陽のあたる場所

『陽のあたる場所』 ジョージ・スティーヴンス監督   ☆☆☆☆

有名なクラシック映画をAmazon Primeで初鑑賞。主演はモンゴメリー・クリフトエリザベス・テイラー。まさにギリシャ彫刻のような、あるいは神話の中に棲む存在のような、映画スター然とした二人の共演である。ちなみにスティーヴ・エリクソンの小説『ゼロヴィル』の中で、モンゴメリー・クリフトエリザベス・テイラーは「映画史上、もっとも美しい二人の人間――女は男の女性バージョンであり、男は女の男性バージョンである」と書かれている。

簡単にあらすじを紹介すると、ジョージ(モンゴメリー・クリフト)は貧しい母子家庭出身の、内気でどこか卑屈な青年である。彼は大富豪イーストマン一族の伯父から、一族が所有する水着製造工場で仕事をもらい、そこで働く工員のアリスとつきあい始める。やがて伯父からもっといいポストをもらい、上流階級のパーティーに招待される。そしてそこで、大輪のバラのように美しいアンジェラ(エリザベス・テイラー)と出会う。

アンジェラと相思相愛になったジョージにはアリスが重荷になるが、アリスは妊娠していた。アンジェラへの愛とアリスからの結婚要求に葛藤する彼の心に、ふとアリスへの殺意が兆す…。

自分にお似合いの、庶民的でルックスもそこそこのアリスと楽しくつきあっていたジョージが、はるかにランクが上の金持ちかつ絶世の美女アンジェラに愛されるという、年末ジャンボ宝くじ当選並みの夢みたいな幸運に恵まれ、有頂天になるが、アリスは妊娠していて強硬に結婚を迫ってくる。『刑事コロンボ』でよくあるパターンだ。こうなるともう、アリスの命は風前の灯である。ははあ、このパターンのオリジナルはこの『陽の当たる場所』だったのか、と納得した。

そんなわけで、この映画の前半はジョージの夢がだんだん実現していく過程、後半は犯罪サスペンスもの風、という構成になっている。ただし大事なポイントが一つあって、確かにジョージの心には殺意が兆すし、ある程度そのつもりで行動したものの、実際には殺していない。結局ジョージはそこまで悪人にはなれなかったのだ。が、運命の皮肉がこの不運な青年を追い詰めていく。

従って、これは野心家の青年が野心ゆえに破滅するピカレスク・ロマンではなく、優柔不断な青年が運命に翻弄される悲劇の様相を呈する。陽の当たる場所に憧れ、手を伸ばそうとしてついに届かなかった男の哀しさ、である。

おまけにアンジェラは、ジョージの予想に反して最後まで彼を愛することを止めない。世間体が悪いから、家族が反対するからといって、ジョージへの愛情を忘れ去ったりしないのである。ゆえに二人の愛は純粋であり、野望や世間体の道具ではなく、誰が誰を騙したわけでもないことになる。だからこの映画は、いささかセンチメンタルな悲恋物語の色合いも帯びることになる。

またこの映画は後半倒叙ミステリになるかと思わせて、実はならない。ジョージは特に隠蔽工作をしておらず、色々と不利な痕跡を放置しており、必然的に警察の手はジョージに伸びていく。彼自身も逮捕を予期していて、警察を出し抜いてやろうなんて闘志もない。ごまかしもしないし、逃げ出そうともしない。従って、ミステリ的な面白みはあまりない。『刑事コロンボ』みたいにはならないのである。

倒叙ミステリが大好きな私としてはちょっとそこが残念だったが、しかしその反面、観客は主人公ジョージに対してそれなりに同情的になれるだろう。メロドラマ的な哀感は増す、と言えるかも知れない。まあアリスに嘘をついたり二股かけたりするので、彼の優柔不断さにはだいぶイラつくと思うが。

このストーリーは言うまでもなく『太陽がいっぱい』にも似ていて、ちょっと卑屈な美青年が主人公という点でもそっくりだ。が、終わり方が決定的に違う。捕まるところですっぱり終わり、嫋々たる余韻をたなびかせる『太陽がいっぱい』に対し、『陽の当たる場所』はもっと後まで物語が続いていく。これはちょっと意外だった。正直言うと、ジョージ逮捕後のストーリーはいささか冗長で、焦点がぼけているような気がした。少なくとも緊張感は緩んでしまう。

しかしおそらく、これはジョージが捕まった後のアンジェラの行動を描く必要があったためだろう。『太陽がいっぱい』にはアンジェラに相当する登場人物がいない。やはりこの映画の本質は、ジョージの野心と挫折の物語ではなく、二人の悲恋物語なのである。

最後に付け加えるならば、この「陽の当たる場所」というタイトルが素晴らしいと思う。原作小説のタイトルは「アメリカの悲劇」だが、「陽の当たる場所」の方がはるかに視覚的であり、印象的であり、また詩的ではないだろうか。そしてこの映画の中では確かに、陽の当たる場所と日陰の場所、つまり華やかな上流階級と労働者階級の対比が、残酷なまでに鮮やかに描出されている。

そしてその、陽の当たる場所の象徴として登場するエリザベス・テイラーのまばゆいばかりの美貌はどうだろう。まさに、太陽の燦然たる輝きそのものだ。そこに向かって懸命に手を伸ばし、しかしかなわず墜落していくモンゴメリー・クリフトに神話のイカロスのイメージを重ねてしまうのは、おそらく私だけではないだろう。