フォックス家の殺人

『フォックス家の殺人』 エラリイ・クイーン   ☆☆☆☆★

『災厄の町』に続く、ライツヴィルもの第二作目。これも『災厄の町』に似た暗いトーンで、家族内の悲劇が扱われる。夫婦の愛情や嫉妬のドラマが濃密に展開する序章はまるでアガサ・クリスティーのミステリを思わせ、殺人事件が単なる記号かゲームのようだった初期のクイーン作品と比べると、もはや別人が書いたミステリのようだ。作者の関心がパズルから人間ドラマへ移っていることがはっきりと分かる。そして今回エラリイには、12年前に犯人も捕まり裁判も終わっている事件の真相を探るという、前作より更に高いハードルが科せられる。

事件そのものは非常にシンプルだ。家の中で水差しからぶどうジュースを飲んだ妻が死に、夫が逮捕される。死因はジギタリスの過剰摂取だが、その日妻が口にしたのはぶどうジュースだけ。ぶどうジュースを用意したのは夫で、水差しや妻が使ったグラスにジギタリスを入れることができたのも夫だけ。夫は裁判で有罪になり服役するが、一貫して無罪を主張する。12年後、この夫婦の息子が結婚することになるが、自分は父親と同じように狂気にかられて妻を殺すのではないかとの恐怖心にかられ、そのせいで結婚には暗雲が立ち込める。二人に相談されたエラリイは、12年前の事件の真相を洗い直すという難しい仕事を引き受ける。

事件の状況がきわめてシンプルで登場人物も限られているため、ストーリーの起伏ははっきりいって乏しい。また事件そのものも遠い過去に終わってしまっているものなので、現在進行形の殺人事件を扱った『災厄の町』より更に地味と言っていいだろう。そもそも12年前の結論が間違っているのかどうかすら分からず、何か新しい手がかりや証言が出てきたわけでも、新しい展開があったわけでもない。というより、事件を手がけた警察署長はじめ関係者全員が「あれは間違いなく夫が犯人だった、それ以外ありえない」と断言する。だからエラリイがやるのはただのダブルチェックであり、物語の冒頭で特段のミステリーが呈示されるわけではない。ハラハラドキドキ、ワクワクするような課題はないのである。

従って、小説全体が一種独特の静けさに包まれている。クイーン警視やヴェリー部長刑事などレギュラー捜査陣から金持ち、ヤクザ、好青年、執事、チンピラ、美女、悪徳弁護士など容疑者が大勢登場する国名シリーズの華やかさ、にぎやかさとは完全に対照的だ。しかしそんな中にも、エラリイが誰かに襲われて抽斗から何かが盗まれたり、服役している夫に不利な証拠があらためて出てきたりとできる限りの起伏はつけてあり、従って読者が退屈することはないだろう。そのあたりはさすがミステリの第一人者だ。手堅い。

しかしながら、そんな怪しい動きはいくつかありながらも事件の真相解明の方はなかなか進まない。エラリイも、もともと難しい仕事だったんだからと自分に言い聞かせることが多くなる。そうこうしているうちに終盤、意外なところからエラリイの推理が始動し、その結果思わぬ事実が明るみに出る。この推理はシンプルながら論理的かつ明晰で、さすがエラリイ・クイーンと思わせるものだ。そして一同を集めた謎解きの後、最後の最後に襲ってくる真相の衝撃。これも『災厄の町』ほど悲劇的ではないにしろ、同じ類の暗い戦慄がある。ある意味、こっちの方が気が滅入ると言ってもいい。

この全体の流れがとても自然、かつ典雅で、派手さはないにしても珠玉作の名にふさわしい出来だと思う。『災厄の町』では事件の真相というか犯人のトリックにいささか無理があるように感じたが、本書の真相は十分に説得力があり、とても自然だ。エラリイの推理が当てずっぽうではなく論理的である点でも、やはり本書の方が優れている。そして、これだけシンプルな状況にも関わらずなかなか読者が真相に辿り着けないよう、微妙なミスディレクションが施してある。

もし本書の真相を知った読者があたらめて最初から読み返してみると、緻密に緻密に事実を検証していったエラリイと証言者たちのディスカッションの中に、わずかな瑕疵があることが分かるだろう。が、その瑕疵はまるで手品師が片手に注意を惹きつけているうちにもう片手で種を仕込むように、巧みな煙幕が張っているため分かりづらくなっている。というより、今回の仕掛けは一重にその部分の煙幕にかかっていると言っても過言ではない。

あえてもう一つ指摘すると、最後にエラリイが明かす真相のもっとも重要な部分は、実は完全な推測である。何の根拠もなく、それを補強するように見える状況証拠が一つあるに過ぎない。が、事件当時のフォックス家の状況を考えると、その推測に納得できない読者はほとんどいないだろう。事件と状況のシンプルさに、それ以外の可能性が考えられないのだ。そして、その推測によって導かれた真相のあまりにも無残なアイロニーが、ライツヴィルものとしての本書の悲劇性を完成させる。

ストーリーは決して派手ではないが、読後にはしみじみした余韻が広がる。本書はエラリイ・クイーンの諸作品の中でも、人間ドラマ性と推理の論理性の両方がバランス良く優れている傑作の一つである。全体のはかなげな、静謐な印象は好みが別れるかも知れない。アガサ・クリスティーでいえば、本書は派手な『オリエント急行』や『アクロイド殺し』ではなく、いぶし銀のような『ホロー荘の殺人』に相当する作品ではないだろうか。