教授のおかしな妄想殺人

『教授のおかしな妄想殺人』 ウディ・アレン監督   ☆☆☆☆

iTunesレンタルで鑑賞。2015年公開と比較的最近のウディ・アレン監督作品で、主演はホアキン・フェニックスエマ・ストーン。アレン映画の中ではそれほど評価が高くないようだけれども、私は面白かった。『マンハッタン』や『アニー・ホール』みたいな抒情性はほとんどなく、アイロニーに徹した映画である。

ちなみにこの映画の原題はごくシンプルに「Irrational Man」、つまり理不尽な男という意味だが、邦題は随分ゴテゴテしたものになっている。コメディだということを強調したかったのかも知れないが、どう考えてもひどい邦題だ。この映画に「おかしな」なんて付けてしまうセンスが信じられない。

さて、主人公はある大学に赴任してきた哲学教授エイブ(ホアキン・フェニックス)。彼は色んなスキャンダルで悪名高いと同時に、人生の喜びを見失っている厭世的な男である。哲学科学生のジル(エマ・ストーン)は誠実で育ちのいい彼氏がいるにもかかわらず、ドラマティックで不幸な過去を背負ったエイブに惹かれていく。

一方エイブはヤケクソ気味の自己破壊的生活を続けているが、ある日ジルとデートした時カフェで耳にした噂話(被害者の女性が泣きながら「あの男を殺してやりたい」と呟く)から、悪徳判事を殺してやろうと思いつく。そうすれば世の中のためだし、動機がない自分が殺したとは絶対に分からないだろう。

このアイデアに興奮した彼はインポが治り、再び生きる喜びを取り戻す。エイブは悪徳判事の日課を調べ、殺人方法を検討し、実行に向けて着々と計画を進めていく。ジルはそのことを知らないが、やがて判事が殺されたというニュースを見て驚き、エイブにその話をする…。

先に書いた通りこれは徹頭徹尾アイロニーの物語であり、と同時にモラルの物語でもある。モラルとは一体何だろうか。エイブは悪徳判事に苦しめられる女性の話を耳にし、彼女に同情し、彼女を救いたいと思って判事殺害を思いつく。世のため人のために、いわば正義の殺人を実行しようと決意する。エイブの中では、これは完全にモラリスティックな行為として正当化される。

実はこれ以前に、ごくさりげなくだが、モラルに関する重要な問題提起がエイブ自身の哲学の授業の中でなされている。カントによれば、どんなに立派な理由があっても嘘をついてはいけない、なぜならば嘘は嘘への扉を開くから。つまりカントにおいてモラルとは、公共の利益になるとか目的の良し悪しとは関係なく、行為自体の性格によって決まるものなのである。

後にエイブの行為を知ったジルは、これを引用してエイブを非難する。どんな理由があっても殺人は許されない、なぜなら殺人は殺人への扉を開くからだ、と言って。

お分かりの通り、これは一種の原理主義である。簡単に言うと、「目的は手段を正当化しない」という考え方だ。ダメなものはダメなんだ、という思考。一方、エイブの考え方は「目的は手段を正当化する」というものである。目的が正義ならば、殺人だって許容される。誰もが気づくように、これはテロリストの考え方だ。

果たしてどちらが正しいのだろうか。おそらくそれは人類にとって永遠の課題なのだろうが、この映画において私達観客は、カントの思想がそのアイロニカルな翼を大きく広げる光景を目撃する。正義のために判事を罰したエイブは、もちろん自分が死刑になるつもりはない。ジルも一度はそれを見逃がそうとする。ところがここで、予想外の事態が起きる。無実の第三者が犯人として逮捕されたのだ。彼は死刑になるかも知れない。この瞬間、エイブは恐るべきモラルの葛藤の中に投げ込まれる。正しいことをしようと殺人を犯した彼は、今度は無実の容疑者を救うべきだろうか。救うことは当然、彼自身の破滅を意味する。しかし生きる喜びを取り戻した彼は、自分の破滅を選択することはできない。結局、彼が選んだ選択肢は…。

非常にダークかつ辛辣な物語で、観客の心を癒したり温めたりする映画ではない。この映画の評価が芳しくないのはそこに起因するのだろうが、ウディ・アレンの皮肉な笑いが透けて見えるようなこの作品、私は割と好きである。殺人を犯すことで人生に前向きになる男。正義の殺人がいつしか保身の殺人に変わっていく、宿命的なプロセス。色々と考えさせられる。

テーマ以外にも、色々見どころがある。一つは、絶対にバレるはずのなかったエイブの完全犯罪が徐々に(ジルに対して)露見していく過程である。倒叙推理ものを観ているようなスリルがある。そしてもう一つは、ジルが得た教訓。映画の終わりにジルのナレーションで、私はこの経験からさまざまなことを学んだ、と語られる。果たして彼女が学んだこととは何だろうか。自分が思ったほど冒険的な人間ではなかったことか。危険でスリリングな恋人よりも誠実で穏健な恋人の方が良いということか。あるいは正義というものの危うさか。

最後の土壇場で文字通りジルの生死を左右するのが、かつてエイブが彼女にプレゼントした小さな懐中電灯というのも面白い。ここで思わず「ああ!」と声が出てしまう。これはウディ・アレンの茶目っ気である。こういうところは、やっぱり運命の皮肉と「偶然」の恐るべき支配力を描いた『マッチポイント』を思い出す。

映像面では、美しい大学のキャンパスや海辺の景観が眼福である。このダークなコメディが進行する舞台はまさに風光明媚という言葉がふさわしく、観客は映画を観ながらエレガントな避暑を過ごしている気分になるだろう。そしてもう一つ、忘れてはいけないのがエマ・ストーンの存在。この映画ほど、彼女の輝くような魅力を引き出した作品は他にないのではないか。

さて最後に、この映画は私たち観客に何を教えているのだろうか。目的は手段を正当化しないということか。やっぱりテロは良くない、ということか。

それも悪くないけれども、もう少し私たちの日常に引きつけて考えると、モラルとはあなたが自分の手で世の中を正す、あるいは正義を実行しようとすることではなく、ただ自分の振る舞いを正しく保つよう心がけることである、と言ってもいいかも知れない。