最後の証人

『最後の証人』 柚月裕子   ☆☆☆☆

所有する文庫本で再読。これは佐方貞人シリーズの第一作目で、ここで初登場する主人公・佐方は弁護士である。元検事の弁護士という設定だが、二作目からは時間を遡って検事時代の話になる。今のところ、シリーズ中で弁護士時代の話はこれだけのようだ。それから二作目以降は全部短篇集で、長編も第一作目のこれだけである。

本書の内容を一言でいうと、子供を亡くしたある夫妻の復讐の物語である。いきなり、あるホテルの一室での殺人シーンから物語がスタートする。その結果裁判が起き、佐方弁護士が被告人の弁護に立つわけだが、この小説には色んな仕掛けが施されている。

一つは、時系列のシャッフル。これは貫井徳郎氏などもよくやる手法だが、過去、悲劇に見舞われた夫妻が復讐を決意するまでの経緯と、現在進行形の裁判の模様。この二つが並行して進む。もう一つは一種の叙述トリックで、後半、それまでの読者の先入観を大きく覆すような展開になる。ただし、これは早い段階で気づく読者も多いかも知れない。それとも関係するが、最終的な復讐計画の形が終盤まで分からないのも重要な仕掛けの一つだ。

そして本書の読みどころとしては、この夫妻を襲う悲劇そしてそれに続く経過のあまりの厳しさ、残酷さと、それに打ちひしがれそうになりながらも必死に手を取り合って進む夫婦の絆の強さだと思う。その部分になるとここぞとばかりに柚月裕子の筆が冴え、物語をひときわ感動的に盛り上げる。

では夫婦を襲う悲劇とは一体何かというと、これは序盤で分かることなのでネタバレにはならないと思って書くが、子供の交通事故である。まだ10歳ぐらいの二人の子供が、自動車に轢かれて死んでしまう。一緒にいた同級生が運転手は酒を飲んでいた上に信号無視をしたと証言するのだが、その男が有力者だったため、政治的理由で不起訴になってしまう。父親は必死の思いで警察に抗議に行くが、子供の証言なんて当てにならないと一蹴されてしまう。

理不尽である。実際にこんなことが起きたら、遺された親は気が狂いそうになるに違いない。遺族夫婦はごく普通の一般市民なのだが、彼らを法を犯す復讐者にまで追い詰めていく警察機構の冷たい官僚性が強く印象に残る。読者は全員、この夫婦の激しい怒りに共感するはずだ。

さて、夫婦を襲う不幸の連鎖と並行して現在の裁判の模様が語られるのだが、先に書いた通り、具体的にどんな事件が起きたのか=復讐計画の全貌がなかなか分からない。裁判の模様を描きながらそこを隠しておくのはかなり作者も苦労しただろうし、そのためにところどころ不自然さも目に付くが、とにかく分からない。裁判はさまざまな証拠を揃えた検察側の圧倒的有利で、この裁判で負けはないと確信している。

そこに挑む佐方弁護士、というこのミッション・インポシブル的法廷劇はなんとなくロバート・ベイリーの「プロフェッサー」シリーズを思わせるが、佐方弁護士のキャラがあまり熱くなく、むしろ低温でポーカーフェースなため、法廷シーンはわりと淡々と進む。だから激しい法廷戦術の応酬を期待する人には、ちょっと物足りないかも知れない。

ちなみに、裁判で敵対する女検事は佐方の検事時代の上司の部下で、「佐方は優秀だ、気をつけろ」と上司からアドバイスされ、ライバル心を燃やすという設定もある。またその関係で佐方がなぜ検事を辞めたのかという経緯も出て来る。シリーズ二作目以降で佐方検事の活躍を知っている読者には興味深いはずだ。

さて、そんな風に法廷劇は割と淡々と進み、佐方弁護士の活躍も大したことはなく、あんまり冴えないなと思っていると、終盤になって怒涛の反撃に出る。そして一気に事件をひっくり返してしまうのだが、その時の佐方の、ちょっとした不自然さから事件の背後にあるものを見抜く洞察力と、事件を的確に再構成する緻密な推理力が第二の読みどころだ。これこそまさに佐方シリーズの醍醐味で、二作目以降の短篇集でもこれが最大の持ち味と言っていいと思う。トリック云々ではなく、「動機」を見通す洞察力。彼は検事時代に上司から「法ではなく人間を見ろ」という教えを叩き込まれ、弁護士になった今でもそれが信条としている。

本書の出版はもう10年前だが、全体にいささか勧善懲悪の色が強く図式的なところや裁判のディテールにゆるさを感じるのが、今や第一線のベストセラー作家である柚月裕子氏がまだ発展途上だった頃の名残りかも知れない。法廷劇としての丁々発止はあまりないし、圧倒的有利という設定の割には検察側の立証も甘い。が、それを差し引いても十分に面白い法廷ミステリだった。