あの素晴らしき七年

『あの素晴らしき七年』 エトガル・ケレット   ☆☆☆☆☆

私にとって三冊目のエトガル・ケレット本。もうすっかり彼のファンになってしまったが、これはこれまでで一番読みやすく、またケレットの一番おいしいところを味わえる本ではないかと思う。『突然ノックの音が』『クネレルのサマーキャンプ』と違い、本書はノンフィクションである。ケレットに息子が生まれ、そして父親を亡くすまでの7年間に起きたあれこれを描く、さまざまな短篇が収録されている。短篇というか、どれもほんの2~3ページの小品という方が正確だ。

ノンフィクションと言っても、次々と繰り出される小品の手触りはケレットのシュールな短篇小説と何も変わらない。軽やかで、思いもよらない方向へすばやく向きを変え、アクロバティックな着地を決める。文体は簡潔でスピード感に溢れ、しなやかで、親密な暖かみに溢れ、どこまでも強靭だ。決して自分自身のヴォイスを見失うことがない。

しかし内容的にはノンフィクションなので、ケレットの創作よりもシュール度は低い。こういうのを読み慣れない読者にはシュール過ぎるかも知れない彼の短篇作品よりも、こっちの方が読みやすいのではないかと思う。だからケレット入門としても最適だが、といっても決してケレットらしさに欠けるわけではないのでご安心を。自分の覚書も兼ねて、以下に私のフェイバリットな作品をご紹介したい。

「英雄崇拝」は子供の頃兄を崇拝していた、という話から始まって兄の人生の変遷が語られ、最近一緒にゾウの背中に乗ったことでその感覚が蘇ってくる話。非常にパーソナルな内容でありながら、兄と弟という関係についての普遍的な寓話のようでもある。楽しく面白く、最後にちょっとほろりとさせるケレットらしい「いい話」だ。

「おじさんはなんて言う?」もその手の話で、ケレットとその幼い息子は愛想の悪いタクシーの運転手に当たってしまい、ケレットと運転手が喧嘩する。息子が子供らしい正直さでタクシーの運転手にある質問をする。運転手は何と答えたか。意地悪な結末が多いケレットにしては、思いがけなく心温まるラストだ。

「ポーズをとる人」はまさに抱腹絶倒というしかないエピソード。ケレットがヨガをはじめ色んなエクササイズを試す話だが、インストラクターたちに次々と見放されていくケレットがおかしくてやがて哀しい。

「ぼくの初めての小説」はまたまた兄が登場する話で、初めて小説を書いたケレットが兄にそれを見せた時の話。犬と散歩中だった兄はまずそれを読み、「コピーは取ったか?」と確認した後、その原稿で犬の糞を始末する。そこからケレットはある啓示を得る。笑えるし、ケレットや操る論理の転倒が面白くて、こういうところが小説家のセンスなんだなあと思う。

「打ちのめされても」は、素晴らしい作品揃いの本書の中でも特に素晴らしい掌編。私の好きなケレットの魅力が凝縮されている。これは父親の話である。ケレットの老いた父親がガンの告知をされてもこたえず、むしろ元気いっぱいな様子を淡々と描いた後、父親に説得されて家族みんなで床がない家に引っ越した時のことを回想する。おかしくて、感動的で、ケレットの父親への愛情がひたひたと溢れ出して来る。

父親シリーズでもう一つ大好きなのが「事故」。これは父親のガンが再発し、しかも妻が流産してしまった週に、今度はケレット本人がタクシーの事故に遭う。不運続き、悲惨続きの週だ。そんな時に彼は父親と電話で会話する。ケレットは心配する父親に電話越しに言う、なんでもないよ、と。その時、彼の脳裏に記憶が蘇る。かつて父親がケレットに向かって、なんでもないよ、と言った時の記憶が。だから何だとは、ケレットは取り立てて何も言わない。しかし、この掌編の美しさはどうだろう。

「お泊り」はケレットが美術館に泊まるという企画に応じた話で、そこで見た写真のことが語られる。淡々としたエピソードだが、ケレットの語りで魔法のような美しさを帯びる。起承転結などまったくないに等しい文章なのに、なぜここまで魅力的になるのだろうと不思議になる。

「はじまりはウィスキー」はケレットの父母の出会いを紹介し、そして次にケレットと妻との出会いを紹介する掌編。これも素晴らしい出来だ。父親は一目惚れした女性に自分は警部だと嘘をついて連絡先を聞き出し、ケレットは初対面の女性の言葉を聞き間違えたことで親密になる。どっちもたまらなく面白いエピソードで、創作としか思えないが本当だろうか。おかしくて楽しくてロマンティックで、人生っていいなあと心から思えてくる。

これもまた父親絡みのエピソード「父のあしあと」は、父親の死後、ケレットがたまたま父の靴を持ってロサンゼルスに行き、ホテルが水浸しになった時に父の靴を履く話。これは面白おかしいというより淡々とした語りだが、その中にやはり亡くなった父親への愛情と敬意が滲む。いわくいいがたい抒情性を湛えた短篇だ。

面白かったり笑えたりじーんとしたりほのぼのしたりと色々だが、とにかく感心するのは、気まぐれに思いつくままに書いているとしか思えない自由自在さ奔放さにもかかわらず、ひとつひとつの掌編が見事な流れを持ち、確実に読者の心に楔を打ち込んでいくケレットの語りの凄さである。本当に魔法としか思えない。どうやったらこんなことができるのか。

それにまた、ただきれいなイメージや奇妙な出来事を書くことで読ませるだけでなく、いくつかのイメージや出来事を結びつけ、あるいは比喩をつかって意味合いを変質させることで、そこに思いもよらない思考や観念が立ち上がってくるメタファーの働きの精妙さ。これがすごい。ケレットは頭の中で考えたことを文章にしているのではなく、書くことでどんどん思考を広げ、観念を生み出しているように(本当にそうかは別として)感じる。そこに読者として参加することは実にスリリングな体験だ。

言葉を変えて言えば、ケレットは決してただ興味深いネタを文章にすることで作品を作っているのではない。そうだとしたら、自分を含む家族の生活だけでこれほど多くの短篇を書くことはできないだろう。彼はありふれた日常的な出来事を、自分の想像力でもってイベントに、アイロニーに、あるいは詩に変えているのである。

本書は間違いなく、言葉の魔法を最高レベルで体験できる書物の一つだ。小説とかノンフィクションとかには関係なく、読むことを愛するすべての人におススメする。