『卍』 増村保造監督   ☆☆☆☆

ずっと前から観たい観たいと思いながらどうしてもソフトが手に入らなかった『卍』、ついに米国の業者からDVDを入手することができた。本当は最近日本で出たブルーレイが欲しかったのだが、私が住む米国ニュージャージー州には「配達できません」とAmazonで表示されてしまうのである。

さて、なぜそんなに観たかったかというともちろん若尾文子岸田今日子という二大女優の競演、そして谷崎潤一郎原作の文学的エロティシズムへの期待感からだが、実際観てみると思った以上の怪作、つまり異常なまでに怪しい作品だった。増村監督が若尾文子と組んだ映画には『清作の妻』『赤い天使』みたいな壮絶なエロスを題材にした作品がままあるが、ここまで「怪作」という呼称にふさわしい作品はないんじゃないだろうか。

ざっとストーリーを紹介すると、絵画教室に通っている既婚者の園子(岸田今日子)と独身の光子(若尾文子)の二人はレスビアンの恋人同士だとの噂が立ち、それをきっかけに二人は本当に恋人同士になる。で、園子の家でお互いの裸を見せ合ったりして楽しんでいると、園子の夫・幸太郎(船越英二)が怪しんで夫婦仲が崩壊する。

そんな時、光子に実は男の婚約者・綿貫(川津祐介)がいると分かり、怒った園子は光子と縁を切るが、仮病を使って家に押しかけてきた光子に無理やり復縁させられてしまう。次に綿貫が家に押しかけてきて、悪魔みたいな光子に騙されないよう協力しましょう、などと言って強引に証文に捺印させ、園子の指を切って互いの血をなめ合う。

これを園子が光子に告白すると、光子は私こそ狡猾な綿貫に脅されているのです、と言って泣き崩れる。一方、綿貫は幸太郎の会社にまで押しかけて来て園子の証文を見せ、これをバラされたくなければ奥さんと光子を別れさせろと脅す。幸太郎に説教された園子は光子に相談し、二人の仲を認めさせるために偽装心中を計画する。で、二人で睡眠薬を飲んで夢うつつとなっている時になぜか幸太郎がやってきて、光子と関係を持つ。こうして園子と光子と幸太郎がグダグダの三角関係を続けていると、綿貫が証文を売ったせいで三人の不倫関係を雑誌が書き立て、一大スキャンダルになってしまう…。

というストーリーからもお分かりのように、同性愛・異性愛入り乱れた愛憎ドロドロの話であり、登場人物があっちともこっちともくっついたりし、しかも誰が誰を騙しているのか分からない疑心暗鬼の世界となる。光子は園子を騙しているのか、あるいは綿貫が騙しているのか。光子は園子夫婦をマインドコントロールしているのか、それとも本人が言う通りかわいそうな被害者なのか。

まるで芥川龍之介の「藪の中」のようで、真相は観客にも分からない。睡眠薬を使った心中が何度も企てられ、しかも二度目は園子・光子・幸太郎の三人で心中しようというメチャクチャな話になる。加えて園子と光子が互いに裸体を見せ合って興奮したり、園子が光子をモデルに描いた観音様の絵を三人で拝んだり、誰彼かまわず証文にサインさせようとする意味不明な男・綿貫が暗躍したりと、まともじゃない場面のつるべ打ちだ。観ているとこっちまで頭がおかしくなってくる。画面も妙に暗くて、常時異様な雰囲気が漂っている。

そしてこの異常な物語全体が、園子の過去の回想という枠組みにはめ込まれている。園子はこの話を「先生」と呼ぶ人物に熱心に語ってきかせるのだが、聞き手である「先生」は悲しむような憤るような表情でそれを聞きながら、最後までついに一言も発しない。このミステリアスな状況も、この映画全体に漂う五里霧中の不条理感に拍車をかけている。

そもそも、この物語のすべてが園子の主観的な回想であることを思えば、真相がどうだったのかはますます分からなくなる。それこそ「藪の中」のように、園子の想像や嘘が混じっているかも知れないのだ。園子と幸太郎の夫婦が光子に睡眠薬を飲むよう命じられるあたりでは、確かに光子が悪魔的な女であるように見える。園子は光子と幸太郎がグルになって自分を騙していると疑い、幸太郎は光子と園子がグルになって自分を騙していると疑う。このあたりは光子が二人をマインドコントロールしているようでもあるが、やがて光子も一緒に心中すると言い出す。光子は本当に自分の崇拝者を増やそうとした悪魔のような女なのか。

誰が誰を騙していたのか、最後まではっきりとは分からない。考えてみると、結局生き残ったのはこの話の語り手である園子だけなのである。しかしその園子は、騙されたのは自分で、光子と幸太郎は結託して二人で心中した(自分をのけ者にした)のではないかと疑っている。

そんなこんなで、エロと不条理と疑心暗鬼が濃密に入り混じった奇怪な映画となっている。観る前は若尾文子が主演だろうと思っていたが、そうではなかった。ストーリーにおける存在感から重要度から魅力から、これはすべての点で岸田今日子の映画である。同性の光子を激しく恋い慕い、やがて光子や綿貫にいいように操られ、翻弄されてしまう、どこかおっとりした金持ちの有閑夫人。

その一方で、若尾文子はその役柄のせいか眉を吊り上げたような悪女メイクで、増村監督作品で見せるいつものがチャームがない。その悪魔性でもって園子とともに観客をも振り回す役柄なのでしかたないとは思うが、岸田今日子と比べるとキャラクター造形が一面的で薄っぺらい。

ちなみに、ストーリーはどろどろだけれども全体にコメディがかった演出なので、重すぎて気が滅入ることはない。無論コメディといってもシチュエーションコメディではなく、毒気たっぷりのブラックなコメディだ。キャラ達の行動はいつも突拍子がないので、笑いどころも豊富である。私が笑えたのは前半部分で光子に誘惑される園子のリアクション、綿貫の異常な証文好き、臆面もない光子の仮病演技などである。煎じ詰めると、本作はアモラルな世界をつきつめたブラック・コメディと言っていいのかも知れない。

エロだけでなく心中、観音様、睡眠薬などが詰め込まれて異様なムード渦巻く本作は、間違いなく一般受けする映画ではない。こんな怪作を評価するのはなかなかに難しいが、私としてはこれまでに見た中でおそらく最高の岸田今日子の蠱惑性、愛らしさ、コメディ演技を評価して、この☆の数である。観たい方は自己責任でどうぞ。