日本のいちばん長い日

『日本のいちばん長い日』 岡本喜八監督   ☆☆☆☆☆

日本版ブルーレイを購入して鑑賞。前々から傑作だとは聞いていたが、三船敏郎切腹する場面のジャケット写真がイヤで観るのを避けていた。大体岡本喜八監督は『斬る』のように洒脱で痛快な映画もある一方、『侍』みたいに陰惨過ぎて引いてしまうものもある。が、みんながあまりに面白いというものだから気になって、ついに購入した。

約三時間の大長編映画だ。が、結論から言うと不安はまったくの杞憂だった。岡本喜八監督の美質が見事なまでに発揮された、素晴らしく面白い映画である。ヘビーな題材なので多少陰惨な部分もあるけれども、ストーリーは知的に構成され、緩急のバランスも良く、重量感も申し分ない。まさに歴史に残る傑作と言っていいだろう。

日本人なら誰でも知っている通り、太平洋戦争で連合国からポツダム宣言を突きつけられた日本はついにそれを呑み、天皇自らの「玉音放送」で国民に敗戦を知らせる。この映画は、天皇と政府が「ポツダム宣言を受諾する」と決断したその瞬間から、玉音放送が流れる翌日正午までの約一日間を描く映画である。

たった一日の話だが、なんせそれまで戦争に負けたことがなかった日本、敗戦なんて天地が揺らぐほどの大事件だ。今の私たちには想像すらできないレベルの、天動説と地動説が入れ替わるほどの民族的大衝撃だったのである。閣僚の意思統一はとれないし、そもそもどうやって国民に知らせたらいいのか、前線で戦っている兵士達になんと言えばいいか、連合国側へはどう対応すればいいのか。すべてはまったく未知の世界。一つ間違えれば日本という国は地上から消滅する。が、じっくり考えている暇はない。早くしないと明日にも連合国軍が上陸してくる。

ここから文字通り「日本のいちばん長い日」がスタートするわけだが、この映画は大きく二部構成になっている。前半はひたすら閣議閣議の連続。この未曾有の「敗戦」という事態をどう処理し、いかに山積する課題問題を潰し、どうタスクに落とし込み、事態を前に進めていくか、いわば史上最高最大難度のプロジェクト・マネジメントの物語だ。

実際にプロマネをやったことがある人なら、ポツダム宣言受諾だけ決まって他は何もないところから何をどうすればいいかちょっと考えてみて欲しい。マニュアルもフォーマットも何もない、前例もない、調べている時間もない。超難問である。

まず国民にどう知らせるか。天皇陛下が自ら語ろうと仰ってる、じゃあ生放送にするか、あるいは録音か。録音の原稿はどうするか、いつ発表するか。急がねばならないから明日の朝早く。いや早朝はみな仕事に出るのでよくないだろう、正午がいい。今夜のうちに予告しておいて、必ず聞くように告知しておけば。いやいや前線の兵士はどうする、事前に知らせとかないと大混乱を招くぞ。こんな議論が延々と続く。

放送時間が決まると今度は原稿作りだ。ここでも言葉ひとつをめぐって大激論。「戦勢非にして」か「戦局好転せず」かで、陸軍大臣海軍大臣が揉めに揉める。「戦勢非にしてでは、これまで死んでいった人々に申し訳がたたない!」と陸軍大臣が机を叩けば、「負けたことは率直に知らせるべきだ、国民に嘘はつけない!」と海軍大臣が吠える。

おまけに大事な用があるといってちょくちょく席を外す。出来上がるのを待っている外務省の役人(連合国に回答しなければならない)は「6時には終わるんですね? 確かですね?」と言っていたのが7時になり、8時になる。「もう限界です!」と悲鳴が上がるが、「もう少し、もう少し待って下さい!」と会議の担当者も食い下がる。いやー、分かり過ぎるぐらいよく分かる。組織の手続きや調整とは死ぬほど面倒なものなのに、ましてそれが一国の「敗戦」ともなれば、もう言語に絶するややこしさだ。

文言が決まったら担当者が懸命に清書するが、そうしているうちに「おい大変だ、直しが入った!」「え!」絶句する。または「おい、ここ間違ってるじゃないか!」と怒号が飛ぶ。「しょうがない、横に小さい字で書いとけ」いざ玉音盤が出来上がると、それを誰がどこに保管しておくかが問題になる。こういう、死ぬほど泥臭い作業がスリリングかつアイロニカルに描写されていく。筒井康隆あたりが毒気たっぷりにドタバタ喜劇にしたら面白くなりそうな場面だ。

