横道世之介

横道世之介』 沖田修一監督   ☆☆☆☆

私は沖田修一監督の『南極料理人』が大好きで、所有しているブルーレイでもう何度観たか分からない。だからこの監督の他の映画も観てみようと思って、評判が良さそうな『横道世之介』をAmazonで入手した。主演は『南極料理人』にも出ていた高良健吾で、他に吉高由里子池松壮亮綾野剛柄本佑國村隼、きたろう、井浦新などが出演している。なにげに豪華メンバーだ。観る前は上映時間が2時間40分と長いのが心配だったが、実際観たらまったく長さを感じさせない面白さだった。

内容を一言で言えば、1980年代を舞台に、田舎から東京に出てきた大学生の青春を描く映画である。私もちょうどその世代なので、映画の内容が自分の学生時代とダブってとてもなつかしかった。が、私が単にノスタルジーで愉しめたというだけじゃなくて、本作は映画としてよく出来ていると思う。

もちろん主人公は大学生の横道世之介高良健吾)なわけだが、一貫したストーリーがあるわけじゃなく、色々なサブプロットが順番に、あるいは同時並行的に走る。いわば小ネタの寄せ集めである。その意味では『南極料理人』に似て、ゆるい構成だ。主だったネタとしては世之介が入るサンバサークルの話、大学をやめてできちゃった結婚する倉持(池松壮亮)と唯(朝倉あき)のカップル話、おとなびたパーティーガール千春(伊藤歩)への憧れ、女に興味がない加藤(綾野剛)との友達づきあい、そしてお嬢様祥子(吉高由里子)との恋愛などがある。もちろん柱となるのは祥子とのつきあい、つまり出会ってだんだん距離が縮まっていく二人の紆余曲折だ。

他にも、一瞬しか出てこないが作家志望の黒田大輔が「メディアは第三の権力」とかそれらしい蘊蓄を垂れるシーンや、マスコミ研究会の柄本佑がすぐギョーカイ風に染まってしまうなど、小ネタやくすぐりがあちこちにある。そしてそれがいちいち面白い。だから最初はこういう「あるある」ネタを取り上げて、微妙な間(ま)とリアクションで笑わせる小芝居集かなと思っていると、全然「あるある」じゃない現実離れしたお嬢様・祥子が登場したり、世之介の田舎で二人がボートピープルに遭遇したりと、ドラマティックな事件もそれなりに起きる。その、日常と事件の間を揺れ動くバランスのとり方がなかなかうまい。

それともう一つ、80年代当時の物語が進行する中のところどころに、十数年後の関係者達の様子が入るのが重要なアクセントになっている。彼らはもう世之介とは疎遠になっていて近況を知らない模様だが、彼のことをなつかしく思い出して例外なく笑顔になる。これによって世之介はその後どうなったのかという観客の興味を掻き立てるとともに、本編のストーリーが遠い過去の回想であることが強調され、ノスタルジーと甘酸っぱいセンチメントが溢れ出す。

主人公の世之介は人が良くて人懐っこい、根っこには田舎者の朴訥さを残したごく普通の青年で、『南極料理人』で高良健吾が演じていた遠距離失恋する青年にもどことなく似ている。人懐っこいがゆえの微妙にうざい感じ(特に加藤といる時に顕著)にもリアリティがあって、確かに学生時代にこんな奴いたなあという感じがする。ただ、あまりにもそのへんにいそうなキャラで、加藤が後年言うように「世之介を知っているというだけで得した気分になる」までの特別さは感じなかった。

とはいえ、このきざったらしさの微塵もない世之介と天真爛漫なお嬢様・祥子のカップルは本当に微笑ましくて、好感度マックスである。

私が面白かったエピソードは世之介と加藤の絡みに多くて、最初に世之介が人違いして加藤に声をかけ「それおれじゃない」と言われたり、「おれは横道世之介」と自己紹介して「へえーそう」と冷たくあしらわれるところ、それから加藤がカミングアウトする場面などだ。綾野剛ファンもかなり楽しめると思われる。世之介が初めて祥子に会う場面もおかしくて、加藤に憧れている女の子の誘いでダブルデートすることになり、最初にその女の子と世之介だけが待ち合わせ場所にいるのだが、二人とも気まずい感じで会話がぎこちなく、世之介は緊張のせいか両手を腰に当てて肩を張り出したカニみたいなポーズでずっと固まっている。やがて加藤が来てクールにナチュラルに女の子と会話し、やがて祥子も合流するが、世之介はずっとそのカニポーズのまま店まで歩いていく。ここはおかしくてしょうがなかった。

世之介が突然祥子の家に呼び出され、両親と面談する場面も見ものだ。父親役の國村隼と世之介のミスマッチ感がたまらない。それからほんとに小ネタだが、田舎から出て来て一人暮らししている貧乏大学生の日常ネタもあちこちにあって、例えば暑い日にパンツ一丁になって水を張った洗面器に足をひたし、鍋からインスタントラーメンを食べている世之介なんてのもおかしかった。ちなみに世之介のアパートはそんな感じだが、世之介が入り浸る加藤のアパートは冷房もあってすっきりと片付いている。キャラの違いだ。

さて、こう書くとひたすら面白おかしいコメディ映画のようだが、先に書いたように遠い過去を回想するノスタルジーと甘酸っぱい感傷が底流にあって、終盤になるに従ってその感覚が強まってくる。特に、現在の祥子が昔世之介が撮った自分の写真を眺め、その後でその場面が回想されるあたりの流れには、表面的には明るく楽しいだけのように見えてデリケートな哀感が溢れている。特に世之介の現在を考えた時、胸が締めつけられて涙腺が緩む観客も多いだろう。しかしそれをあからさまに強調せず、あくまで楽しく優しいエピソードのおまけとして暗示するにとどめるのが、この映画の奥ゆかしさである。

ちなみに80年代の東京を描くにあたって街ゆく人々のファッションや看板などまで、当時をかなり忠実に再現してある。あの頃東京で大学生やってた私は、かなり楽しめました。