アバウト・タイム ~愛おしい時間について~

『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』 リチャード・カーティス監督   ☆☆☆☆☆

この映画はもう4、5回観たが、観るたびに自分の中で評価が上がっていく。誰が観ても大傑作という映画ではないかも知れない、地味といえば地味だし、ゆるいといえばゆるい。が、キラッと光るものがあちこちに散りばめられていて、それらに気づいて観返しているうちにいつの間にか魔法にかけられてしまう。そんな映画である。

リチャード・カーティス監督は言うまでもなく『ラヴ・アクチュアリー』を撮った人で、あれはロマコメの大傑作だった。誰が観ても王道の、胸キュン系のラブストーリーを複数取り揃え、綺羅星のようなスターを贅沢に使った群像劇、おまけにクリスマスという鉄板の舞台設定に、これでもかと盛り上げまくるクライマックス。華やかで派手でスイートでゴージャスな、まさにど真ん中ストライクのロマコメだった。

そのカーティス監督が『ラヴ・アクチュアリー』の10年後にロマコメ+タイムトラベルものを撮ったと聞いた時、ワクワクと胸をときめかせたのは私だけではないだろう。『ある日どこかで』イルマーレ』『バタフライ・エフェクト』などを思い出すまでもなく、タイムトラベルと恋愛ものは相性がいい。こりゃどんだけ楽しくせつないタイムトラベルものができたかな、と期待して『アバウト・タイム』を観た私は、なんだか微妙にはぐらかされたような気分になったものである。なぜか。

まず、タイムトラベルが十分に活かされていない。『ある日どこかで』にしろ『イルマーレ』にしろ『バタフライ・エフェクト』にしろ、あるいは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも『オーロラの彼方で』でもいいが、こういう映画では大体タイムトラベルの制約やパラドックスのせいで重大な危機や試練が訪れる。それがストーリーをスリリングにし、結末を感動的にする。

ところがこの『アバウト・タイム』ではそれがない。途中でティムの子供が変わってしまうところで事件発生かと思わせるが、簡単にリセットできてしまう。要するにこの映画ではタイムトラベルはただのお便利ツールで、ストーリーの起承転結にほとんど貢献しない。

それから、ロマコメとしてはメリハリに欠ける。『ラヴ・アクチュアリー』や『ノッティング・ヒルの恋人』を見れば分かるように、ロマコメの真骨頂はすれ違いと和解にある。プロットにうまくこれらを盛り込んで観客をハラハラさせ、またジンとさせるわけだが、この映画ではティムとメアリーが出会い、カップルになり、そのまま結婚してハッピーな家庭を作る。すれ違いも和解もない。ロマコメとしてははなはだ盛り上がりに欠けると言わざるを得ない。

大体、ストーリーの時間軸が長すぎる。ロマコメの傑作は『ローマの休日』の昔から短いスパンのストーリーと相場が決まっている。恋は燃え上がるスピードが速ければ速いほどロマンティックなのだ。ところがこの映画はどうだろう。ティムがメアリーと出会い、結婚し、子供が何人もできるまで、という長いスパンの物語なのである。

まあそんなわけで、最初観た時は胸キュン度が低く、タイムトラベルもののハラハラ度も低い、なんか地味な映画だなと思った。割とありがちな人生の物語が淡々が進んでいくだけ。期待外れだったかな、というのが正直な感想だった。

ところが前述の通り、その後見るたびにどんどん好きになり、今や涙なしには観れない。そもそもそんなに何度も観るというのがもうツボにはまっている証拠だ。一体どういうわけなのか。

この映画はまず、女にもてないシャイで不器用なティム(ドーナル・グリーソン)の悶々とした日々から幕を上げる。世の中には女の子がこんなに溢れているのに、どうして自分にはただの一人のガールフレンドもいないのか、というティムのモノローグがあるが、まさにそれ。

そんなティムがある日、父親(ビル・ナイ)から先祖代々伝わる秘密を教わる。彼ら一族の男達は、みんな過去へタイムトラベルできるというのだ。理由は分からない。方法はクローゼットにこもって力むだけ。いい加減にもほどがあるが、とにかくこの方法でティムは過去へ戻れるようになり、この能力を使ってガールフレンドをゲットしようとする。

従って、始まってしばらくこの映画はティムのずっこけで笑わせる「もてない男のドタバタ喜劇」の様相を呈する。特にシャーロット(マーゴット・ロビー)にふられるエピソードはケッサクで、時間を戻してやり直してもやっぱりダメなのがおかしい。ヒュー・グラントをイケメンじゃなくしたみたいな頼りないドーナル・グリーソンはこの役にピッタリで、このパートはコメディとして秀逸だと思う。

ところがこの調子でドタバタが続くのかと思っていると、次に出会ったメアリー(レイチェル・マクアダムス)とはすぐに相思相愛になる。出会いが一度リセットされてしまうことで苦労はするけれども、時間を巻き戻して結果オーライとなる。

