タブッキをめぐる九つの断章

『タブッキをめぐる九つの断章』 和田忠彦   ☆☆☆☆☆

アントニオ・タブッキは私がもっとも敬愛する作家で、おそらく古今東西あらゆる作家の中で一番のフェイバリットなのだが、これまで彼に関する評論の類はまったく読んだことがなかった。あまりにも愛着と思い入れが強いため、誰かが書いたタブッキ論を読むのも気が進まなかったためだ。だから本書も気にはなりつつずっと見送っていたのだけれども、タブッキの未訳小説がなかなか翻訳されない昨今、本書に収録されている短篇「元気で」を読んでみたいという気持ちが抑えきれず、とうとう買ってしまった。

もちろん、いざ買ったら誰がどんなことを書いているのか興味津々で読み始めたのだが、すでに読んだことがあるタブッキ邦訳本の「あとがき」や「解説」をちょっとだけ改稿したものが多く、目新しい文章はほとんどない。だから前半は、まあやっぱりこんな本なんだろうなぐらいに思いながら、失望しつつ読んだ。

様子が変わってきたのは、タブッキ逝去後の追悼文集あたりからである。日本の色んな新聞に掲載された追悼文を集めてあるのだが、私がこれまで知らなかったタブッキの経歴や伝記的エピソードが紹介されていて、このアントニオ・タブッキというユニークな作家のプロフィール、そしてそれ自体が魅惑的な彼の人生の軌跡がくっきりと浮かび上がって来て、それによって、あらためてこの作家と作品が秘めるミステリーと奥行きに魅了されたのである。

いうまでもなくタブッキはイタリア人文学者だ。もともと彼はフェルナンド・ペソアの研究者だったが、やがて自分でも小説を書くようになり、ついにペソアの母国語であるポルトガル語で書くようになった。そして、ポルトガルの小説家として死んだ。この不思議な人生の変転の背後には、一人のポルトガル人女性、ジョゼとの出会いがあったという。タブッキ夫人である。

誰もが知る通り、小説家タブッキの誕生にはフェルナンド・ペソアが重要な役割を果たしており、私たち熱心な読者にとってアントニオ・タブッキは、あたかもペソアが創造した異名の一つであるかの如くである。そのペソアの存在をタブッキに教えたのはこの、後にタブッキ夫人となる女性、ジョゼだったらしい。つまりイタリア人タブッキがポルトガルの女性ジョゼと知り合い、ジョゼを通してペソアと出会うことによってペソア研究者となり、ペソアという詩人の魔術的作品に触れることで、一人のバーチャルなポルトガル小説家が誕生したのである。この人生のなりゆきは、まさにタブッキ的夢うつつの物語を見るようだ。

そして本書の後半に収録されている、タブッキの短篇「元気で」。タブッキからの最後の挨拶のようなこの小品を読み終えた時、ささやかながらも完璧な小宇宙に私は打ちのめされ、万感の思いでしばらく茫然自失となった。もしもあなたがタブッキの愛読者なら、この短い「元気で」は絶対的必読だと言いたい。というのも、これはまるでタブッキのエッセンスが凝縮されたような小品なのである。

まず、叙述は三人称。そして主人公である「男」の名前はタッデオ。タブッキの読者ならおなじみの、イザベルの夫である。そしてイザベルはもう、この世にいない。タッデオはイザベルのことを回想する。初めて『インド夜想曲』を読んだ時からおなじみの、タブッキの魔法がかかったあの光景が現出する。

当然ながら、タッデオは旅立とうとしている。タブッキのあらゆる小説が目指し、指し示すのは旅である。あらゆる人が旅をしている、作者も、読者も、タッデオも。もはやこの世にいない懐かしい人々も。これまた当然のこととして、生者と死者の境界が溶解し、消えていく。現在と過去が、記憶と現実が溶け合っていく。タッデオは旅行先から出す予定の絵ハガキに、タッデオとイザベル、と署名しようとする。なぜなら、タッデオはイザベルと一緒に旅するのだから。

驚くべきことに、もう一つのタブッキ最重要テーマ「分身」までがこの小品の中に登場する。駅に着いたタッデオはアイスクリーム売りの少年に出会い、少年の名前もまたタッデオであることを知る。言うまでもなく、少年もまた旅を夢見ている。

タブッキのエッセンスのような小品、と書いた意味が分かっていただけただろうか。これはタブッキからすべての読者に向けた最後の挨拶だ、と私が考えたのも無理はないと同意していただけると思う。

これ以外にも、本書にはさまざまな人々がタブッキについて語ったこと、あるいはタブッキ的テーマについて語ったことが引用され、言及される。たとえばタブッキを最初に日本語に訳した須賀敦子氏との対談で出て来る、自分は何語で夢見て、何語で死んでいくのか、という言葉。あるいはまた、人はある言語で忘れ、他の言語で思い出すことができる、という言葉。

本書にはこのようなタブッキ的レトリックが溢れていて、まるでタブッキの小説を読んだ時とそっくりの陶酔へと読者を誘う。少なくとも私は、タブッキという作家の人生の軌跡とその作品世界が重なり合い、溶け合っていくような感覚に襲われ、圧倒された。

ところで、本書の中で何度か言及されるタブッキ晩年の作品集『絵のある物語』とは、一体どんな書物なのだろうか。是非とも読んでみたい、というか読まずには死ねない気持ちである。タブッキのファンならみんな同じだろう。是非、日本語版を出版していただきたい。