卵をめぐる祖父の戦争

『卵をめぐる祖父の戦争』 デイヴィッド・ベニオフ   ☆☆☆☆☆

著者のデイヴィッド・ベニオフは映画の脚本家でもあり、ブラッド・ピット主演の『トロイ』を手がけた人らしいが、『トロイ』は観たことがないのでどんな書き手かは知らなかった。「ナチス包囲下のレニングラード」で卵を探す話ということで「奇妙な味」系のとぼけた現代文学なのかなと思って読んだら、堂々たるエンタメ作品だった。しかも、ただ目先のストーリー展開でハラハラさせる薄っぺらい作品ではなく、しっかりと登場人物を肉付けし、丹念に心理描写し、現実の厳しさと不条理も盛り込んだ上でとことん読者を愉しませるという、あらゆる面でたくましく鍛え上げられた一級品である。

「卵をめぐる祖父の戦争」というタイトル通り、本書は著者ベニオフが自分の祖父から聞いた戦争体験を書き記す体裁になっている。「ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になるまえにドイツ人をふたり殺している」で始まり、祖父と祖母がどんな人となりかを紹介した後、祖父の語りで物語が始まる。舞台はレニングラード、時代は世界中をナチスが席捲していた第二次世界大戦の真っただ中。

祖父が語り手なので一人称は「わし」だが、物語当時彼はまだ10代の少年である。この少年レフは17歳ながら見た目は15歳ぐらいで、童貞で奥手でコンプレックスの塊で、決して冒険小説の主人公というタイプではない。愛国心が強くヒーロー願望が強い一方で、人一倍死の恐怖には敏感。要するに、どこにでもいるような、悶々とした思春期の少年である。

そのレフが、ナチスに包囲され緊張感が高まるレニングラードで窃盗のためロシア軍に逮捕され、もう銃殺だと観念したところお偉い大佐に呼び出され、娘の結婚式のために一週間以内に卵を一ダース調達してこい、それができたら銃殺は取りやめにしてやる、と命令される。この時同じ命令を受けたのがやっぱり牢屋に入っていた脱走兵コーリャで、二人は否応なく即席のコンビを組んで、一ダースの卵を求めてナチス包囲下のレニングラードを彷徨うことになる。

卵一ダースなんて今の世の中ならなんてことないが、戦時中、しかも敵に包囲された陥落目前のレニングラードである。飢餓のすさまじさは極限に達していて、人々は鳩や鼠どころか、糊を食べるために本すらなくなっている状況だ。信じられないだろうが、本をばらして糊を湯に溶かし、それを煮詰めて棒につけたものが貴重な食べ物として売られているのである。その状況で、鶏の卵一ダース。

これがどれほどインポシブルなミッションか、お分かりいただけると思う。しかし、できなければ銃殺だ。少年レフと脱走兵コーリャの二人は、ほんのちょっとでも可能性があると聞いたらどんな危険なところへでも命がけで突っ込んでいく。

ここで、この小説を大傑作たらしめている二大要素を指摘しておきたいと思う。一つは凄惨な戦場の現実、その厳しさをまざまざと描き出していること。この本を読むことで私たち読者は、ひと時ナチス包囲下のレニングラードで過ごすことになる。先の糊の話もそうだが、その迫真性といったらない。唖然とするような、あるいは背筋が凍るような事実が続出し、地獄絵の中で生き延びようとする人間達の姿がある時は私たちを慄然とさせ、ある時は激しく感動させる。人肉食いをする人さらい達、死んだじいちゃんの鶏を守る少年、地雷にされた犬たち、売春宿から逃げ出そうとして足を切断される少女…。レフとコーリャは、二人でそんな場面の中を潜り抜けていく。言うまでもなく、二人は常に死の恐怖と背中合わせだ。

こんな状況で、物語は進んでいく。どれだけ陰惨な話なんだと思われるかも知れないが、ところが、本書は全体に明朗闊達で、爽快感に溢れ、それどころか幸福感が漂いユーモラスですらあるのだ。不思議である。一体なぜそんなことが可能なのか。

この魔法を可能にするのがもう一つの要素、あまりにも見事なキャラクター造形である。特に、レフが行動をともにする19歳の脱走兵コーリャの性格と言動が本書のムードを決定づけている。

