新・男はつらいよ

『新・男はつらいよ』 小林俊一監督   ☆☆☆

シリーズ第四作目を手持ちのDVDで久しぶりに再見した。これは山田洋次が監督ではない、数少ない『男はつらいよ』シリーズ作の一つで、当然ながら山田洋次監督作品とはどことなく肌触りが異なっている。本シリーズはそもそもキャストからテーマまであらゆる要素が山田洋次テイストに染め上げられているようなものだから、そこに「肌触りが異なる部分」を発見するのはなかなか面白い。

ただし、それは「いつもと違う違和感」としてネガティヴに受け取られがちな部分でもあるわけで、だから『男はつらいよ』ファンの中で、この第四作の評価はあんまり高くないんじゃないかと思う。しかし小林俊一監督はテレビ版『男はつらいよ』の演出をやっていた人なので、実はこれこそオリジナルの味わい、なのかも知れない。

最初にあらすじを説明すると、久しぶりに柴又に帰ってきた寅は競馬で当てて大金を持っていた。これでおいちゃん・おばちゃん孝行をしようと張り切ってハワイ旅行を段どるが、旅行会社の社長に金を持ち逃げされてパー。バンザイ三唱をして送り出してくれた近所の人々の手前、おいちゃんおばちゃんと一緒に旅行に行ったふりをし、電気もつけず息をひそめてとらやに隠れていると、そこへ泥棒(財津一郎)がやって来て大騒ぎになる。その結果近所の人々にハワイ旅行の嘘がバレ、おいちゃんおばちゃんと大げんかをした寅は、再び旅に出る。

数ヵ月して戻ってきた寅は二階の部屋に間借り人がいることを知り、ふてくされて再び出て行こうとするが、そこへ当の間借り人、春子さん(栗原小巻)が帰ってくる。一目でのぼせ上った寅は当然出て行かず、春子さんの職場である幼稚園に入り浸るようになる。一方春子さんは親戚から、幼い頃出て行って顔を知らない父が死にかけているから会って欲しいと懇願されるが、決心がつかない。結局会わないまま父親は死ぬ。悲しみに暮れる春子さんを元気づけようと寅は奮闘。その甲斐あって春子さんは元気を取り戻すが、寅が喜んだのもつかの間、春子さんの彼氏がとらやに現れる。傷心の寅はまた旅に出るのだった。

という具合に、この映画は前半のハワイ旅行騒動篇、後半の春子さん篇と二部構成になっている。山田洋次作品と「肌触りが違う部分」とは何かというと、まず全体にドタバタ喜劇色が強いこと。ハワイ旅行騒動も、幼稚園児に混じってお遊戯をする寅も、春子さんと寅のデートで歌を歌う印刷工場の工員たちも、山田洋次監督なら絶対にやらないと思われるレベルのドタバタ芝居である。特に寅と春子さんがボートに乗っている隣のボートで、印刷工場の工員たちがギターとハーモニカの伴奏つきで「世界はふたりのために」を歌う場面などコント丸出しで、完全にやり過ぎだ。

それ以外でも、寅が春子さんの彼氏に気づくシーンや、法事の時に仏壇の前でネズミやへそくりでもめるシーンなども、どちらかというとシチュエーション・コメディ志向の山田監督に対し、よりドタバタ的な演出がなされている。これは山田監督のデリケートなコメディ感覚に慣れている観客には、おそらく作り過ぎな印象を与える部分である。

二つ目の違和感はなんといっても、さくらがほとんど登場しないことだ。『男はつらいよ』シリーズにおいて寅次郎の次に重要なさくら(倍賞千恵子)の存在感がここまで薄い作品は、おそらく他にない。三作目『フーテンの寅』でもさくらの出番は少なかったが、これはそもそもとらやのシーンがあまりない「旅先の寅」を描いた作品だった。どころがこの『新・男はつらいよ』ではずっと柴又が舞台であり、おいちゃん・おばちゃん・博はいつも以上に出ずっぱりにもかかわらず、さくらだけが出てこないのである。これにはかなり違和感を感じる。おそらくこれは意図的なものではなく、倍賞千恵子さんのスケジュールの都合か何かだろう。この映画はかなり短期スケジュールで撮られたという説がある。

