『雲』 エリック・マコーマック   ☆☆☆☆

首を長くして待ったエリック・マコーマックの新刊だが、アマゾンから届いた時にはかなりの分厚さに驚いた。帯には「古書店で見つけた一冊の書物には、黒曜石雲という謎の雲にまつわる奇怪な出来事が記されていた」とある。

なるほど、だから雲か。と納得してプロローグを読むと、語り手の「私」がメキシコの書店で入手した『黒曜石雲』なる書物の内容が紹介されている。これは事実の記録だというが、ある時スコットランドの町ダンケアンの上空に、黒くて鏡のような奇怪な雲が出現した。そこには町の建物や人々がさかさまになってくっきり映っていて、それを見上げていた四人の子供たちの目がぽんと飛び出し、全員血を吐いて死んだ。それだけでなく、丘の上の高い場所で雲を見た女性によれば、それは実は雲ではなくゆっくりと通り過ぎる別の惑星で、その表面に立つ住民たちの目は赤くギラギラと光り、その両腕は捕まえてやろうとするかのように女性の方へ突き出されていた、という。女性は恐ろしさのあまり逃げ帰った。

奇怪極まりない話である。エリック・マコーマックの小説の幕あけとして、これ以上ふさわしいエピソードは考えられないし、またこれを読んでワクワクしなければマコーマック・ファンじゃない。こんな小説マコーマック以外の誰に書けるというのか。興味を掻き立てられた「私」はさっそくスコットランドのさる筋へ問い合わせ、こうして調査が始まる。

それと並行して、「私」とこのスコットランドの町ダンケアンとの関係が説明される。「私」はかつてそこに滞在し、ある女性と悲痛な恋愛を経験したという。このようにして「私」は、自分の生い立ちからダンケアンへ赴いた経緯、そこで出会った運命の女性ミリアム、ミリアムとの恋愛の顛末、それがどれほどのトラウマを自分に残したか、そしてその後どのように世界を放浪し、今の仕事についたか、などを縷々語りついでいく。

つまりこの小説『雲』は、「私」ことハリーの人生の物語と、彼が見つけた奇怪な書物『黒曜石雲』の調査の両方がパラレルに進む構成になっている。しかし、重心は圧倒的に「私」の人生の物語の方にかかっている。ハリーの人生は普通の人のそれよりかなり波乱が多いとは思うが、基本的にまともである。つまり、荒唐無稽ではない。悲劇的事故で両親をなくし、恋人に裏切られ、船員となって世界中を放浪し、アフリカで働き、カナダの実業家に見込まれて会社を継ぎ、その娘と結婚する。冒険的エピソードには事欠かないけれども、会社は機械製品を作って納品する実直なビジネスだし、ハリーは顧客と折衝するために世界中を飛び回るビジネスマンである。

訳者の柴田元幸はあとがきで、本書がマコーマックの集大成というべき内容だと賞賛しながらも、「幻想物語とは言い難い」と注釈をつけている。従って『パラダイス・モーテル』や『隠し部屋を査察して』で、マコーマックの唖然とするような奇想に触れ、そのとりこになった読者は、いささか拍子抜けするかも知れない。正直言うと、私もその一人である。

まして、冒頭の『黒曜石雲』のエピソードがとびきり荒唐無稽だから猶更だ。あれはずるい。もちろんあれはあれでその後フォローが入るのだが、あたかも競馬馬の前にぶら下げたニンジンのように、読者の気をひくために持ってきたんじゃないかと疑われてもしかたない扱いだ。

とはいえ、『パラダイス・モーテル』でも人を喰ったうっちゃりを仕掛けてくれたマコーマックなので、本書を読み始めた時からこんなことじゃないかと薄々思ってはいた。このとぼけた「いたずら」(と私は思う)も、ポストモダンの旗手たるエリック・マコーマックの持ち味の一つなのだろう。

さて、そんなわけで本書は煎じ詰めればハリーの人生物語である。色んな人々との出会いや離別、死別が主たるエピソードだが、主要なところを挙げれば、まず両親、それから運命の女ミリアム、船医からアフリカの医者から怪しげな研究者と転身していくデュポン、カナダの実業家ゴードン・スミス、その娘にしてハリーの妻となるアリシア、そしてハリーの息子フランク。

やっぱりマコーマックだなと思うのは、こうしてハリーと関わりを持つ人々がほぼ全員、何かしら奇妙なところを持っている点である。たとえばミリアムには重症のアヘン中毒患者の父親がいるし、急に変心してしまうのも謎めいている。船員時代の仲間には鼻の専門家がいたり、潰瘍にとりつかれた船員がいる。まっとうな医者だったデュポンはいつの間にか怪しげな研究に従事するマッド・サイエンティストみたいになるし、ゴードンとアリシアの父娘もあらゆるプライバシーを共有するという、どこか人を不安にさせる異常性を持っている。息子のフランクはまっとうな性格だけれども、オブジェ蒐集の情熱に取り憑かれている。

ハリーはそんな人々と、ある時は距離を置き、ある時は「まあ世界にはこんな人もいるんだろう」と思いながら接していく。しかし私なら、ゴードンとアリシア父娘の気持ち悪さを知った後でアリシアとは結婚しないだろう。

ちなみに「幻想物語とは言い難い」本書ではあるけれども、マコーマックらしい奇怪かつ忌まわしいエピソードはあちこちに埋め込まれている。まず書物の内容として紹介される数々の事件(その典型が『黒曜石雲』)があり、ハリーの体験談としてはアフリカのシャーマンや、蠅の柱、テロリストに殺戮された原型をとどめない死体などがある。ゴードンと一緒に入った洞窟で、ゴードンが怪物に変貌する幻覚を見たりもする。

それから、本書のストーリー上きわめて重要な存在が女精神病患者のグリフィンである。彼女は他人の目に見えなくなるという特徴(能力?)を持っていて、長くハリーを悩ます存在となる。終盤には、頭がおかしい作家と芸術家ばかりを収容したイールドン・ハウスと、そこの患者にしてタイプ狂のジョージーナも登場する。変人・奇人大集合だ。こういうところはやっぱりマコーマックである。

とはいえ、トラウマとなってハリーの人生をいつまでも呪縛するミリアムの記憶は、最後に、意外なほどまともな結着を迎える。「ああ良かった」と読者を安堵させる結果で、これは実にマコーマックらしくない。忌まわしい記憶を、更にどす黒い奈落へと突き落としてみせるのがマコーマックなんだが。

まあそんな具合で、マコーマックらしさは随所に溢れているものの、『パラダイス・モーテル』みたいな奇想博覧会を期待する読者には、ちょっと勝手が違うかも知れない。そこは柴田元幸氏の言う通りだ。本書は基本的には、一人の男の数奇な人生の軌跡を描いていく「身の上話」小説である。