殺人者

『殺人者』 ロバート・シオドマク監督   ☆☆☆★

iTunesのレンタルで鑑賞。1946年公開のモノクロ映画にしてバート・ランカスターの映画デビュー作、そしてもちろん、あのヘミングウェイの傑作短篇「殺し屋」の映画化作品である。ちなみに原題は「The Killers」だが、日本語タイトルはなぜ原作短篇と同じく「殺し屋」にしなかったのだろう。他の映画と重複するというような事情だろうか。どう考えても「殺人者」より「殺し屋」の方がいいし、内容にもふさわしい。

ヘミングウェイの原作はあまりにも有名で、ハードボイルド・スタイルを確立したこの短篇は言うまでもなく彼の最高傑作の一つである。内容的にも、二人の殺し屋がダイナーにやってくるというほぼそれだけの簡潔さ、短さなのに、異様な緊迫感としびれるような余韻で読者を圧倒する。なので私の第一の関心は、あの短い原作をどう長編映画にしたのだろうという点だったが、この映画ではまず冒頭に原作通りのシーンがあって、その結果ボクサーが殺される。それに続いて、ボクサーはなぜ殺されたのかという過去の事情を保険会社の調査員が調べていく、という構成になっている。

つまり原作を導入部分とし、その後原作にはなかった過去の物語を長々と付け足している。まあ、あの短篇を長編に引き伸ばそうと思ったら確かにこの方法が妥当だろう。ヘミングウェイ・ファンならニック・アダムズ物語として長編化する、つまり他のニック・アダムズものとくっつけて長編にする手もあると思うかも知れないが、そうすると「殺し屋」というタイトルにそぐわない青年の成長物語になってしまう。だからこの映画では、ニック・アダムズはたまたまダイナーに居合わせた客というチョイ役に過ぎず、その後は一切出てこない。

引き伸ばされた部分の物語は、当然(「殺人者」なのだから)ノワール風である。ケガをしてボクサーを引退した青年スウェードバート・ランカスター)は、犯罪者コーファックスの情婦キティ(エヴァ・ガードナー)に惹かれ、彼女の罪をかぶって服役する。出所した後、コーファックスの一味に加わって強盗に加担するが、キティにそそのかされて金を奪って逃走する…。

全体的に、タフガイだが根が純情なスウェードが小悪魔的な美女キティに騙され、翻弄されて、身を滅ぼしていくストーリーになっている。ノワールものとしてはそれほど悪くないと思うが、過去の経緯がばっさり省かれていたからこそ豊かな広がりを持っていた原作と比べると、スケールが小さくまとまってしまった感は否めない。まあそれを言っちゃおしまいかも知れないが、原作の方がはるかに良い。この映画も名作だと聞いていたので、その点では残念だった。

原作では、殺されるスウェードが過去何をやったか読者には分からない。ただ、何かをやらかして大きな力、おそらくは裏社会の権力から長い間逃げ続け、それでも逃げ切れず、その結果疲れ果てて抜け殻のようになった男の絶望があるのみだ。他の部分を全部読者の想像に委ねたところがミソだったのだが、この映画ではそこをはっきり見せてしまう。

見せるのはいいとしても、より深刻な問題は、そのストーリーが冒頭部分としっくりこないことだ。殺される直前、スウェードはニックに「もう逃げ回るのに疲れた」と言う。原作と同じだ。巨大な犯罪組織の力に狙われた男の、逃げても逃げても逃れられない絶望感が滲み出たセリフだが、映画ではスウェードを狙っているのはコーファックスという一個人であり、かつ、見つかったのも単なる偶然だ。過去これが何度も繰り返されたとはどうも考えにくく、だとすればスウェードは今回ただ逃げればいい。逃げても逃げても逃れられないという絶望に、このストーリーでは繋がっていかない。

そもそもの問題は、コーファックスにあまり大物感がないことだ。巨大組織のボスでもないし、スウェードを狙う理由も仲間たちに秘密がバレるのが怖いから、である。要するに、比較的小さな内輪もめでしかない。大体スウェードはそれ以前に平気でコーファックスをぶん殴ったり金を強奪したりしているわけで、あれだけ好き勝手やっておいて冒頭のあの絶望感に繋げるのは、どう考えても無理があるんじゃないか。

更にもう一つ、スウェードはニックに「自分は間違いをおかした」と言うが、あれは一体どういう意味なのか。原作ではもちろん、裏社会の掟に背いたことへの後悔を暗示しているが、この映画ではどうだろう。コーファックスから金を奪ったことか、キティを愛したことか、それとも騙されたことか。どうもはっきりしない。もしキティを愛したことを後悔しているとすれば、純情青年スウェードの悲恋物語はその分スケールダウンしてしまう。

全体的に、スウェードの心理の変遷がよく分からないところにもどかしさを感じる。こういうストーリーにするなら、もっとスウェードの裏切られた愛の哀しさに焦点を当てるべきだったと思う。

ただし、原作をそのまま映像化したような冒頭のシーンは素晴らしい。夜のダイナーに現れる殺し屋二人と店の主人の会話、去っていく殺し屋たち。そして暗いアパートで交わされる、ニックとスウェードの会話。殺し屋二人の不気味な迫力も言うことなしだが、それだけに終盤、二人が再登場するシーンがしょぼい。プロのはずなのに、あんな衆人環視の中でいきなり発砲しようとして逆にやられてしまうなんて。B級ギャング映画のザコキャラみたいだ。もう少し丁寧に見せ場を作って欲しかったところである。

若いバート・ランカスターは、さすがにこの頃から独特の存在感があっていい。後にスターになるのもうなずける貫禄だ。が、更に良かったのは毒のある美女キティを演じたエヴァ・ガードナーである。魔性を秘めた美貌が、モノクロの画面によく映えていた。