フリック・ストーリー

『フリック・ストーリー』 ジャック・ドレー監督   ☆☆☆☆

日本版ブルーレイを購入して鑑賞。1975年公開作品で、一時期(特に日本で)、美形俳優の代名詞として一世を風靡したアラン・ドロンもその人気に陰りが出てきた頃だというが、こうして見るとやっぱり十分かっこいい。ちょうど40歳ぐらいの頃だ。本作では有能な刑事役で、登場するシーン全部の90%でくわえ煙草をしている。それがまたよく似合っている。

本作は刑事と凶悪犯の攻防を描く犯罪ものだが、フィクションではなく警察官の自伝がベースになっていて、主人公のボルニッシュ刑事も凶悪犯エミール・ビュイソンも実在する。この実録ものという点が本作の特徴で、荒唐無稽なアクションシーンや派手な演出などない代わりに手堅くリアリスティックで、渋い警察ものという印象である。映画の冒頭で、ボルニッシュ刑事役のアラン・ドロンの声でナレーションが入り、自分のキャリアの中で一番記憶に残っている犯罪者としてこの凶悪殺人犯エミール・ビュイソンが紹介され、物語が始まる。アラン・ドロンの出演作の中には箸にも棒にもかからないようなものもあるけれども、本作はかなりの良作だと思う。

そして、そのエミール・ビュイソンを演じるのがジャン・ルイ・トランティニャン。刑事役のアラン・ドロンがどれほどかっこよくても、どれほど美男子でも、この映画の中心で強烈な存在感を放っているのはこのトランティニャンである。これは彼の映画だ。史上稀に見る凶悪な殺人犯で、大体において無表情だがその中に酷薄さと狡猾さを滲ませ、ごく簡単に、何の躊躇もなく人を殺す。その冷血ぶりは仲間が怯えるほどである。次に誰をいきなり殺すか、観ていてドキドキする。トランティニャンは『離愁』では内気な修理工を演じていたが、顔が同じなのにこれだけ雰囲気が変わるってやっぱり俳優は凄い。

おまけに、それだけ凶悪で暴力的な男でありながら、静かにしていると不思議に内省的な雰囲気を漂わせる。二面性を感じさせ、それがこの男のつかみどころのない魅力となっている。ラスト近く、食堂でピアノを弾くカトリーヌ(クローディーヌ・オージェ)に礼儀正しく話しかけ、ピアフの曲をリクエストする場面などにそれがよくあらわれている。彼の印象を聞かれたカトリーヌは「きれいな目をした人だわ」と答える。

さて、一方のアラン・ドロンだが、彼は本来チャールズ・ブロンソンみたいな男くさいキャラと組んだ時に、その怜悧な美貌がもっとも引き立つタイプの俳優だと思う。『さらば友よ』はその典型だ。その点でいえば本作のトランティニャンはむしろドロンに近いタイプの男優なのだけれども、この二人のコントラストはまた違った味わいがあって愉しめる。両者ともいかにもフランスらしい色男なので、色男対決と言っていいだろう。トランティニャンが謎めいた危険な香りを漂わせるのに対し、本作のドロンは優秀な刑事であり、誠実な、頼りがいのある壮年の男である。数人の部下を率いるリーダーで、横暴なタイプではなく理性的。乱暴な尋問をする部下に、拷問をするな、そんなことをすれば凶悪犯以下だぞと諭すシーンがある。婚約者のカトリーヌとの仲睦まじいシーンが多いのも、その印象を強める。

彼は新聞に「スーパー刑事」と書かれるほど優秀らしいが、この事件ではよく上司から怒鳴られ、むしゃくしゃしながら捜査しているのが人間くさくていい。クライマックス近く、彼がたった数人でビュイソンの逮捕に向かったと知って上司が「ボルニッシュの野郎!」と怒号するところでは大笑いした。

ボルニッシュは密告者からの情報でビュイソンを追い詰めるが間一髪で取り逃がし、ビュイソンは裏切り者を次々と消していく。そしてその合間に強盗や殺人を重ね、ボルニッシュは上司から繰り返し怒鳴られるという展開が続く。しまいには捜査から外されてしまうが、たまたま担当した死体がまたしてもビュイソンの犠牲者だったので、ボルニッシュは上司の干渉そっちのけでこの凶悪な殺人者を追い詰めていく。

印象に残るのは、ボルニッシュがビュイソンの仲間である通称「のっぽのポロ」に密告を迫るシーンである。ボルニッシュはポロの妻が肺病で入院していることを調べ上げ、ポロと会う。「仲間を売れるか」と拒むポロに、今監獄に入ったら奥さんと二度と会えなくなるぞ、それでもいいのかと脅す。奥さんより、あんな人殺しの方が大切なのか、と。ポロは自分の運命が尽きたことを知り、「胸がムカムカしてきた」と呟く。するとボルニッシュも言う。「おれもだ……しかし、こうするより仕方がないんだ」

こういう場面に漂うしみじみした哀感と、人生の切なさのような情緒は、ハリウッドの刑事ものにはないヨーロッパ映画ならではの魅力だと思う。

さて、ビュイソンの居場所とつきとめたボルニッシュは刑事二人とカトリーヌを連れて、通りがかりの客を装ってレストランに入る。カトリーヌがピアノを弾いているとビュイソンが入ってくる。ビュイソンはじっとカトリーヌの演奏を聴き、話しかけ、ピアフの曲をリクエストする。ボルニッシュたちは世間話をしながら食事を始めるが、その実、ビュイソンの一挙手一投足に神経を尖らせている。ビュイソンがいつでも自爆できるよう手榴弾を身に付けていることを、彼らは知っているからだ。ビュイソンはテーブルに腰かけて、一人で食事を待つ。彼はボルニッシュたち四人の食事風景をじっと眺めている。

この場面は物凄い緊張感だ。ボルニッシュはレストランの主人に電話をかけてくれ、と頼む。彼らは病院へ向かう医者のふりをしている。交換手と話した主人は、この番号は病院じゃないそうですよ、と大声を出す。ヘンだな、と言ってボルニッシュが立ち上がる。そんなボルニッシュをビュイソンが目で追う。もしもし病院ですが、はい私です、3時頃には着くと思います、とニセ電話で喋るボルニッシュ…。

さて、詳しくは書かないが結局ボルニッシュはビュイソンの逮捕に成功し、この凶悪殺人犯の取り調べ光景がエピローグとなる。ここで再びアラン・ドロンのナレーションを私達は聞くが、ボルニッシュとビュイソンの間に友情めいた共感が生じた、というのは伝記映画ならではだろう。フィクションのノワールだったら、あのビュイソンが逮捕された後刑事と仲良くなるとはとても思えない。いずれにしろ、この二人が同じ部屋でそれぞれ新聞を読んだり、ワインを飲んだりする光景には奇妙に穏やかな感慨がある。

しかしそんな中、密告したポロに話題が及んだ時、それまで物静かだったビュイソンが「首を斬り落としてやりたい」と凶暴さを剥き出しにするシーンが強烈な印象を残す。

75年公開と古い映画だが、このブルーレイの映像はとても鮮やかで、フランスの街並みや田舎のひなびた風景を見ているだけでうっとりしてしまう。加えて抒情的な音楽と、美しくスタイリッシュな名優たち。この時代のフレンチ・ノワールにはやはり現代映画にはない、熟成したワインのような香り高い情緒があると思う。