で、ここまでで「もてない男」コメディは終わりである。その後ティムとメアリーはずっと仲睦まじいままだし、ティムが再会したシャーロットに逆に言い寄られたりもする。この後は二人の結婚式、出産、妹の交通事故、そして父親の死、更に父親との永遠の別れへと進んでいく。つまり、ティムとメアリー、そしてビル・ナイを中心とする、「家族」の物語へとシフトしていく。

そして、これがこの映画の本質である。実はこの映画はSFではなく、ロマコメでもなく、もちろん爆笑コメディでもなかった。家族の絆、そして大切な人たちとの出会いと別れを繊細に、リリカルに謳い上げる映画だったのである。

思い返すと、「もてない男」コメディを装っていた序盤からこの映画は喜劇らしからぬ抒情性を漂わせていた。妹のキットカットが別れるのがイヤでティムの帰りを邪魔するシーンのように、「お笑い」には似つかわしくない、しみじみしたシーンが多いのである。ただし、それはとてもさりげないために初見時にははっきりと分からず、二度、三度と観返すうちにだんだん分かってきた。この映画は実は最初から、愛する家族とともにある幸福、そしていつかは失われていくその美しさを描いていたのだった。

このテーマの中心にいるのは、実はティムではなく、ティムの父である。大学の仕事を50歳ですっぱり辞め、その後の人生ではずっと家族と一緒に過ごすことを選んだ、読書狂にしてヘタクソな卓球プレイヤー。彼は冒頭でティムにタイムトラベルのことを教え、その後しばらくは出番が減る。再び彼の存在感が増してくるのは、ティムとメアリの結婚式あたりからだ。

この結婚式シーンがまた面白くて、披露宴が雨と強風でグチャグチャになってしまう。野外のパーティ会場はなぎ倒され、みんなびしょぬれになって屋内に避難する。大惨事である。その後ティムの父親がスピーチをするのだが、「一生に一度の息子の結婚式なのだから言いたいことを言えばよかった」と言って時間を巻き戻し、スピーチをやり直す。この二度目のスピーチが、なんとも素晴らしい。父親からあんな言葉を贈られて涙しない息子はいないだろう。

やがて、ティムの父は癌で死ぬ。ここで私達は、彼が自分の死期を知っていたために過去へ戻って仕事を辞め、残りの人生を家族とともに過ごそうと決心したことを知る。彼の家族への思い、息子への思いが、じわじわとボディ・ブローのように効いてくる。

そしてクライマックスに至り、この映画はようやくその真実の姿を私達の前に現わす。言うまでもなく、ティムが父親に別れを告げるシークエンスである。過去へ戻れるティムは、父の死後も好きな時に父と会うことができたのだが、しかし「赤ん坊が生まれる前には戻れない」という、この映画の中にただ一つだけ存在するタイムトラベルの制約により、ついにその日がやってくる。ティムは愛する父親に、永遠の別れを告げなければならない。

ここからの一連のシークエンスの中に、この映画のすべてがある。そういう意味で、これはビル・ナイの映画だと言ってもいいと思う。彼が演じるティムの父親こそ、この映画の世界観とメッセージを体現する人物である。

エピローグで、ティムはもうタイムトラベルをしなくなったと語る。その代わりに彼は、一日一日をタイムトラベルで戻ってきたかのような気持ちで過ごしている。そうすることによって、ありふれた毎日がかけがえのない日々であると実感できる。

これが本作が観客に贈るメッセージだ。私たちがなんとなく過ごしている「今」という時間はすべて、後になって思い返せば、宝石のようにかけがえのない時間になる。だからもしあなたが未来から戻ってきたタイムトラベラーだったら、ありふれた毎日の一つ一つが奇跡のように美しいと知るだろう。しかしそれは、実はタイムトラベルをしてもしなくても同じことなのである…。

監督はただこれを言いたいがために、この映画でタイムトラベルという仕掛けを使ったのである。

ティムのモノローグには、カーティス監督の他の映画でヒュー・グラントが担当するモノローグにそっくりの英国的で皮肉なユーモアとエスプリがあって、この映画の味となっている。それから私が一番笑ったギャグは、ティムとシャーロットが再会した時の「ガールフレンド」のギャグだ。シャーロットが連れの女友達を「私のガールフレンド」と言ったので、ティムは彼女がレスビアンだと勘違いする。それを否定されて気まずい空気に焦ったティムは、自分の友人のことを「ぼくのボーイフレンド」と紹介する。爆笑した。

メアリーを演じたレイチェル・マクアダムスもとてもいい。ティムのキャラに合わせたのか、どことなく垢ぬけていないイモっぽさがあるけどやっぱり可愛い、というキャラをリアルに演じていた。この映画にピッタリの女優さんだと思う。

ロマコメでありSFであり家族の物語であり、しかしそのどれからもちょっとずつ外れた本作は、実はかなりユニークな映画なんじゃないかと思う。あのキラキラと華やかな『ラヴ・アクチュアリー』のリチャード・カーティス監督が撮った一見地味で慎ましい本作は、やっぱり一筋縄ではいかないのだった。