そしてようやく、前半終了。閣僚たちは全員ヘトヘトで「やっと終わった」と呟くが、仲代達也のナレーションが非情にも「ところが、日本の一番長い日はまだやっと半分が経過したところだった」と告げる。と同時に、休む間もなく後半へ突入。後半はアクションたっぷりクーデター篇である。日本の敗戦をどうしても受け入れられず、前半からチラチラ不穏な動きを見せていた陸軍の一部が、ついに暴走を始める。

これこそまさに、狂気の暴走である。中心になるのは陸軍の若い士官たちだが、彼らは帝国軍人たるもの戦争に負けるぐらいなら死ねと叩き込まれ、その上に自我のすべてを築き上げてきた人間達だ。「降伏しよう」という思考回路はない。だから内閣の「敗戦」の決定は「亡国の徒の妄言」以外の何物でもなく、彼らは聖なる使命感に突き動かされ、師団長を説得しに出かける。拒否されると錯乱し、刀を抜いて師団長を斬り殺す。そして命令書を偽造し、兵を動かして皇居を「保全」する。我らこそ皇軍だ、と狂気の雄たけびを上げながら…。

この後の怒涛の展開は映画を観てもらいたいが、いやもう凄まじい迫力である。叛乱を起こすのは一グループだけでなく、あちこちで似たような軍人たちが同じ行動を起こす。総理大臣宅を襲撃する連中もいれば、玉音盤を探して宮内庁を荒らし回る連中もいる。これほどの狂気がいったん膿のように噴出しなければ、日本は敗戦というものを受け止めることが出来なかったのだ。この映画を観ながら、私はつくづく思った。やっぱり歴史は、教科書を読むだけじゃ絶対に理解できない。

さて、この映画はストーリーも凄いが、物語の中へ錚々たる名優たちが次々と参加してくるこのワクワク感といったらないのである。志村喬宮口精二中村伸郎高橋悦史、藤田進、土屋嘉男、小林桂樹加東大介神山繁、挙げていけばきりがないが、中でも強烈な存在感を見せるのが総理大臣の笠智衆陸軍大臣三船敏郎海軍大臣山村聰の三人。陸軍大臣三船敏郎は一番強固な敗戦反対派で、閣議をかき回すが、そのかわりいったん決まったことには従う良識も持っている。前半の終わり、すべてが決まった後に彼が総理大臣に言う、色々と激しいことを言いましたがこれもすべてこの国を思ってのこと、というセリフがずっしり重い。そしてそれを、分かっています、と柔和に受け止める笠智衆がまたいい。心に残る名場面である。

そして後半のクーデター篇で中心になるのは中丸忠雄黒沢年男久保明の三人だが、特に黒沢年男の取り憑かれたような目つきは凄まじいの一言。まさに狂気の沙汰だ。師団長が動かなければ諦める、と最初は言うがそんなわけはなく、反対されようものなら叫んだりわめいたりしてどこまでも暴走していく。彼に比べれば冷静に見える中丸忠雄がいわばブレインで、破綻しそうになっても「我々が官軍なのだ」「まだ手はある」と自信たっぷりに異常な論理を駆使し、叛乱チームを鼓舞し続ける。

その他、前線や横浜でも同じく軍人たちがクーデターを起こす、あるいは命令無視して戦争続行しようとするが、これらを演じるのは天本英世佐藤允、伊藤雄之らである。恐ろしいのは横浜警備隊長の天本英世で、民間兵で構成される横浜警備隊を率いて「奸臣どもを誅殺すべく」総理の私邸を襲撃する。ミイラのようなガリガリの顔、取り憑かれたような目。部下に命令する時は常に絶叫。確実に狂っている。聞いているだけで頭がおかしくなりそうだ。

しかし一番恐ろしいのは、そんな彼らに悪いことしている自覚は微塵もないことである。むしろ全員が、全身全霊をこめて日本を救おうとしている。私利私欲より恐ろしいのはイデオロギーだと、心から思い知らされる。彼らにしてみれば自分達こそまともで、閣僚たちこそ腐敗しているのだ。敗戦は彼らが崇拝する天皇陛下の判断なのに、「陛下もこの気持ちを知れば必ずや」などと都合よく解釈し、皇居を襲っておきながら「お守りする」などという。狂信的な正義感がどんな悪意より始末に負えないことを如実に示すシーンの連続である。

この映画は端役に至るまで有名俳優で固めているが、端役ながら印象に残ったところとしてはまず宮内庁の役人、小林桂樹。玉音盤を保管する係だが、叛乱軍に脅されても毅然と立ち向かう姿がとても印象的だった。それからラジオ局のアナウンサー、加山雄三黒沢年男に銃を突きつけられても、マイクを明け渡すことを拒否する。

そして、狂気が荒れ狂う一夜が白々と明け、運命の日、八月十五日がやってくる…。

2時間半があっという間だ。いやーこんなに面白い映画だと知っていたら、もっとはやくに観ておくんだったなあ。