Hotel By The River

Hotel By The River』 ホン・サンス監督   ☆☆☆☆

iTunesホン・サンス監督の『Hotel Bu The River』を鑑賞。日本では『川沿いのホテル』のタイトルで上映されたようだ。『それから』と同じくモノクロ映画である。

物語はずっと川沿いの小さなホテルを舞台に進行する。季節は冬、外は雪が降り積もっている。主人公はホテルに一人で宿泊している初老の男性。彼は有名な詩人である。彼は二人の息子とホテルのカフェで待ち合わせをする。どうやら会うのは久しぶりらしい。一方で、彼は同じホテルに泊まっている女性の二人連れと知り合う。不倫の恋を清算したばかりらしい傷心の娘と、彼女を慰める既婚女性。詩人は彼女たちに向かってさかんに「美しい」と褒め言葉を言う。

詩人を中心にして、息子二人と、行きずりの女性二人。彼らのほとんど交わらない会話の数々と、あまり活動的とは言えない行動のいくつかで、この映画は成り立っている。物語中に経過する時間はちょうど一日で、ある朝から翌朝までの出来事が語られる。

とりあえず、雪と川のあるモノクロ映像がとても美しい。一面の白の中に佇む黒いコート姿の女性二人は、間違いなく一幅の絵だ。これまで観たホン・サンス監督作品の中でも、もっとも映像が美しく気品に溢れたフィルムだと思う。

そして、ストーリーらしいストーリーはなく、とりとめのない会話だけで成り立つ物語はいつものホン・サンス節だが、今回特徴的なのは全体に立ち込める「死」の匂いである。ただし、「死」の匂いなどというと不吉で陰鬱な感じだが、この映画にはそんな鬱な空気感はなく、いつものホン・サンス映画と同じくあっけらかんとしている。「死」は常に画面のどこかで意識されているが、それは透明かつ清澄なものである。

なぜ「死」が強く意識されているかというと、冒頭で老詩人が息子たちに「長いこと会っていなかったのに、なぜ自分たちを呼んだのか?」と聞かれ、何だか自分がもうすぐ死ぬような気がしたから、と答える。これが主題の呈示である。息子たちは笑うが、詩人はこの映画のラストで実際に死んでしまう。つまり、これは詩人の生涯最後の一日を描いている。この映画において、「死」が重要なテーマであることは間違いない。

さて、死の予感がその通りに実現するという非現実的なストーリーは、この映画を一個のファンタジーに仕立て上げる。寓話と言ってもいい。少なくとも、リアリズム映画ではない。ミニマリズムで日常をディテールを描くホン・サンスにしては珍しく、と言いたくなるが、考えてみると実は珍しくない。

『三人のアンヌ』では夢オチのエピソードを連発し、『自由が丘で』では手紙のシャッフル、『正しい日 間違えた日』では同じ物語のバリエーションなど、メタフィクショナルな仕掛けはホン・サンス監督の得意とするところだ。こんなアンリアリズム的自在さとミニマリズムの融合が、ホン・サンス映画の大きな魅力の一つなのである。

さて、死の予感にかられて息子たちと再会した詩人は彼らと色んな会話を交わすが、そこでは互いの意図の噛み合わなさ、勘違いだらけのミスコミュニケーションぶりが強調されることになる。それはもう最初のシーンの電話での会話から明らかで、部屋まで行くという息子たちとカフェに降りていくという父親が、延々どうでもいいことを互いに主張し合う。そしてようやくカフェで待ち合わせることになるのだが、今度は待ち合わせ場所ですれ違ってしまい、なかなか会うことができない。

他にも長男が離婚したことを父親に隠していたり、父親が途中で行方不明になったりと、思い違いや食い違いばかりだ。これはもちろんホン・サンス監督らしいオフビートなおかしさを醸し出すと同時に、近しい者同士のコミュニケーションですらまったくチグハグになってしまう、つまり、コミュニケーションとはつまりディスコミュニケーションなのだ、という強烈なアイロニーを観客に突き付けているようでもある。

そんなチグハグな会話の中で、父親が次男の名前の由来を二人に説明するところがある。「Side By Side」という意味の名前に、父親は一人きりではなく兄弟揃って生きていくとの思いを込めたという。それともう一つ、人生には天上的なものと現実的なものの両方が必要、という意味もあるそうだが、これはこの映画全体のメタファーと解釈することも可能だ。つまり二人の美しい女性が詩人の天上的なるものへの憧れを象徴し、息子二人が現実を象徴している。

さて、その女性二人のエピソードはどんなものかというと、老詩人と三人で会話するシーンは大体において「美しい」「美しい」と褒め言葉が連発され、女性二人だけのシーンでは娘の不倫の恋愛が話題になる。この娘を演じているのはホン・サンス監督のミューズ、キム・ミニだが、この設定のため彼女には常に哀しみの影があり、また彼女たち二人の行動はあまり活発ではなく、部屋のベッドで寝てばかりいる。美しい雪景色とあいまって、この映画はとても静謐な印象を観客に与える。

物語が進むにつれ、観客は老詩人がかつて離婚したこと、別れた妻に激しく嫌われていること、などを知る。また、次男は有名な映画監督だが、女性恐怖症の気味があるようだ。有名人である老詩人に人々はサインを求めるし、彼自身も人好きのする性格のようで特に若い女性には愛想よく振る舞うが、にもかかわらず、彼にはどこか孤独の影がある。人生の倦怠も引きずっている。彼の人生そのものが、詩のように美しい理想と醜い現実の間で引き裂かれていることを、観客は知る。

さっき書いた通り全体に静謐な映画で、いつものコメディ要素は控え目である。また自分の予感通りに詩人が死んでしまうことを除けばメタフィクショナルな遊びもなく、物語は淡々と、時系列に沿って進む。あえて言えば、冒頭のクレジット部分で男性のナレーションが映画の撮影時期を説明するのが珍しい。あんなことをする映画を初めて観たが、あれは一体何なのだろう。遊びなのか、あるいは映画に余白を持たせ、意味ありげにする独特のテクニックなのだろうか。

それから、いつものように映画の中に説明できない断片や意味不明のピースがまぎれ込んでいる。たとえば、息子たちの乗っている車はかつて既婚女性が持っていた車らしいが、一体どういう経緯なのか説明はない。また、既婚女性はその車の中から手袋を盗むが、なぜそんなことをするのか分からない。手袋のことはその後のストーリーではまったく触れられることがない。もしかしたら私が説明を見逃したのかも知れないが、おそらくそうではないだろう。不思議である。

本作の魅力をまとめると、雪に包まれた川沿いのホテルという場所の魔法、これが一つ。そして、「死」の透明な影が映画全体に沁み通っていること。その中に天上的なるものと現実的なるもの、息子二人と女性二人の、二重のシンメトリーが静謐に仕組まれていること。そしてコミュニケーションが常に破綻するアイロニー、つかみがたい真実と嘘。

いつもより寓話的でシンボリックで、ミステリアスな雰囲気を漂わせたホン・サンスの最新作でありました。