ラスト・ターゲット

『ラスト・ターゲット』 アントン・コービン監督   ☆☆☆☆☆

iTunesのレンタルで鑑賞。ジョージ・クルーニー出演のヒットマン映画ということで、なんとなくB級アクション映画みたいな先入観があって敬遠していた。映画のポスターもありがちな感じだし、邦題の『ラスト・ターゲット』がまた良くない。原題は「The American」と味もそっけもないが、シンプルな分こっちの方がいい。『ラスト・ターゲット』じゃどう考えても紋切り型である。観る気が失せる。

ところが観てみると、これがスーパースタイリッシュな美しい殺し屋映画だった。B級アクションどころか、ほとんどアクション映画とも言えないぐらいだ。冒頭の銃撃シーン、途中のカーチェイス、最後の決闘シーンと一応のアクションはあるが、全然派手じゃなくむしろミニマムに抑えられており、それ以外は静謐なシーンばかり。セリフすらないシーンも多い。だから、派手なドンパチを期待してこれを観る人はがっかりするだろう。

そのかわりにここにあるのは、静謐の中で描かれるヒットマンの孤独、プロの厳しさ、緊張感、一流の仕事の美しさ。そしてそんな彼に許された、ほんの少しの他者との触れ合いの優しさと、儚さである。

プロットはごくごくシンプルで、ある組織に狙われたヒットマンが雇い主の指示でイタリアの寒村に身を隠す。一人で民宿に泊まり、毎日トレーニングと散歩を繰り返し、たまに公衆電話で雇い主と会話する。静かな日々が過ぎていく。狙撃銃の組み立てを依頼され、材料を入手し、作業場で要求通りの狙撃銃を組み立てる。クランアントである女殺し屋と会い、森の中で銃の試し撃ちに立ち会う。

一方で、村の神父から食事に招待され、一人のコールガールと親密になる。やがて彼はこの仕事を最後に足を洗うことを決心する。狙撃銃の代金を受け取った彼は、フェスティバルのさなかにコールガールと会う。一緒にアメリカに来ないか、と誘うために。しかしそんな彼を、一つの銃口が狙っていた…。

あらゆるシーンで、心理描写と状況説明が最小限に切りつめられている。そのせいですべてが即物的で、クールで、謎めいて見える。ジョージ・クルーニーはいつものチャーミングなキラースマイルを封印して、孤独で寡黙なヒットマンを演じている。悪くない。しかし正直言うと、この役柄はジョージ・クルーニーではなく、もっと朴訥で硬派な、孤独と悲劇の陰りを体質的に備えた俳優の方が良かったと思う。私が考える、本作の唯一の瑕疵がそれだ。ジョージ・クルーニーも渋いんだけれど、どうしても裕福な中年プレイボーイ風のたたずまいを振り払えない。

ちなみに私が考える理想のキャストは、『ニキータ』撮影当時のジャン・レノである。この映画のクルーニーをあの頃のジャン・レノに置き換えれば、完璧なノワール映画が出来上がると思うがどうだろうか。

さて、ヒットマン映画なのにアクションシーンが極端に少ない本作では、寡黙な主人公の仕事ぶりが見どころである。本作での彼の仕事は、殺しではなく狙撃銃の製作だ。部品を入手して部屋で黙々と組み立てるシーンが何度か出て来る。職人の仕事ぶりを思わせる組み立てシーンも悪くないが、やっぱり一番観客がワクワクするのは森の中の試し撃ちシーンだろう。クライアントの女殺し屋が試し撃ちをし、主人公はそれに立ち会うのだが、この女殺し屋がスーパークールなのだ。

ファッション雑誌のモデルみたいないで立ちながら、手早く慣れた手つきで銃を組み立て、銃や弾丸のスペックについて矢継ぎ早に細かい質問をする。主人公は淡々と答える。次に的を設置して、照準を調整し、撃つ。主人公が鋭い視線で観察しているが、気に留める様子はない。次に主人公に銃を渡し、離れた場所から自分のすぐ横の草むらを、数秒の間隔をあけて数発射撃するよう指示する。射撃時の音の伝わり方をチェックするためだ。

こうして試し撃ちを終えた後、女殺し屋は銃の部品にいくつか注文をつけるが、その注文のつけ方までがクール。とにかくこの場面での二人の所作、やり取りはすべて寡黙でムダがないプロフェッショナリズムに貫かれていて、観ていてとても心地よい。

そしてもちろん、終盤近くのクライマックスシーンにおいて、この女殺し屋と主人公は対決することになる。

それから特筆すべきは、舞台となるイタリアの田舎町の佇まいの美しさ。映画全体が湛える静謐さに包まれて、この中世風のひなびた街並みはまるで宝石のようだ。こんな村に一月ぐらいゆっくり滞在できたら、と憧れない観客はいないだろう。この牧歌的な空気感と、主人公が属するノワールな世界の残酷さとの対比が、この映画の味わいを深く、やるせなくしている。

前述の通り説明は最小限に抑えられていて、主人公の心理描写もミニマムだ。たとえば主人公が親しくなったコールガールを敵の回し者じゃないかと疑うくだりがあるが、その時の彼の心の動きも親切に説明されないので、観客が自分で推察しなければならない。しかしこの一貫した寡黙なスタイルが、本作の強度と緊張感を上げているのは間違いない。

ところで、主人公のヒットマンはミスター・バタフライと呼ばれている。それは彼が蝶の刺青をしているからだが、途中で女殺し屋と森に行った時に飛んできた蝶を捕まえるシーンがあり、また彼が昆虫図鑑を開いているシーンもある。蝶が一つのメタファーとして意図されていることが分かる。

そしてラストシーン。森の中で車が止まり、カメラが空に向いて木々の梢と木漏れ日が映る。その時、おそらく見えるか見えないか程度にごく小さく、蝶が舞っているのが見える。おそらくあれに気づく観客は多くはないだろう。私もラストシーンを二度見してようやく気づいたのだが、もしかするとあれは、ミスター・バタフライの分身だったのかも知れない。

この寡黙でストイックな映画にふさわしい、美しいラストシーンだと思う。