レフが嫉妬するほどの、まるでギリシャ神話の彫像のような金髪碧眼の美青年。女好きで、どスケベ。おまけにお喋りで傲慢、常に上から目線でレフに接し、嘘つきで、時に意地悪。同時に驚くほど度胸があって、しばしば自ら平然と死地に突っ込んでいく、信じられないほど楽観的な男。レフは最初コーリャの鼻持ちならない態度とお喋りにうんざりし、彼を憎みさえする。コーリャは年下で童貞のレフをからかい、偉そうに女の扱いについて説教し、妙なこだわりでレフと議論を戦わせる。時には平然と命知らずの無謀な行動に出て、一緒にいるレフを激怒させる。こんな男と一緒でなければどんなに良かっただろう、とこの年少の相棒を慨嘆させる。が、コーリャはまったく気にしない。驚くべき無神経と楽天性で、彼は凄惨な戦場を乗り切っていく。

このコーリャとレフのキャラ作り、そしてケミストリー醸成が圧倒的に巧い。もちろん、最初は(というか本書の大部分では)コーリャを嫌っているレフも、最後には彼と強い友情で結ばれるようになる。バディもののパターンだな、と思われるだろうが、しかし本書ほどこの変化を絶妙に、リアルに、感動的に描き出した物語が他にあるだろうか。私はちょっと思いつかない。特に憎たらしくも愛すべきコーリャの複雑な性格は、エンタメ小説におけるキャラクター造形の一大傑作だと思う。

そしてこの二人が交わす、精彩と茶目っ気に富んだ会話。時に冗長とさえ思える、型にはまらない会話のディテールがこの小説のコクとなっている。単なるジェットコースター小説ではないのだ。題材とエピソードの内容からするといくらでも陰惨に重苦しくなったであろうこの小説が、ここまで軽妙に、瑞々しくなったのはこれが理由である。この小説は壮絶な戦争小説でありながら、その本質は鮮やかな青春小説だと感じさせる。

この二大要素に加え、ストーリーテリングも堂に入っている。極限状況の中、レフとコーリャに次から次へと絶体絶命の危機が訪れ、読者をハラハラさせる。舞台も前半の都会から後半の田舎へと移り変わり、飽きさせない。一体どうやって卵を手に入れるのか、という最大の興味と数々の冒険に加えてボーイ・ミーツ・ガールの要素までが盛り込まれる。死と隣り合わせの状況の中で、レフは生まれて初めて本当の恋をする。という具合にさまざまなワクワクとハラハラに満ち溢れ、リーダビリティは極上だ。

そして、これほどまでにたくさんの死が氾濫する地獄めぐりのような物語の結末を、人生に対して驚くほど前向きな、ヒューマニスティックな感動で包み込むという離れ業。もちろん、青春小説としての甘酸っぱさも最大限に味わせる。まったく驚異的だ。アマゾンのカスタマーレビューに絶賛コメントが溢れるのも当然である。

が、私にとって本書の終盤の展開はあまりにも切ないものだったと、ここに一言書いておきたい。ネタバレしないようにはっきり書かないが、本書の2/3を過ぎるあたりからもしかしたらそんな展開になるんじゃないかと恐れ、どうかそうならないで欲しいと祈るような思いでいたそのことが、起きてしまうのである。これはつらかった。私はあまり登場人物に感情移入し過ぎることはない人間なのだが、今回ばかりは本当に心が痛くなってしまった。そしてそのせいで、自分がどれほどこの物語に夢中になっていたかを思い知らされたのである。

だからアマゾンのレビューでは大勢の人が「楽しかった」「微笑みとともに読み終えた」「幸福な余韻に浸った」と書いているが、正直私は大きな悲しみとともに本書を読み終えてしまった。ある人物に対するロスの感情に圧倒されていたからだが、いずれにしろ、エンタメ小説にここまで引き込まれたのは本当に久しぶりである。

もう一つ付け加えると、最後の一行で「ああそうか」となり、ジンと来たのは大多数の皆さんと同じである。この洒落た仕掛けが、多くの人々が指摘する「幸福な余韻」の主な理由だ。これにあっと思ってすぐまたプロローグを読み返すと(誰だって絶対にそうするはず)、本書の味わいはひとしお増すのである。