ラブ・ストーリーを読む老人

ラブ・ストーリーを読む老人』 ルイス・セプルペダ   ☆☆☆☆☆

チリの作家、ルイス・セプルペダのデビュー作『ラブ・ストーリーを読む老人』を久しぶりに再読。1989年の発表で、92年に出た仏語訳が驚異的なベストセラーになったとウィキペディアにある。それも納得の読みやすさ、面白さで、しかもラテンアメリカ文学の骨太な物語性とロマンの香りをしっかり味わえる逸品だ。読書家が何度読んでも尽きせぬ悦びを汲み上げることができる、類まれな小説のひとつなのである。

簡単にあらすじを紹介すると、物語の舞台はエクアドル東部のアマゾン上流の村で、原始の密林が広がり先住民と白人が共存するこの地にも近代化の波が押し寄せ、観光客や山師やハンターが大勢やってくるようになりつつある。ある日、ここに山猫(オセロット)に殺された外国人ハンターの死体が流れつく。人間の横暴によって住む地を奪われた野獣の反撃だったのだが、これを問題視する市長は、野蛮な人殺し動物の討伐を主張する。

それに対し、先住民と一緒に暮らしたことがあり森を知り尽くすボリーバル老人はこう反論する。このハンターはルール破りの密猟者であり、自分勝手な愚か者なのだと。そして死体に残された痕跡から、オセロットは遊び半分に子供たちを殺された復讐をしただけなのだと説明する。が、聞く耳を持たない市長は討伐隊を組織し、密林と野生動物に詳しいボリーバル老人にも参加を要求する。

不本意ながら討伐隊に参加したボリーバル老人と地元の男たちは、「文明人」の偏見と愚かしさに満ちた市長に辟易しながらも危険に満ちた密林の中を進み、やがて密猟者を殺したオセロットの痕跡を発見する。ボリーバル老人と怒れる野獣の対決の時は近づいていた…。

と、こう書くと討伐隊の話がメインだと思われるかも知れないが、ボリーバル老人の過去の話や、グリンゴアメリカ人)達が動物に殺される事件の発生からその経過なども描かれるので、討伐隊の話は実際は後半の1/3ぐらいである。

タイトルの「ラブ・ストーリーを読む老人」とは、主人公のボリーバル老人のことだ。彼は密林の中で原住民と暮らしたことがあり、動物たちの習慣や考えることまで手に取るように分かる。歳を取ってから町で暮らすようになり、努力して字を読むことを覚え、色んな小説を読み漁った結果、ラブ・ストーリーの愛読者となる。彼は愛の苦悩と美しさを謳い上げ、最後はハッピーエンドで終わるラブ・ストーリーをこよなく愛している。

ボリーバル老人はいわば、密林とそこに棲む動物たちの代弁者である。動物たちは野蛮でもなんでもない、森の中で家族を育て、助け合い、愛し合いながら平和に暮らしている。銃を持って彼らの領域に入っていき、遊び半分に動物たちを殺戮するハンターや森を伐採して金儲けを企む人間達こそ野蛮なのだ、というのが彼の考えであり、もちろん、本書が読者に投げかけるメッセージである。

虐げられた動物たちは当然反撃する。すると人間たちは驚き怯え、「野蛮な動物を殺せ!」と叫んで更なる殺戮を始める。なんという身勝手な存在なのだろうか、私たち人間は。

そんなボリーバル老人の対極にいるのが市長である。彼はあらゆる点で愚かしさの象徴のような人物だ。金を落としていってくれるグリンゴたちや外国人ハンターたちを歓迎し、彼らが森の動物を殺すのは当然のことと考え、動物たちが反撃すると野蛮で危険な動物を討伐するのが文明人の義務だと主張する。

もちろん、グリンゴたちも市長と同じである。グリンゴとはつまり外からやってくるアメリカ人たちだが、彼らは動物を凶暴だといって恐れ、見かけたらすぐに銃で撃ち殺そうとする。自分たちにとって未知なものを恐れ、暴力で排除しようとする。動物には動物の理由があり、森には森のルールがあることを理解しようとしない。グリンゴの撮影隊がボリーバル老人の家に勝手に入り込み、激怒した老人に撃たれそうになるエピソードがあるが、これは密林の動物たちも同じことをしているだけなのだという暗示である。

さて、しかしボリーバル老人は市長の命令で討伐隊に加わらなければならない。私たちの文明社会で権力を握っているのは、市長やグリンゴ達のような連中だからだ。森の中に入ってからも、市長は臆病と無知のせいで愚行を繰り返し、一行を呆れさせる。やがて市長と一行は町へ引き返し、ボリーバル老人がただひとり森に残って、オセロットと対決するよう命じられる。

そしてクライマックス、老人とオセロットの一騎打ちの場面となる。怒れる密林の精霊、野蛮な人間に夫と子供たちを殺された牝のオセロットが牙をむいて襲ってくる。ボリーバル老人は彼女の怒りが正当なものと知りながら、人間社会の一員としてオセロットと闘わねばならない。なんと高潔で、悲しい決闘だろうか。このクライマックスからは、世界中で起きている同じような悲劇において悪いのは人間であり、動物たちは何も悪くない、という激しい怒りが伝わってくるようだ。

ちなみに、本書の表紙にはアンリ・ルソーの絵があしらわれている。密林の中でジャガーと闘い、おそらくはひっそりと殺されていく人間がひとり。ルソーは私の大好きな画家だけれども、プリミティヴでエキゾチックで、静謐な神秘性を感じさせるこの絵ほど本書にふさわしいビジュアルはないと思う。

本書は強いメッセージ性を持つ小説だが、決してプロパガンダ小説に堕することなく豊饒な物語性を湛えた芸術作品になり得ている。読者はこの小説を読むことで怒りと悲しみだけでなく、むせ返るような密林の匂いと湿度をも感じることができるだろう。