殺人の追憶

殺人の追憶』 ポン・ジュノ監督   ☆☆☆☆☆

前々から傑作だという噂は聞いていたので、Amazon Primeでただで観れることを発見してようやく鑑賞。韓国映画である。無残な連続レイプ殺人が起き、ひと昔前の警察で刑事たちが拷問も辞さない(というか、拷問そのものの)荒っぽい捜査で容疑者たちを取り調べる。ほとんどでっち上げみたいな捜査をしたりもする。

猥雑なパワーに満ちていて、熱い。日本で言えば『孤狼の血』あたりに近い感触がある。が、途中までは「これがそんなに傑作か?」と思いながら観た。ちょっと昔の韓国の辺境の村の生活感や、骨太のリアリズム、暑苦しい中に時折ふと香るリリシズムなどは良い。警察の免罪体質への告発みたいな風刺もあり、適度にギャグもあり。

そうやって何度も被疑者が浮かんでは、また消えていく。警察映画の常道として、新しい手掛かりが出てくるたびに徐々に容疑者の範囲が狭まってくる。大団円に向けて盛り上がる感じになってくる。そのまま大団円を迎えていれば、おそらくよく出来た骨太の犯罪映画、で終わっただろう。

ところが、だんだんおかしくなってくる。盛り上がれども盛り上がれども、真犯人に辿り着けない。このへんから不条理感が漂い始める。何か世界が微妙に歪んでいるような、あるいは呪われているような、得体の知れない圧迫感が押し寄せてくる。刑事たちももはやギリギリ目いっぱいだ。精神的に追い詰められ、目が血走ってくる。壮絶かつ悲愴。それでも犯人は捕まらない。もはや真犯人が超自然的な存在のように思えてくる。

それまで理性的だったソウルのソ刑事も、ついに狂い始める。そしてもはや暴発寸前、作劇的にはここぞ一大クライマックスというところで、またしても真実はひらりと身をかわして逃げていく。刑事たちも観客も、もはや茫然と立ち尽くすしかない。世界は迷宮であり続け、決して人間の理解が及ぶところではないのだ。人間は神の掌の上で転がされる道化に過ぎない。この真理が観客全員を打ちのめす。

とにかくまあ、あの雨の中DNA鑑定の報告書が届くシーンは物凄い迫力で、私は全身に鳥肌が立ってしまいましたよ。

つまりこの映画は普通の犯罪映画と真逆で、真相を封印し闇の中に葬ることによって、世界という迷宮の奥深さと恐ろしさを逆照射し、浮かび上がらせる映画なのである。当然、凡庸な映画作家にできるわざではない。これで観客を満足させるのは至難だが、ポン・ジュノ監督はそれを成し遂げた。本作はまるでカフカコルタサルが書いた犯罪物語のようだ。

この映画は実際に起きた未解決事件をベースにしているので、作家が想像力だけで創り出したストーリーではない。が、未解決事件をこんな風に料理してみせるアイデアが独創的だ。竜頭蛇尾に終わる、あるいはもどかしいまま終わるのではなく、未解決だからこそ、不条理かつ衝撃的な映画として屹立させてしまう。

エピローグがまた見事な効果を上げている。2003年になり、パク刑事は警察を辞め、会社の経営者となっている。なかなか羽振りが良さそうだ。再び、あの麦畑に通りかかる。彼はその場所で車を降りる。たまたま会った少女から、一人の男の話を聞く。もしかすると、あの事件の犯人かも知れない男。どんな男だった、とパクは問う。すると少女は答える、ごく普通の人だった、と。

これがとどめである。あの異常極まりない事件の犯人は、ごく普通の人。つまり真犯人は誰でもあり、誰でもない。あの犯罪に特定の犯人はいないのだ。特定の犯人がいないからこそ、恐ろしい。絶句し、蒼白になったパクの視線はゆっくりと移動し、ついには観客にひたと注がれる。パクは観客全員を凝視する。その瞬間、映画は終わる。

まさに、真正面からの剛速球。それがこの映画の印象である。が、ただ力づくの押せ押せ映画ではない。雑駁なエネルギーに満ちている一方で、ツボを押さえた的確な演出、細やかな計算が行き届いている。リリカルな映像と乾いた暴力の鮮やかな対比は、時折、北野武ノワール映画を髣髴とさせる。重厚かつドラマティックな音楽は観客の情念を巧みに誘導する。

それともう一つ、この映画でなんとも印象的なのは雨の音だ。この連続殺人事件は必ず雨の日に起きるのである。観客の耳には、やがて雨の音がこびりついて離れなくなるだろう。驚くべき呪縛力だ。

心地よいとか癒されるとかいう映画ではないし、バイオレンスがいささか過剰だし、アクが強いので万人におススメはしないが、ガツンと来る映画、魂を震撼させられる映画を観ようと思う人なら見逃すべきではない。重量級の傑作だ。