推し、燃ゆ

『推し、燃ゆ』 宇佐美りん   ☆☆☆★

話題の芥川賞受賞作を読んでみた。いつもは賞を獲ったからといって購入したりはしないのだが、今回は「推し、燃ゆ」というタイトルのセンスにもしやと思って買った。新しい日本文学が登場したんじゃないか、つまり、従来の日本文学が持つ湿り気や重たさから解き放たれた新感覚な小説なんじゃないか、と思ったからだ。私はどちらかというと「いかにも芥川賞」な小説が苦手なのである。

で、実際に読んでみたわけだが、その結果は予想に反し「いかにも芥川賞」な内容だった。もちろん芥川賞受賞作にも色々あるのは知ってるが、私の中にある芥川賞の最大公約数的イメージは湿っていて重たく、巧みな比喩やレトリックが駆使され、日常描写の中に生きづらさや鬱屈が吐露されているタイプの小説だ。本書はまさにそういう小説である。その意味では期待したものとは違っていて残念だった。ただこの手の小説としては、本書はかなり良い出来だと思う。文章は達者だし、ストーリー構成も自然だし、心理描写も巧みだ。若干21歳でこれを書いた著者の才能は確かだと思う。

その上で個人的な好みの話をすれば、やっぱりこの鬱陶しい雰囲気がどうも苦手である。こういう悶々とした湿り気をきれいに払拭して登場した村上春樹はやはり革新的だったわけだが、それから40年たった今でも芥川賞を獲るのはこの手の小説なんだなあ、と思ってしまった。文章もいわゆる文学的な比喩やレトリックが多用されている。私はタイトルのセンスからSNS的な簡潔でサバサバした文章、たとえば内田春菊が書く小説みたいにふっきれた、「非文学的」な文体を想像したのだが、全然そうじゃなかった。それから生理的イメージも頻出する。生理的イメージの頻出は私が考える「いかにも芥川賞」な条件の一つなのだけれども、ちょっと本書から引用してみる。

「腿の裏に寝汗をかいていた」「ふたつの大きな目と困り眉に豊かに悲しみをたたえる成美の顔を見て」「(プールに)入ってしまえば気にならないのに、タイルの上を流れて来る水はどこかぬるついている気がする。垢や日焼け止めなどではなく、もっと抽象的な、肉、のようなものが水に溶け出している」「肉体は重い。水を撥ね上げる脚も、月ごとに膜が剥がれ落ちる子宮も重い」

まあ大体感じは分かっていただけると思う。さて、あらすじは次の通り。主人公は「推し」を推す、つまりアイドルタレントの追っかけが生き甲斐のティーンエージャーの少女で、彼女は色んなことがちゃんと出来ないと母親から叱られ、居酒屋のバイトも首になり、しまいには高校も辞めることになる。おそらく発達障害か何かのようだが、その点ははっきりと説明されない。彼女はそれに悩み、世界との違和感に苦しんでいる。そんな彼女にとって、推しを推すことが生きている証であり、推しを推す時だけが生きていると感じられる時間である。

その推しがファンを殴って炎上し、謝罪し、やがてグループ(推しはグループの一員である)そのものが危機を迎える。主人公はSNSを見たりブログを書いたりコンサートに参戦したりしながら、その推移を祈るような気持ちで見守っている。やがて推しが引退すると決まった時、彼女は自分の人生はもう終わった、これからの人生はもはや余生だ、とすら感じるのだったが…。

大体こんな話で、要するに主人公の日常描写と内面描写が大部分だ。推しが燃える経緯や理由は特に追求されず、ぼかされているのでよく分からない。だから「推し」とか「炎上する」とか、それがもたらす社会的影響やメカニズムのようなものは本書のテーマではない。著者の関心はあくまで主人公の内面であり、個人の内宇宙である。著者も主人公に寄り添い、彼女の葛藤や生きづらさを内側から描いていく。私が(村上春樹以前の)日本文学的であり、既視感が強いと感じるのはこのアプローチも理由の一つだ。

個人の内面描写や心理描写こそ小説の命と考える人もいるようだが、私は必ずしもそうではないと思う。小説がテーマを掘り下げるにはそれ以外にも、たとえばマキューアンやテッド・チャンのような思考実験的アプローチ、クンデラのようにメタフィクションでテーマを考察するアプローチ、ボルヘスカフカのような寓話的アプローチ、マッカーシーバロウズ(の一部の作品)のように外面描写に徹するアプローチなど、色々ある。もし本書の題材でイアン・マキューアンが小説を書いたとしたら、「推し」やSNSの炎上がどのように社会的コンテキストに影響するかを思考実験し、主人公の生きづらさなどには大して重きが置かれないだろう。そして実を言えば、私は近頃はそういう小説の方に魅力を感じるのである。

ちなみにアマゾンのカスタマーレビューを覗いてみると、本書の評価は賛否渦巻いている様子だ。内容が薄いという人もいれば凄い才能だという人もいる。いずれにしろ、著者はまだ若い。ここを出発点にまだまだ変わっていくだろうし、彼女が自分自身の世界を見つけるのはこれからだろう。

ついでに書いておくと、アマゾンのレビューではオタの人の書き込みが面白かった。本書で書かれている「推し」の内容は浅いとか、こんなもんじゃないとか、推しが燃えた時の対処法を求めて読んでも書いてありません、などという警告まである。そんなものを求めてこの本を読む人がいるのだろうか。いるのだろうな。他にも、本書みたいに男女混合グループのメンバーを推したりしたら嫉妬で地獄、とか、にわかと古参では語り合えない、とか、驚くほど専門的な、ディテール・オリエンテッドな指摘がなされている。すごい。

世の中には本物の「推し」の世界があるのだ、ということを垣間見た気持ちである。