赤いモレスキンの女

『赤いモレスキンの女』 アントワーヌ・ローラン   ☆☆☆☆★

本書は『ミッテランの帽子』が素晴らしかったアントワーヌ・ローランの近作である。恥ずかしながら私はモレスキンという言葉を知らなかったが、イタリアにあるモレスキン社という手帳のブランドだそうだ。固い表紙とゴムバンドが特徴で、生まれたのは19世紀後半。ゴッホピカソという有名画家や作家が愛用したという。『ミッテランの帽子』もそうだったが、小道具にこだわるローランらしいタイトルだと思う。赤いモレスキンの手帳を使っているということが、すでにヒロインの性格を暗示しているのである。

さて、『ミッテランの帽子』はちょっとファンタジーがかった「おとなのおとぎ話」で、一つの帽子が人の手から手へと渡っていく仕掛けがとても鮮やかだったのに比べ、本書はよりリアリスティックな男女の出会いの物語であり、構成もそれぞれの男女の行動を時系列に追っていくというトラディショナルなものだ。だから『ミッテランの帽子』ほどの「派手さ」はなく、比較すると地味だ。内容的にも、帽子が人々の運命を変えるみたいな奇想天外さはなく男女の心理描写がメインだし、小説としての味わいはより淡々としている。

ストーリーをざっと紹介すると、金箔職人の女性ロールが通りでひったくりにあい、ハンドバックを失う。家に入れなくなってホテルにチェックインした直後、意識を失って病院に担ぎ込まれる。一方、40代の書店オーナー、ローランが通りに遺棄されていたハンドバッグを見つけ、中を開けて赤いモレスキンの手帳を読んだりするうちに、持ち主の女性に関する想像が膨らみ、警察に届けるだけでは気が済まなくなって彼女を探し始める。捜索は簡単にはいかず、女性の正体はなかなか分からないが、ハンドバックの中にパトリック・モディアノのサイン本があったことからローランはモディアノを待ち伏せする。モディアノは滅多なことではサインしないことで有名な作家だからだ。彼は散歩中のモディアノと会話を交わす。

やがてその女性ロールの名前とアパートを発見し、彼女の友人にロールの恋人だと勘違いされたままアパートに入り込み、なりゆきで猫の世話までする。一方で、入院中だったロールはやがて意識を取り戻し、友人の口から見知らぬ人物が自分のアパートに入り込んでいることを知る。帰宅すると、ローランはすでに置手紙だけ残して姿を消していた。彼の名前も連絡先も分からない。わずかな情報を手掛かりに、今度はロールがローランを探し始めるが、捜索は難航する。が、もう見つからないと諦めようとしたその矢先に…。

というようなストーリーである。さっき、よりリアリスティックで淡々としていると書いたが、やっぱりどこかとぼけたオフビート感があることがお分かりだろう。かつ、これは二人の男女が出会うまでを描いた恋愛小説でもある。つまり主人公の二人は終盤近くまで一度も出会うことがないが、にもかかわらず相手の存在をよく知っており、それどころか相手について強烈な関心と興味を抱きつつ、ひたすら相手について想像をめぐらすという小説なのである。そういう意味ではとてもユニークで、さすが『ミッテランの帽子』の作者だけのことはある。一筋縄ではいかない。

そしてもう一つ、これは単なる男女の恋愛物語ではなく、読書と本についての物語でもある。ローランは書店主だしロールもモディアノの愛読者、というようなことだけでなく、あらすじのところで書いたように本書には実在の作家パトリック・モディアノが堂々と登場する。しかもかなり重要な役割で。あとがきにもあるが、そもそもアントワーヌ・ローランはモディアノを深く敬愛しているらしく、本書のストーリーはモディアノの作品を下敷きにしているらしい。従って本書に登場するモディアノは特別なオーラに包まれている。

また、本書にはアントニオ・タブッキのエッセイ「可能性のノスタルジー」への言及もある。ローランはタブッキの書いたものに触発されて、人生の中で実際には起きなかったこと(=「可能性」)に人々がノスタルジーを感じるとは一体どういうことなのか、について思いをめぐらせる。言うまでもなくこれはとてもタブッキ的な観念だけれども、本書からはそのようなタブッキ的メタフィジクスがほのかに香ってくるのだ。タブッキ大好き人間の私としては、これは見過ごせない本書の魅力の一つである。

また、さっき書いた通り本書はモディアノ作品を下敷きにしているそうだが、私は本書の序章を読んですぐにクリスチャン・ガイイの『風にそよぐ草』を思い出した。ヒロインがひったくりにあい、たまたまその持ち物を拾った男性が彼女に執着するようになるという流れがとてもよく似ている。序盤におけるローランのストーカーっぽさも、『風にそよぐ草』のジョルジュそっくりだ。

モディアノ、タブッキ、ガイイ。たまらない組み合わせだ。彼らの作品世界と本書はどこかで通底している。

最後にもう一つ。本書の主人公ローランは書店主だが、彼が書店主になった経緯が次のように語られる。彼は以前会社勤めをしていて、かなり良い地位を得ていたにもかかわらず、自分の人生を無駄に費やしているという感覚をどうしても振り払うことができなかった。そこである時ついに仕事をやめ、本に囲まれて生きていたいと考えて書店主になった。

こんな人物が主人公である小説が魅力的でないわけがないと思うのですが、いかがでしょう。