孤狼の血(小説)

孤狼の血』 柚月裕子   ☆☆☆★

役所広司主演の映画がかなり熱くて面白かった『孤狼の血』、原作はどんなだろうと思って読んでみた。柚月裕子氏のミステリはこれまで佐方貞人シリーズなどを読んだが、どちらかというと静謐、きめ細やかというイメージで、あの映画『孤狼の血』の猥雑さ、バイオレンスとはどうも結びつかなかった。もしや原作と映画はかなりテイストが違うのでは、と思ったのも原作に興味を持った理由のひとつである。

読んでみると、原作と映画は共通する部分と異なる部分が半々、ぐらいの感じだった。ヤクザとマルボウ刑事のせめぎ合いが緻密かつ骨太に描かれているという意味では、確かに映画と同じである。クールでしたたかな司法の世界を描く佐方貞人シリーズと違って、刑事とヤクザの怒号渦巻く、思いっきり熱くて男くさい世界だ。女性作家がよくここまで男くさい小説を書いたな、と感心する。昭和の猥雑さがプンプン匂うのも映画と共通している。

が、同時にこの原作には佐方貞人シリーズと同質の硬派感、ストイックさも漂っている。これはミステリ作家・柚月裕子の持ち味なのだと思う。堅実であり、几帳面なのだ。ケバケバしさがない。しかし、映画『孤狼の血』はかなりケバケバしい映画だった。そこが違う。

ケバケバしいといって悪ければ、派手でにぎやかと言い替えてもいい。要するにえぐい。血のりの量は倍増、リンチのえげつなさはエスカレートし、エロもたっぷり盛られていた。豚の糞を食わせたり、真珠をカッターで取り出したりという特に強烈だった部分は完全に映画オリジナルで、原作にはない。原作では、リンチはただリンチである。バイオレントではあるが、ある意味淡泊でストイックだ。

主人公の大上も、悪徳刑事ぶりは映画の方がはるかに誇張されている。尋問の最中に女性証人に手を出したり、放火したりというのは原作にはない。風俗で裸になって聞き込みなんてのもない。青年マンガ的といってもいい映画に比べて、原作の方がやっぱりリアリズム重視だ。だからそういう遊びが少ない分、原作の方が余計に硬派で男くさい印象がある。

とはいえ、大上が一見悪徳刑事、というのは原作でも同じである。法や警察内のルールは平然と破るが、非道は犯さない。エロがない分、原作の大上の方が映画より枯れた感じがする。少なくとも役所広司のイメージとは違う。個人的には、むしろ先日観た『殺人の追憶』の主演俳優ソン・ガンホのイメージに近かった。見た目がこわい、角刈りのおっちゃんみたいな風貌を想像してしまう。

雰囲気やキャラクターのことばかり書いたが、ではストーリーはどうか。これも違う。もちろん大筋は同じなのだが、力点が違うのである。映画は暴力団同士の戦争に力点が置かれ、そこに大上をはじめとする警察が加わって三つ巴の闘争が繰り広げられる。そのため、ミステリとしては暴力団による会計士の殺人事件が中心になる。

一方原作では、会計士殺人よりも警察内部の捜査の方がメインになっている。映画では途中から開示される日岡刑事のミッションが、原作では最後の最後まで伏せられている。これが本書最大のミステリーなのだ。だから日岡が書いたノートが各章の冒頭に引用されるなど、小説の体裁全体がそこに合わせて仕組まれているし、大上と日岡の関係性がひっくり返る「どんでん返し」部分がクライマックスになる。

暴力団同士の抗争は、その後途中でフェードアウトしてしまう。その意味で、原作はやっぱり謎解きメインのミステリ小説なのである。

しかし映画は違う。警察内部のミステリーは途中で答えが呈示され、その後はどんどん暴力団二つと警察の抗争がエスカレートしていく。だから原作は大上が退場したところで終わるが、映画は終われない。抗争に決着がつくまで終わるわけにはいかないのだ。

だから映画のクライマックスは、必然的に暴力団幹部同士の対決シーンとなる。江口洋介石橋蓮司をトイレで襲撃する、あの一番アドレナリンが噴出するシーンである。あの部分は映画オリジナルのストーリーで、原作にはない。だからそこまでの話は大体同じでも、読後の印象はかなり違う。

やっぱり映画の方が派手で荒唐無稽で遊びが多く、原作の方が硬派で渋く端正、ということになる。熱くてバイオレントなのは一緒だ。私はどっちもそれぞれ好きだった。ただ、柚月裕子氏の持ち味という意味では、どちらかと言えば佐方貞人シリーズの方がしっくり来る感じはする。