マイル81 わるい夢たちのバザールⅠ

『マイル81 わるい夢たちのバザールⅠ』 スティーヴン・キング   ☆☆☆★

ごく最近まで、スティーヴン・キングは私にとってもはや過去の作家だった。『ミスター・メルセデス』にがっかりして以来新作はまったく読まなくなったし、関心もなくしていた。たまに『シャイニング』『デッドゾーン』『ファイアスターター』など過去の傑作群を読み返して、「この頃のキングは良かったなあ」としみじみ嘆息するのみ。ましてキングの短篇集などほぼ読んだことがない(中篇集は別で、『スタンド・バイ・ミー』『ゴールデンボーイ』は昔から好き)。昔いくつか読んだ短篇が呆れるほどひどかったためだ。この人、長編以外読む価値なし。そう自分の中で結論が出ていた。

ところが先日『ベスト・ストーリーズ Ⅲ カボチャ頭』収録の「プレミアム・ハーモニー」を読んでびっくりした。そもそも「ニューヨーカー」誌がキングの短篇を掲載したことに驚いたのだが、「またどうせくだらない話だろう、『ニューヨーカー』誌もネームバリューだけで載せたりするんだな」とうさんくさく思いつつ読んだら、これが面白い。風変りだが、素晴らしい短篇と言っても過言ではない。ブラックでオフビートで奇妙な、私の大好きなタイプの短篇だ。度肝を抜かれた。キングと『ニューヨーカー』誌には、伏してお詫びしたい気持ちだ。

調べると、これは本書『マイル81』の収録作らしい。もしかして最近のキングはこんな短篇を他にも書いているのか、と思うと読まずにはいられない気分になり、まず本書を入手した。『夏の雷鳴 わるい夢たちのバザールⅡ』というこの続編もあるのだが、まだ警戒心が残っているので買わなかった。

本書には計10篇が収録されている。結論から言うと、やはり「プレミアム・ハーモニー」がベストだった。ただし、私の感想は大方のキング・ファンの意見とは一致しないだろう。これはキングとしては明らかに異色作である。本書には各短篇にキングの紹介文がついているのだが、それによるとこの短篇はキングがレイモンド・カーヴァーを初めて読み、その強烈な影響下にある時に書かれた作品らしい。

そもそもカーヴァーとキングでは水と油ほど違うし、まったく相容れない作風なので、「プレミアム・ハーモニー」がレイモンド・カーヴァー風などということは全然ないのだが、しかしこの作品がいつものキングのトーンじゃないことも確かだ。特に描写が簡潔で、センテンスが短いのがキングらしくない。そしてスーパーナチュラルな要素がなく、どこにでもいそうな中年夫婦が主人公で、舞台はスーパーマーケット。このどこまでもキングらしくない道具立ての中で、ブラックなユーモア感覚だけが奇妙にブーストされている。おそらくカーヴァーの影響を受けたことで、もともとキングの中にあったブラックネスが枝葉を削ぎ落されて吐き出されたのだろう。

それにしてもキング、アメリカの作家でありながら今までレイモンド・カーヴァーを読んだことがなかったのか。いいのか、そんなことで。

さて、「プレミアム・ハーモニー」を越える作品には出会えなかったものの、同傾向のものは他にもあった。結果的に本書は、私の中で短篇作家スティーヴン・キングを大幅に再評価するきっかけとなったわけだが、他の収録作にもざっとコメントしておきたい。

まず冒頭の「マイル81」。表題作だが、これはキングがプロ作家デビューする前に考えたアイデアだそうだ。見事なまでにバカバカしい、アホ丸出しのB級SF作品である。要するに人喰い自動車の話だ。作者がキングじゃなかったら商業誌に掲載されることはないと思われるが、このバカバカしさが芸なんだと言われれば、まあそうかも知れない。

