玉藻の前

『玉藻の前』 岡本綺堂   ☆☆☆☆☆

たまものまえ、と読む。本書は岡本綺堂自愛の一篇だそうだが、平安末期の華麗な貴族社会を舞台に繰り広げられる伝奇物語で、金色九尾の狐という、一種の妖怪というか魔物が登場する。ストーリーは、この妖狐に憑かれて平安の世に災いをなす美少女と、彼女の幼馴染である陰陽師の青年を軸に進んでいく。陰陽師は子供の頃少女に恋し、ゆくゆくは少女を娶って家業を継ごうと思っていたのだが、数奇な運命が二人を翻弄する。つまりこれは、妖気漂う中に純真なロマンティシズムを秘めた恋物語でもある。

九尾の狐というものを私が初めて知ったのは、昔NHKで放映していた人形劇『新八犬伝』の中のあるエピソードでだった。尻尾が九本ある狐の妖怪で、確か命も九つ持っていて、殺されても八回までは蘇るというような設定だったと思う。色んな悪行を働いた後、最後はもちろん八犬士の一人に退治されるのだが、尻尾が九本ある狐というビジュアルとコンセプトがとても面白くて、今でもはっきりと記憶に残っている。

また狐と言えば、澁澤龍彦『ねむり姫』の中で個人的に偏愛する一篇「狐媚記」も、狐の神秘性がテーマになっていた。この作品でも狐は人間に化けたり、体内に育てた「狐玉」をもって人間の野望を叶えたりと、不思議な魔力を持つ精霊的存在として描かれていた。やはり狐というのは他の動物と違って、何かしら神秘的な魔力を持つ存在として日本人の深層心理に刷り込まれているようである。

さて、話を本書『玉藻の前』に戻して、大体のあらすじはこんな感じである。幼馴染の藻(みくず)と千枝松は子供同士仲が良く、千枝松はやがて藻を嫁にもらい、家業を継いで平穏に暮らしていくことを夢見ていた。ある日藻は突然行方不明となり、数日後に不吉と恐れられる森の中でしゃれこうべとともに発見される。それ以来藻は人が変わったようになり、歌詠みの才を関白に気に入られて宮仕えすることになる。必死に止める千代松を冷たく無視し、藻は都へ出ていく。絶望した千代松は自殺を試みるが、高名な陰陽師に拾われ、弟子入りする。ここまでがプロローグ。

数年後、関白に気に入られて養女同然となった藻は「玉藻の前」と呼ばれる美女に成長し、その美貌と才気で権勢を誇っていた。が、美しい玉藻の前の身の回りでは、なぜか次々と不吉な出来事や忌まわしい事件が続発する。一方、陰陽師となった千枝松は千枝太郎と名を変えて修行していたが、ある日偶然二人は京で再会する。

「なつかしや」と千枝太郎に懐旧の情を見せる玉藻の前。千枝太郎の心では再び恋心が燃え上がるが、師の陰陽師はあれはあやかしだ、彼女に近づくなと警告する。そして陰陽師たちは世の乱すあやかし、玉藻の前との対決準備を進める。師の言葉に従いながらも、玉藻の前への愛情との板挟みとなり、激しく懊悩する千枝太郎。対決の時は迫る。果たして、平安の世はあやかしによって暗黒に落とされるのか、それとも陰陽師の手で救われるのか。こうして若い二人の運命は、悲劇的な結末へと吸い寄せられていく…。

この物語のベースは「殺生石」という古くからある妖狐伝説だというが、千枝太郎というキャラを投入して恋物語にしたのは岡本綺堂のアレンジらしい。しかしこれによって物語は単なる妖怪譚ではなく、運命によって引き裂かれた恋人同士の哀切なラブストーリーとなった。

千代太郎の思いが単なる添え物ではなく、妖狐退治そのものよりも更に重要な物語の核心であることは、終盤、千代太郎があやかしに呼びかける声、「藻よ、玉藻よ、千代太郎ぢや」ではっきりと分かる仕掛けになっている。そして、その後のエピローグの哀しい美しさ。玉藻が悪霊であることを十分に知りながら、千代太郎の恋心がそれを凌駕してしまうのである。

この変則的なラブストーリーがこの物語の芯だとするなら、それが纏う絢爛たる装飾もまた蠱惑的である。平安の世を舞台にした伝奇ものだけあって、たとえば国を支配する王侯貴族兄弟の権力争いや、華麗をきわめる宴の模様、貴族社会のしきたり、恋の駆け引きの数々などが臨場感をもって描写される。まさに豪奢な絵巻物を見る感がある。伝奇物語の醍醐味をたっぷり味わえるというものだ。

悪のヒロインである玉藻の前と瓜二つの美姫が登場するのも、個人的にはポイントが高い部分である。この姫は玉藻の前と違って善良な普通の娘であり、ストーリー的には千枝太郎の葛藤を深める程度で期待したほどの活躍ではなかったけれども、このようなドッペルゲンガーの登場は伝奇物語にはつきものだ。ワクワク感を亢進させてくれる。

それにしても、悪のヒロイン・玉藻の前は千枝太郎の気持ちを利用しているだけなのだろうと思って読んでいたら、本当に彼に執着している様子なのには驚いた。その嫉妬心から千枝太郎の思い人=自分のドッペルゲンガーである純真な姫に取り憑いてしまうのだから、やはりあの気持ちは本物なのだろう。九尾の狐に取り憑かれた藻の思いが、心の奥に残って消えなかったということだろうか。

最後にもう一つ、本書は岡本綺堂が駆使する古雅な文体がまた味わいひとしおである。仮名遣いは古いが、読みにくいほどではない。というより、文章は全体にとても読みやすい。簡潔な言葉で、登場人物の心理の襞や情景の隅々までがくっきりと、鮮やかに表現されていく。匠の技を堪能できます。