バロック協奏曲

バロック協奏曲』 アレホ・カルペンティエール   ☆☆☆☆★

所有している文庫本で再読した。本書は水声社の「フィクションのエル・ドラード」シリーズでも出ているらしいが、私が持っているのは以前日本に帰国した時に大枚はたいて買ったサンリオ文庫版である。

カルペンティエールはガルシア=マルケスより20歳ぐらい年長の、いわゆるラテンアメリカ文学第一世代の作家で、マジック・リアリズムの先駆者とも言われている。私は彼の初期長編『この世の王国』が大好きで、ハイチの黒人奴隷の叛乱を描くこの小説には火あぶりになる反乱者、独裁者アンリ・クリストフ、緑の中の白亜の大宮殿などが登場し、超現実的な事件も起き、まさにマジック・リアリズムのめくるめく幻想性と物語性が渾然となった傑作である。『百年の孤独』の大体20年近く前、1949年に発表された作品だ。

一方、この『バロック協奏曲』は1974年とだいぶ後期の作品で、『この世の王国』とは随分と雰囲気が違う。まず長さは中篇程度で、かなり短い。ストーリーは説明が難しいが、簡単に言うとメキシコの大金持ちが念願のマドリッド詣でをしようと言って従者を連れてマドリッドに行き、次にヴェニスに行き、そこでオペラや演奏会を見てメキシコに帰る、という話である。途中マドリッドに幻滅して「これじゃメキシコシティの方がまだいい」と思ったり、疫病で従者が死んで替わりに黒人ギター奏者を召使にしたりする。

その話のどこが面白いの、と言われそうだが、ポイントは全篇に溢れる音楽とメキシコの歴史の虚構化だと思う。そもそも文体も特徴的で、わざと擬古的な文体にしてあることに加え、冒頭から洪水のようなオブジェの羅列が読者を襲う。主人公の「主人」が旅支度をする場面なのだが、こんな具合である。「薄い銀のナイフ。細身の銀のフォーク。銀の底に彫りつけられた銀の樹木の茂みに、ステーキのたれが降りそそぐ、銀の皿。銀の柘榴の実をいただいた三個の円形の台からなる、銀の果物皿。銀細工師が丹精こめて打った、銀の酒壺。縺れ合った藻の上に大ぶりな銀の鯛を泳がせている、銀の魚皿。銀の塩入れ。銀の胡桃割り。イニシャルで飾られた銀のティースプーン…」

この執拗なオブジェ羅列、言葉の羅列によって世界を埋め尽くすテクニックはあちこちで使われ、この小説世界をきらびやかに、マニエリスティックに、バロック的に装飾する効果を上げている。それから文体の特徴として忘れちゃいけないのはファルス風の滑稽感が基調のトーンになっていて、登場人物達とその言動はすべて、どことなくデフォルメされているということ。マジック・リアリズムといえばマルケスもそうだし『この世の王国』もそうだが、憂愁を帯びた黄昏の世界という印象があるけれども、本書はそうではない。擬古調といいオブジェの羅列といい滑稽感といい、むしろ絢爛豪奢なエドガー・アラン・ポーのファルスを引き伸ばしたような印象の中篇である。

で、そうした雰囲気の中で大きくフィーチャーされるのが音楽である。この物語には最初から最後まで音楽が溢れている。このことについてはあとがきで詳しく解説されているけれども、カルペンティエールはもともと音楽に造詣が深い作家で、彼の小説と音楽とは切っても切れない深い絆で結ばれている。本書ではそれがもっとも分かりやすい形で顕在化している、と言っていいかも知れない。まずはオブジェとして楽器が色々登場し、前述したように黒人のギター奏者や音楽家や合唱団や実在した作曲家ヴィバルディなども登場し、やがてハイライトというべきオペラ・シーンへと至る。

このオペラがまた曲者で、題材がメキシコの歴史、つまりスペインの征服者にメキシコが侵略された事件なのだが、それがいい加減に歪曲されている。要するにインチキであり、デタラメなのである。それで主人公がオペラの作者に文句を言うと、史実なんか気にするな、それよりこっちの方がオペラとして盛り上がるじゃないか、などと言われる。つまりこれも一種のパロディであり、歴史を異化する実験とも言える一方で、全体にファルス調なので単なる悪ふざけとも取れる。

更に、カルペンティエルは『時との戦い』や『失われた足跡』のように時間の流れをいじるのが好きな作家なのだが、本書でもそれが発揮されている。終盤に差し掛かったところで、急に歴史の流れが加速するのである。このカルペンティエールの癖を知らない読者は読んでいて激しく戸惑うのではないだろうか。それまで中世が舞台だったはずなのに、最後にいきなりルイ・アームストロングが出て来るのだ。オペラからジャズまで、一気に飛んでしまうのである。

こんな風に、大して長くない中にオペラからジャズまでの音楽、歴史の歪曲、擬古調、オブジェ羅列、デフォルメ、時間の加速まで盛り込んだこの小説は、もし筒井康隆がメキシコに生まれていたとしたら、悠々自在の境地に達した最晩年あたりに書いたかも知れない小説、といった雰囲気を漂わせている気がするのだが、皆さんはどう思われるだろうか。少なくとも、古典的なマジックリアリズムである『この世の王国』とは、だいぶ趣きが違う。

ちなみに本書にはもう一篇、ノアの箱舟のパロディ「選ばれた人々」が収録されているが、これも皮肉と風刺に満ちたエセ神話というべき作品で、カルペンティエールの曲者ぶりが遺憾なく発揮されている。