仕立て屋の恋

仕立て屋の恋』 パトリス・ルコント   ☆☆☆★

パトリス・ルコントは私のオールタイム・ベストのひとつである『髪結いの亭主』を撮った映画監督で、一時期『タンゴ』『タンデム』『リディキュール』『橋の上の娘』と彼のフィルムを取り憑かれたように観まくった記憶があるが、結果的に『髪結いの亭主』を超える作品には出会わなかった。まあこれは、私の個人的見解と思っていただきたい。

で、その当時『髪結いの亭主』と並んで評価が高かったのが本作、『仕立て屋の恋』である。髪結い、仕立て屋とまるで職業シリーズみたいだが、本作の原題は「ムッシュー・イール」なので、別にこの二つはシリーズものではない。しかし、内容的にはどちらも現実離れした愛の寓話で、『髪結いの亭主』が暖色系の映像美で成就する愛を表現しているとすれば、『仕立て屋の恋』は寒色系の映像美で成就しない愛を表現しているという具合に、まるで対になった作品のような印象を与えるのも事実だ。

両者とも主人公がエキセントリックな、決してイケメンではない男であることも共通している。本作の主人公イール氏は非社交的で狷介な性格のため、周囲の人々から距離を置かれ、うさんくさく見られている孤独な中年男である。一人暮らしのアパートから仕事場へ通い、一人で黙々と仕立て屋の仕事をこなし、また一人でアパートへ帰るという生活を繰り返している。

物語は一人の娘の死体から始まる。近所で殺人事件が起きたため、イール氏も刑事に尋問される。周囲から孤立するイール氏に、刑事の視線は冷たい。そんなイール氏は夜、アパートの窓際に立って向かいのアパートで暮らす女の生活をつぶさに覗き見する習慣があった。知らず知らずのうちに、この美しい女アリスは生活の隅々までイール氏に見られており、そんなアリスをイール氏はひそかに愛するようになっていた。

ある日、ついにアリスはイール氏の覗き見に気づく。すると彼女はエミールという若くハンサムな恋人がいるにもかかわらず、まるでイール氏を挑発するような行動を取り始める。彼に接近し、微笑みかける。イール氏は動揺しながらも、彼女への溢れる恋心を抑えることができない。アリスと一緒に、二人だけの生活を始めることを夢見るようになる。ところがアリスの行動には、ある隠された動機があった…。

原作は、意外なことにミステリ作家ジョルジュ・シムノンである。この映画はおそらく相当パトリス・ルコント風に脚色されているのではないかと思うが、奇妙なラブストーリーの進行に殺人事件が絡んでくる点では、ミステリ的仕掛けが確実に効果を発揮している。ルコントが後に同じ女優を使って撮った『親密すぎるうちあけ話』も、プライバシーの覗き見から始まる愛という似たプロットだが、殺人事件を仕掛けに使った『仕立て屋の恋』の方がアリスの行動に説得力があり、プロットとしては強靭だ。

先に「ちょっと現実離れした愛の寓話」と書いたが、整髪剤でカクテルを作ったり床屋で結婚式をしてしまう『髪結いの亭主』ほどではないにしろ、『仕立て屋の恋』でも到底リアリズムとは言い難い描写が頻出する。イール氏がアパートの灯りをつけずに生活しているとか、アリスが裸で窓を全開にしているとか、非社交的なだけのイール氏が卵をぶつけられるほど近所の人々に嫌われているとか、何の証拠もなしに刑事がイール氏を犯人扱いするとか、まあ色々ある。状況やキャラ設定が極端なのである。

更に、アリスがイール氏を挑発するシーンではルコント流エロス描写が炸裂する。これこそルコントの独壇場なのだが、たとえばイール氏の帰宅を待ち構えていたアリスがわざとたくさんのトマトを落とし、イール氏の足元に散らばったトマトを四つん這いになって拾う、なんて場面がある。足元のアリスを見下ろしながら、イール氏はただ突っ立って固まっている。まあ現実にはあり得ない光景だが、赤いトマトの鮮やかさとあいまって、いかにもルコントらしいエロティックなシークエンスとなっている。

つまり、この映画では色んなことがデフォルメされている。物語の展開もいささか強引で、かつ実に直線的だ。この映画が重厚なあるいは精緻なリアリズムとは無縁で、「おとなのおとぎ話」としての軽やかさと、痛々しいほどの甘美さをまとっているのはそのためだ。

音楽も重要である。『髪結いの亭主』と同じくマイケル・ナイマンの甘く切ない旋律が、映画の間中、のべつまくなしに流れる。ルコント独特の映像美と並んで、おそらくこのナイマンの音楽が本作の最重要要素と言っていいだろう。映像と同じか、あるいはそれ以上の重みを持っている。無口で無表情なイール氏の内面を、この音楽が代弁しているのである。

映像については、先に書いた通り寒色系の色彩がメインで、いつもの通りアップを多用したメリハリの効いた画面である。構図や編集も独特で、たとえばイール氏が屋根から落下するシークエンスなどが典型的だが、平坦でも客観的でもなくきわめて表現主義的だ。音楽的といってもいい。

先ほど「成就しない愛」と書いたが、物語の最後、イール氏の愛は滑稽なほど無残に踏みにじられる。それもあってか、この映画は公開当時さかんに「純愛」と喧伝された記憶があるが、イール氏は風俗で性の処理をしているし(しかも風俗嬢に対してはかなり態度が悪い)、覗き見もするちょっと変態的な男である。アリスを追い出した後彼女の残り香を嗅いだり、やっぱりアブナイ。

だからあまり「男の純情が女の狡猾に利用された」的な見方はどうかと思うが、ただ、どんな男でも人を愛する心を持っている。のぞきが趣味の孤独な男でも、だ。そして愛はいつも例外なく、男に美しい夢を見させる。それは男を幸福にするかも知れないし、きわめて残酷な結末を招くかも知れない。イール氏はアリスの本当の動機を知っていたにもかかわらず、つい夢を見てしまった。そして彼にとっての唯一の解決策を考えたが、彼女にとっての唯一の解決は、また別のものだった。愛とはそんな、美しくも残酷なものなのだ。私はこの映画を、そんな風に受け取った。

映画のラストで、イール氏が刑事に残した手紙が出て来る。以前は、私はこの結末があまり好きではなかった。あまりにセンチメンタルだと思ったからだ。が、長い年月を隔てて再見してみると、これはとても胸に沁みる、いい結末だと思うようになった。

イール氏はここで初めて、自分の胸中を明かす。そしてそこでは、愛が彼に見させた美しい夢と幸福が語られている。