヒリヒリする。不倫なんて映画やドラマではありふれた題材だが、愁嘆場や諍いの芝居というのは大体パターン化していて、そういう紋切り型の芝居では観客もそれほど動揺しないものだ。ところがこの映画では紋切り型の派手な喧嘩や愁嘆場のシーンがないかわりに、昌子が一人で暗い部屋に座り、黙ってうちわを振っている、みたいなさりげないシーンにものすごい緊張感が漂う。やはり小津映画では、不倫の描写も一味違うのである。

で、そんな暗い雰囲気の中、酔っ払って登場する三井弘次と加東大介の破壊力がもの凄い。杉山が戦友の飲み会に出かけ、夜遅くに酔っぱらった二人を連れて家に帰ってくるのだが、この二人はラジオの技術者と工場経営者と両方とも自営業らしく、明らかに会社員の杉山とは違う傍若無人なオーラを発し、しかもべろんべろんに酔っぱらっていて手に負えない。杉山が帰るというのに無理やり家までついてきて、夜中の一時過ぎに酒を飲ませろとねだり、ないと言われると買いに行こうとする。不機嫌になっている昌子のすぐ横に座り込んで色々と話しかけ、そもそも杉山との仲が冷え込んでいた昌子を激怒させる。いやもう、このシークエンスではこころゆくまで笑わせてもらった。三井弘次、加東大介という役者のチョイスが素晴らしい。特に三井弘次の酔っ払い演技は天下一品である。

そしてそのまま泊まり込み、翌朝になるとすっかり記憶をなくしているのがまた笑える。

さて、危機に陥った杉山家の夫婦仲は杉山の転勤というきっかけでなんとなく戻る。あれが物足りない、または説得力がないと批判する意見もあるようだが、私はあれでいいと思う。確かに杉山のもとに戻る決心をした昌子の心理は直接描写されないが、その前に母から「そんなに意地張ってたら本当にダメになっちゃうよ」と忠告されたり、仲人の笠智衆から「間違いは間違いとして、折れるところは折れないと。そうやってほんとの夫婦になっていくんだよ」と手紙で説得されたりし、その中でだんだんに気持ちが落ち着いたということだと思う。

そもそも母親と口論していたあたりから昌子の心の揺れは微妙に描写されていて、彼女は振り上げた拳の下ろしどころに困ってる感じを漂わせ始めていた。そのあたりの曖昧さを曖昧なままに表現できるのが、小津の素晴らしさだ。本当に大事な人間関係というのはそういうもので、そうそうロジカルに決断されるものではない。日本的かも知れないが、家族は赦し合っていかなければならない、というのが本作のメッセージではないだろうか。暗い雰囲気で好みが別れる映画だが、やはり完成度は素晴らしい。

ところで、昔の日本映画を観ていると皆で歌を歌うシーンがよく出て来るが、あれは現代では絶対にないな、と思うものの一つである。もちろんカラオケなんかじゃなくて、飲みの席で急にみんなで声を合わせて歌い始めるのだ。この映画でも杉山の友達連中がみんなで歌うシーンが出て来るが、昔の人は実生活でもあんな風に皆で歌を歌うのが自然だったのだろうか。あるいは、あれは映画特有の演出なのか。どうもよく分からない。