パラサイト 半地下の家族

『パラサイト 半地下の家族』 ポン・ジュノ監督   ☆☆☆☆☆

アカデミー賞受賞ですっかり有名になった『パラサイト』、色んな人がすでに感想やレビューをネットにあげているのでもう目新しいことは何も書けないが、やはり私もこの映画に感動した一人なので、批評や解釈なんてものではなく、思いつくままにゆるく感想を書き連ねてみようと思う。

私の頭にポン・ジュノ監督の名前がインプットされたのは『殺人の追憶』を観た時で、いやこれはすごい映画だなと思ったのを覚えている。ずっしりした土着性と暑苦しさ、禍々しさ、猥雑さ、そしてアクの強い演出と粘着質のストーリーテリング。途中までは昭和の泥臭い犯罪映画みたいな雰囲気に「これ傑作かな?」と疑いながら観たが、どんどんテンションが上がっていく終盤の展開に息を呑んだ。最後はもう突き抜けちゃったみたいな昇天感があり、久しぶりにすごい映画を観たという感動が、しばらく冷めやらなかった記憶がある。

その後立て続けに『グエムル『母なる証明』を観て、いずれも世評は高いしポン・ジュノ監督の才気は確認できたものの、個人的には『殺人の追憶』に匹敵するとまでは思えなかった。やっぱり『殺人の追憶』が頂点かな、と思っていたので、今回『パラサイト』を観る前も期待と不安が半々ぐらいだった。

で、実際観てみたら、まず前半の、次々と半地下家族のメンバーが金持ち一家に侵入していくプロセスはいささかマンガ的というか、かなり大胆にデフォルメされていて、決して緻密なリアリズムではない。あんなにうまくいくわけがないのだ。安直といえば安直で、だからこのあたりはちょっと雑だなと思いながら観た。

そして半地下家族が雇い主の邸宅でパーティーしているところに前の家政婦がやってきて、地下室の住人が登場するところから、一気にシュールな世界に突入する。ここで私は「ははあ、こりゃまるでつかこうへいだな」と思ったことを覚えている。家出したお父さんが家の地下室か屋根裏に隠れて暮らしていたというつかこうへいの芝居を連想したからだが、なんにせよシュールで毒があってドタバタ喜劇的、という点でもつかこうへい演劇と同じ匂いを感じた。

つかこうへい演劇の特徴は痛烈なアイロニーと逆説だが、ポン・ジュノ監督の映画にも明らかにブラックユーモアとアイロニーがある。『殺人の追憶』では警察へのアイロニー、『母なる証明』では弁護士から母親自身まであらゆるものへのアイロニーがあったが、更にそのアイロニーが現実から遊離して暴走し、シュールの域にまで達するとなれば、これはもう間違いなくつかこうへいと同じ類のセンスだ。

この映画でも地下室の住人が出てきたあたりから急速に荒唐無稽化し、そこへ金持ち一家が帰ってきてかくれんぼが始まるあたりは完全にドタバタ演劇となる。なるほど、これはドタバタ・コメディだったかと思った時、ようやく前半のデフォルメぶりと雑なリアリズムが腑に落ちたのだが、この時点ではまだ、なかなか面白いけれども傑作かな、と疑っていた。どことなくB級の匂いがしたからだ。『殺人の追憶』と同じである。

そしてその後、大邸宅を抜け出した半地下家族がスラム街の自宅に戻るあたりで、今度は大洪水が画面を暴力的に揺さぶるデザスター映画となる。これまたすごい迫力だ。しかし金持ち一家へのコント的寄生、シュールな地下人間の登場、そしてドタバタ喜劇、そしてデザスタームービーというこの変わり身の早さは、映画の統一感という意味では全然首尾一貫しておらず、ほとんど支離滅裂である。もはやこの先どうなるのか、まったく予測できない。

更に、大邸宅の地下の状況、石、モールス信号などのあらかじめ仕込まれた小ネタがめまぐるしく交錯するこのシャッフル感も実にスリリングで、盛り上がりに拍車をかける。まるでいくつものボールを宙に放り投げては拾ってみせるジャグラーさながらで、ポン・ジュノ監督の意表をつくスピーディーな作劇が最大の効果を上げている。こうしてどんどんテンションが上がっていき、観客の興奮レベルも上がっていく。うーむこれどうなるんだろと思いながら観続けると、ついにクライマックスのガーデンパーティーで血みどろの惨劇が起きる。

この血みどろ惨劇も決してグロとシリアス一辺倒ではなく、根底には一貫してブラックユーモアが流れている。おまけに、このシーンでは登場人物の行動がまったく読めない。つまり物事の連鎖が論理的ではなく、非論理的なのである。ところどころに意味不明の飛躍がある。にもかかわらず、半地下一家の主人キムの感情のうねりは見事に表現されている。このダイナミズムが素晴らしい。

このシーンで、これまでのデフォルメ、ドタバタ、デザスター、支離滅裂、血みどろ、意味不明性、圧倒的ダイナミズムなどが一緒くたになって押し寄せてきて、ついに私はノックアウトされてしまったのである。「なんじゃこの映画は!」と叫びたくなった。

この後のエピローグもいい。これも『殺人の追憶』と同じなのだが、エピローグの良さが映画全体の印象を3割ぐらいアップしている。それぞれのキャラの色んな感情と思いが交錯するラストでも、やっぱり荒唐無稽や静謐やアイロニーなど多彩な要素が入り乱れる。ついでに言うと、自ら地下人となってしまったキムや、モールス信号による手紙で会話する親子、なんてアイデアも、なんだかつかこうへい的だと思ってしまった。

結果的には、『殺人の追憶』よりさらに破壊的、非論理的、荒唐無稽かつ支離滅裂な映画だった。そしてこの映画のすごさは、まさにその一点にあると思う。本作のテーマは格差社会への風刺だとかよく言われるし、それはもちろん正しいのだろうが、この映画のすごさはテーマを的確に表現したなんてことじゃなくて、論理をぶち壊し暴走し、その結果得体の知れないド迫力を生み出してしまったポン・ジュノ監督のストーリーテリングと演出にある、と私はそう思うのである。

まさにジャンル分け不能。圧倒的バイタリティと突き抜けたセンスを見せつけた、堂々たるパルムドール受賞作だ。