そのため、いつもはさくらが担当する寅の相手をおいちゃん・おばちゃんがやっている。最後に寅が旅に出る時も、今回会話を交わす相手はおいちゃんとおばちゃんである。特においちゃん役の森川信氏はがんばっていて、本作は森川信を最大限にフィーチャーした『男はつらいよ』作品と言っていいだろう。ここまで渥美清森川信の絡みが見られる作品は他にない。

三つ目の違和感は、旅先シーンがほとんどないことだ。『男はつらいよ』はどの作品も柴又シーンと寅の旅先シーンで成り立っているが、本作はさっきも書いた通り、ほぼ全部柴又で物語が進行する。旅先シーンはオープニングとラストのみだ。シリーズ中、物語本編の舞台が全部柴又というのはこれだけだと思う。これもおそらくは、スケジュールの都合で地方ロケができなかったということだろう。

さて、本作のマドンナ・春子先生の栗原小巻はとてもきれいで、チャーミングだ。華やぎという点ではシリーズに登場したマドンナ中最高レベルである。おまけに、これはマドンナがとらやに下宿する初のパターンだ。とらやに下宿したマドンナは『純情篇』若尾文子『奮闘篇』榊原るみ『葛飾立志篇』樫山文枝『寅次郎恋やつれ』吉永小百合など少なからずいるが、これがその第一弾。とらやに下宿するマドンナ、という黄金パターンを創り出しただけでも記念碑的な意味がある。

しかしながら、残念なのはその春子先生との寅の恋はとても印象が薄い。二人が絡んだ特筆すべきエピソードがないし、フラれ方も紋切り型だ。あえて言うなら、父親のことで落ち込んでいる春子先生の気持ちがとらやの法事のドタバタで救われ、笑いながら泣くシーンは良い。もうひとつ、おいちゃんが寅に「婦系図」の話をした時、おいおい泣いているふたりを見て春子さんが笑い、それを見た寅が「笑った、笑った!」と喜ぶシーンがあるが、ここはまたしてもちょっと作り過ぎな感があり、私は法事のシーンの方が好きだ。とらやメンバーの自然な暖かさが出ている。

いずれにせよ、本作のマドンナ・パートはかなり弱い。やはり本作一番のみどころは、前半のハワイ旅行騒動である。これは要するに一度帰ってきた寅がおいちゃんと喧嘩して出ていくまでの前振りなのだが、いつもプロローグ程度の長さしかない他の作品と比べると異様に長く、ドタバタ色が強いながらも充実している。

ハワイ旅行に行くためにおいちゃん・おばちゃんがいやに派手な服を買ってくるなど(このあたりもいつものとらやの人々じゃなく、コント的になっている)さんざん盛り上げた後、旅行に行けなくなり、こっそりとらやに戻ってくる。電気も付けられない。音のないテレビを見ながら愚痴を言う寅、「戦時中みたいだな」と呟くおいちゃんなど、細かいギャグも冴えている。金を持ち逃げする旅行会社の社員が登というのもおかしい。

更に、そこに財津一郎の泥棒が入ってくるという凝りようだ。泥棒は、誰もいないと思っていた家の中に一家揃って隠れているのを発見して驚愕する。最初は寅にボコボコにされて平謝りに謝っていた泥棒が、事情を知って急に強気になり、なんなら警察呼んで下さいと言い出す。このあたりの芝居は、財津一郎のハマり具合もあって本当にみんな達者だ。寅の「博、110番てのは何番だ?」のお約束ギャグも飛び出し、最後は寅が泥棒に口止め料を払うことになる流れも笑える。

そしてこの丁寧に作り込まれたドタバタ喜劇の果てに、おいちゃん・おばちゃんに喜んでもらいたかったという寅の真情が浮かび上がってホロリとさせる。なんといっても、本作でさくらが登場するのはこのエピソードの締め部分のみだ。さくらとおばちゃんが荒川の土手で寅の話をするのだが、お兄ちゃんがなんだかかわいそうな気がして、と言って涙するさくら、おかしな人だよあんたの兄貴は、と言って笑うおばちゃん。このさりげないやりとりこそ、本作中もっとも感動的な場面だと思う。

まだまだ四作目ということでフォーマットが定まっておらず、かつ監督が山田洋次じゃないこともあって、私達が抱いている『男はつらいよ』シリーズのイメージから逸脱する野放図さがある。中期から後期にかけて出て来る洗練はまだまだかけらもなく、むしろ実験的だと感じさせる。シリーズの中でも特に毛色が違う、異色作と言っていいと思う。