Xと云う患者 龍之介幻想

『Xと云う患者 龍之介幻想』 デイヴィッド・ピース   ☆☆☆

これは日本在住のイギリス人作家が書いた、芥川龍之介を題材にした小説である。あの柴田元幸氏が「あの文豪の生涯と作品を織りまぜて、リシャッフルし、夢見直して、12の妖しい、美しいピースに仕立てた本。それだけで十分すごいが、さらにこの日本語版は、原文の独特のリズムを緻密に再現し、等しく妖美な作品を再創造している。奇跡のような一冊」と激賞している。どうも私が好きなメタフィクショナルな幻想小説系のようだなと思い、期待して購入した。芥川龍之介も好きな作家だ。

「12のピース」とあるので、読む前は長編なのか連作短篇集なのか分からなかったが、これはまあ連作短篇集だろう。要するに、芥川龍之介の作品と生涯と更に著者デイヴィッド・ピースの妄想を混ぜ合わせて捏ね上げたような幻想譚12篇が収録されている。しかし大体において芥川龍之介の人生の時間軸に沿って構成されているので、連作短篇集的な長編ということもできる。

一篇一篇はかなり独特で、著者はこれらをコラージュと呼んでいるそうだ。たとえば冒頭の一篇はかの有名な「蜘蛛の糸」のパスティーシュで、主役のカンダタが盗賊ではなく芥川龍之介と思われる有名作家に置き変わっている。他にも「河童」その他から色んな作中人物が登場するが、全部作品のパスティーシュでもなく芥川龍之介の伝記的事実もあれこれ織り込まれ、しかも史実そのままじゃなく、妄想的に歪められている。

叙述法も一定ではなく、語りが一人称になったり三人称になったりするし、一人称の場合も語り手が芥川龍之介だったり作中人物だったりと色々だ。それが一つの短篇の中でも変転するからややこしい。更に河童や幽霊なども出て来る。非常に混沌としている。訳者はあとがきで、本書を奇書『ドグラ・マグラ』と比較している。

もっと言うと、この悪夢的な苦悶のトーンも『ドグラ・マグラ』と共通している。河童や幽霊が出て来るから軽やかな幻想譚かと思ったらとんでもない、本書にはまるで熱に浮かされた悪夢のような重苦しさがある。読み進むにつれて、だんだん自殺や発狂といったものが主要なテーマになってくる。芥川龍之介の人生がまさにそうだったということなのだろうが、人間は死ぬか狂うかしかない、という言葉が何度も出て来る。とても厭世的だ。

さっき混沌としていると書いたが、十二篇いずれも整然としたプロットのものはない。「蜘蛛の糸」のパスティーシュで始まった後、龍之介の少年時代、天皇崩御と乃木大将の自死夏目漱石、上海旅行、震災、などが作品の題材になる。特に目立つのは自死と発狂への偏執的な関心である。これらが冷静にでも淡泊にでもなく、妄想で支離滅裂になった夢幻劇の如き筆致で書き綴られていく。

そして更に読み進めていくと、今度は次第にキリスト教色が濃厚になってくる。キリスト、デウス、エホバなどのタームが繰り返し登場し、聖書の言葉や神父との会話などがかなりの重要性をもってたびたび登場する。もちろんこれも芥川龍之介を語るには見逃せない重要テーマなのだとは思うが、この厭世観と混然一体となった強い宗教色には、正直、読みながらだんだん辛くなってきた。

私は芥川龍之介の硬質な幻想、エキゾティズム、王朝譚や説話を題材にした作品が好きで、本書にもその系統の幻想譚を期待したのだが、案に相違して苦悶と煩悶に満ちたとても厭世的な小説だった。『ドグラ・マグラ』的とは言い得て妙である。伝記的事実や明治時代の史実が織り込まれることで、『ドグラ・マグラ』以上に陰鬱かも知れない。

そんなわけで、野心的なアイデアと複雑なレイヤーの虚構を構築するテクニックは確かにお見事だが、個人的には好みの小説ではなかった。ただ夏目漱石谷崎潤一郎、内田百閒など同時代の文豪たちも登場して芥川龍之介との交流の模様が描かれるので、そういうところは面白かった。自死、狂気やキリスト教への偏執も含めた芥川龍之介の精神世界全体に関心がある、私よりディープな龍之介ファンにはいいんじゃないかと思う。