バットマンとロビン、激論を交わす」は「プレミアム・ハーモニー」タイプの短篇で、スーパーナチュラルな要素がない普通の小説。タイトルからは想像がつかないだろうが、年老いた父と中年になった息子の親子の物語である。息子はアルツがかってきた父親の世話をし、ダイナーに連れていって一緒に食事をする。その後父親を乗せて車で走っている時にトラック運転手と喧嘩になり、ボコボコにやられそうになるが…というお話。先の展開がまったく予想できない。

砂丘」はオチがある短いホラーで、死ぬ人間の名前を予告する砂丘、という「トワイライト・ゾーン」的なアイデアの短篇。「悪ガキ」も同じようなホラーで、語り手の長い人生の中の重要なタイミングでいつも邪悪な少年が現れ、大切な人々を傷つけるという話。おそらくキングのパブリック・イメージに一番合致するのはこういうストーリーだろう。私はそれほど惹かれないが、こんな他愛のないアイデアもキングの精密な語りできっちり娯楽作品に仕上がっているな、という感じはする。

「死」は開拓時代の裁判が題材。キングにしては毛色の変わった話で、ミステリ風だ。子供殺しの容疑で捕まった頭の弱い黒人男性は無実を主張するが、彼の有罪を確信する町の人々は呪詛の言葉を浴びせ続ける。保安官は、もしかしたら冤罪ではないかと疑念を抱くが…。

「骨の教会」は小説ではなく物語詩で、内容はエドガー・ポー風の怪奇幻想譚。キングってこんなのも書くんだな。

「モラリティー」はまたまたスーパーナチュラルな要素がない普通小説で、これも読み応えがある。死にかけた大金持ちが、金に困っている若い夫婦に奇妙な依頼を持ちかける。報酬は莫大だが、依頼の内容は道義的に受け入れがたい。ただし重大犯罪というほどでもない。夫婦は葛藤し、結局受け入れるが、モラルに反した行為の記憶が夫婦の関係を蝕んでいく。一種のサイコスリラーだが、だんだん変化していく夫婦のありようが不気味だ。

「アフターライフ」は軽いコントみたいな軽量級の短篇だが、私は結構好きである。内容はファンタジーで、死んだ男がまた生まれ変わるまでを描いたもの。といっても天国みたいなところに行って係の男と会話するだけである。係の男からは、生まれ変わっても同じ人間、同じ人生で、ほんの少しも変えることはできないと説明される。そこで色々ゴネて議論するという、ほぼそれだけの話。やっぱりこれもブラックユーモアで、ナンセンスの香りもある。私はキングの短篇ではこういうブラックユーモア色が強いものに惹かれる。それに男二人の会話が生き生きしていて、たっぷり遊びもあって面白い。

「UR」はAmazonからの依頼で書かれたという、キンドルを題材にした話。内容的にも分量的にも本書の目玉作品だ。トワイライト・ゾーン風の怪異譚で、大学で文学を教えている主人公のところへ届いたキンドルには特別なメニューが付いていた。それを使うと、どうやらパラレルワールドに存在する書物や新聞が読めるらしい。主人公の恋愛話、ヘミングウェイシェークスピアなどの文豪の「存在しない」作品の話、未来の新聞記事を読んで悲惨な事故が起きるのを未然に防ごうとする話、そしてタイム・パラドックスなど、色んなエピソードが豊富に詰め込まれていて、短篇というより中篇に近い。短縮版『11/22/63』のようでもあり、またキングの『暗黒の塔』シリーズともリンクしているらしい。本書中、もっともキングらしいエンタメ小説である。

以上だが、私のフェイバリットは「プレミアム・ハーモニー」「バットマンとロビン、激論を交わす」「モラリティー」「アフターライフ」、次点が「死」「UR」だ。つまり「UR」を除けばあんまりキングらしくない、分かりやすいオチがない、モヤモヤした作品が良かった。大方のキング・ファンの意見はまた違うだろうが、私としてはもっとこんな作品を書いて欲しい。特に「プレミアム・ハーモニー」や「アフターライフ」のような、キング独特のブラックなユーモア感覚を研ぎ澄ました作品をもっと読みたい。

そんなわけで、もう一冊の『夏の雷鳴 わるい夢たちのバザールⅡ』も買うことにした。