原節子の真実(その1)

原節子の真実』 石井妙子   ☆☆☆☆☆

本書はタイトル通り、原節子の伝記である。しかし著者の石井妙子氏は一度も原節子に会ったことがないという。だからもちろん、本書のどこにも原節子のインタビューは出てこないし、原節子が著者だけに打ち明けた事実や、思い出話なども出てこない。これはそういう本ではなく、著者が原節子という希代の女優に惹かれ、彼女の真実を知りたいという衝動にただ突き動かされ、あらゆる資料を渉猟し尽くして書いた、いわば原節子に関する研究レポートである。

輝かしいキャリアを築いたあと引退し、歳をとってから世間に姿を見せなくなった女優は他にもいる。しかしそんな人々も死期が迫ってくると、自分の真実を残しておきたい、自分が納得のいく伝記を残しておきたいという願望に逆らえず、伝記作家と組んで自分の生涯を書き残すケースが多いのだという。

しかし、原節子は違った。彼女はまったくそんなことを考えていなかっただろう、と石井氏は言う。実際、石井氏が何度訪問して彼女の伝記を書きたいと訴えても、応対するのは甥夫婦だけで、原節子本人に会うことはついに叶わなかったという。原節子は、自分の生涯を残すことになどまったく関心を持っていなかった。むしろ、自分が死ぬと同時にすべて消えてなくなることを望んでいたに違いない。

従って、本書には原節子本人の意向や思いはまったく反映されていない。いわば原節子本人の意志に反して出版された伝記であり、その視点は完全に第三者のものだ。

更に付け加えると、著者の石井妙子氏が原節子に魅せられ、原節子をライフワークとしていることは間違いないが、本書はただ原節子を賛美し美化する本ではない。著者は原節子のいいところも悪いところもフェアに取り上げ、その上で、彼女の生き方をレスペクトしている。この本を読んで、著者の丁寧かつ網羅的な調査と取材、膨大な資料を踏まえて展開される考察や仮説に圧倒されない読者はいないだろう。決してスキャンダラスな興味でも、伝説の女優という題材で稼ごうという売文根性でもない。これは間違いなく著者の人生を賭けた仕事であり、原節子という女優の肖像を出来得る限り正確に書き残そうという、きわめて誠実な書物である。

そしてその結果生まれたのは、稀に見るほど感動的な、絶え間なく悩み苦しんだ一人の女優の伝記である。私は本書を、日本映画を愛するすべての人に読んで欲しいと思う。

さて、私は原節子については通りいっぺんの知識、つまり「永遠の処女」だとか日本映画の頂点をきわめた美人女優とか早く引退して隠遁生活に入ったとかいう程度の知識しか持っていなかったので、本書を読んで意外な発見がたくさんあった。たとえば、原節子がとても内気で、目立つのが嫌いな少女だったということ。あの美貌と圧倒的キャリアを見て、誰がそんなことを思うだろうか。彼女が女優になったのは撮影所で働いていた義兄のスカウトによるものであり、しかも完全に家計を助けるための、いやいやながらの選択だった。

かつ、今の私達には想像しづらいことだが、当時映画女優は蔑まれる職業だった。本書では田中絹代映画女優になる時母親に「お前はそんな賤しいものになりたいのか」と激怒されたエピソードが紹介されているが、そんな中で女優になった原節子は、映画の仕事を決して好きではなかったという。若いカメラマンに「映画のお仕事、お好き?」と尋ね、「あまり好きではありません」という答えを聞いて、「私たち気が合いそうね」と言ったエピソードが紹介されている。

とにかく彼女は女優には珍しいほど内向的な人だったようで、デビュー当時の周囲の人々の証言はとにかく内気、地味、女優らしくない、自己顕示欲がまったく感じられなかった、とこんな話ばかりである。著者はこれを、原節子は幼い頃色黒で、家族の中では彼女より姉の方が「きれい」と言われていたからではないか、と書いている。つまり彼女は、「自分はきれい」という意識を持たされることなく育ったのである。実際、原節子は女優になってからも自分の美貌を大切にするそぶりもなく、力仕事をしたりちゃんと手入れをしなかったりと、むしろ手荒に扱っていたという。

それからもちろん、あれほどの大スターになった後に付き人も付けず、バスや電車に乗って、自分でカバンを抱えて撮影所に通っていたとの記述にも驚いた。あの原節子が、である。そして、おそらく自分がかつてそうだったからだろう、慣れない撮影所で心細い思いをしている年少のスタッフにとても優しかったという。

あるスクリプターの女性の話が出て来る。彼女が食事を抜いて空腹のまま仕事をしていると、急にスタッフが弁当を持ってきた。そして「原さんに、君がまだ食事をしていないからこれを持っていってあげて、と頼まれた」と言った。原節子は彼女に気を遣って、本人の目の前でなくあとでスタッフだけに、そっとそう言ったのである。その女性は、その弁当を食べながら泣いたという。

そんな原節子の、女優としての評価はどうだったのか。今でもそうだと思うが、類まれな美貌で頂点に立ったけれども演技力は大したことない女優、と言われたようだ。大根女優、と心無い言われ方をすることもあった。一般に言われただけでなく、彼女と一緒に仕事をした黒澤監督や吉村監督なども、もっと演技力をつけて欲しいという意味の発言をしている。

ところが、彼女を素晴らしくカンのいい女優だと賞賛した監督が一人いる。小津安二郎監督である。彼は明らかに黒澤監督への反論として、「演出家の中には彼女の個性をつかみそこね大根だの、何だのと言う人もいますが、その人にないものを求めること自体間違っているのです」と言い切っている。そして彼女の良さは内面的な深みのある演技であり、脚本に提示された役柄の理解力と勘は驚くほど鋭敏、と褒め称えた。

誰もが知る通り、小津監督は原節子を何度も起用して『早春』『東京物語』『麦秋』など、歴史に残る傑作の数々をものにした。ちなみに、小津監督がここまで手放しに出演者を褒めることは珍しかったという。

それから、前述のスクリプターの女性の証言も本書で紹介されている。彼女が初めて担当した撮影現場で、原節子が父親役の男優の胸に顔を当ててそっと泣く、という場面があった。ほんのわずかな動きとともに、原節子の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。カットの声がかかった時、スタジオは水をうったような静けさに包まれた。

「私は本当に雷に打たれたように思いました。ああ、演技っていうのはこういうものなのか。役者っていうのは、こういうことをしなきゃならないのかって。原節子さんは器用に演技をなさる方ではなかった。けれど全身でぶつかっていく。役に入り、心から演じる方でした」

この女性はその後松竹に入り長く名優の演技を間近に見たが、あの時ほどの衝撃に遭遇することは二度となかったという。彼女は原節子についてこう言っている。「原さんは女優さんらしくない女優だった。同時に、素晴らしい女優さんだった」

今でも、原節子は大根だよと言う人は多いが、果たしてそうだろうか。確かに器用な女優ではない。しかし、「器用な女優」イコールいい女優なのか。『キネマ旬報』が2000年に発表した「20世紀の映画スター・女優編」では、原節子は並みいる名女優を抑えて日本女優の第1位に輝いている。彼女が主演した小津映画の素晴らしさは言うまでもない。顔がきれいなだけの大根女優に、果たしてこれだけのことが成し遂げられるだろうか。

(次回へ続く)