男はつらいよ 寅次郎の縁談

男はつらいよ 寅次郎の縁談』 山田洋次監督   ☆☆☆☆

日本版DVDを購入して鑑賞。シリーズ第46作目、マドンナは松坂慶子。シリーズ最終作『寅次郎紅の花』の二つ前の作品である。今回初見。

男はつらいよ』シリーズは終盤になると満男が主人公のストーリーが多いが、これも例外ではない。今回、満男は大学卒業を目前に控え就活中。頑張って何十社も面接を受けるが内定をもらえず、ついに心が折れて博・さくらの両親と喧嘩し、家出してしまう。

くるま屋一同が心配していると満男からハガキが届き、瀬戸内海の島にいることが判明。そこへふらりと帰ってきた寅、よしおれに任せとけ、と言って満男を連れ戻しに出かける。島で満男に会い、「今すぐ柴又に帰るぞ」と言い放ったまでは良かったが、満男の居候先にいる病身の葉子(松坂慶子)を見るとただちに一目惚れし、観客全員の予想通り、そのまま島に居ついてしまう。満男も島の看護婦あやちゃんと親しくなる。こうして寅と葉子、満男とあやちゃんの二つの恋模様が、瀬戸内海の小島で繰り広げられていく…。

冒頭、満男の家出のきっかけとなるのは就職面接の悩みである。ここで満男は、志望動機や自分の長所など金太郎飴みたいな質問に答えさせられる面接にうんざりしたと言い、おれはテープレコーダーじゃない、と叫ぶ。彼の叫びは切実である。そして、とてもまっとうだ。志望動機を聞かれるとろくに知りもしないその会社のことをもっともらしい言葉で誉め、自分の長所を聞かれると事前に丸暗記した教科書的な自己PRをする。そんなことに一体何の意味があるのか? その無意味さに満男は耐えられなくなる。

ちなみに最近ベストセラーになっているらしい田中泰延『読みたいことを、書けばいい』の中でも似たような一節があって、著者の田中泰延氏はそのバカバカしさを思い切り茶化した後、「あらゆる志望動機はうそなのである」と書いている。

そして満男は重ねて「おれはもう好きなことをやって生きていく」と叫ぶが、それに対してさくらは、じゃああなたはこれなら誰にも負けないというものを持っているの、本当はやりたいことなどなく、ただつらい就職活動から逃げたいだけじゃないの、と問う。

これもまた鋭い指摘で、最近ブログやツイッター界隈では「会社を辞めて好きなことで生きていく」「辛ければ逃げてもいい」などとかまびすしいが、こういうことは原理主義的に常に一つの正解があるわけはなく、人それぞれ個々の状況によって変わってくるものだ。

早い話が極悪ブラック企業に耐え過ぎて死んでしまうのはまずいが、多少キツくても頑張り抜く根気がなければ何をやってもモノにはならない。自分に本当にやりたいことがあるのか、ただ楽な方に流されようとしているのか、その境界線を見極めるのが難しいのである。ここでさくらは、あなたは後者ではないのか、と満男に問いかけているのだ。耳に痛い指摘だ。

さて、追い詰められた満男は見知らぬ島へ逃亡するが、そこで思わぬ発見をする。働く喜びである。彼は連れ戻しに来た寅に言う。この島で働いていると、島の人々が喜んでくれる。自分が必要とされていると感じる。そしてそのことで、生きている実感を得ることができるのだと。

この言葉には、彼がさくらに投げつけた「好きなことをやって生きていく」という薄っぺらい言葉にはなかった実感がこもっている。千金の重みがある。この島で彼はただ、島の人々の漁や畑仕事の手伝いをしているだけである。それが「好きなこと」だったわけでは決してない。しかし、彼はその仕事に生きがいを感じている。なぜならば彼が周囲の人々から必要とされており、彼の仕事が周囲の人々に喜ばれるからだ。

仕事の喜びとは一体なんだろうか。本作に隠された社会的なテーマはなかなか深く、特に今の日本社会では更に切実さを増している問いではないかと思う。

さて、本作では寅と満男両方の恋愛がパラレルに進行するが、まず寅の方を見てみよう。相手は事情あって父親のもとに身を寄せている葉子(松坂慶子)だが、この二人の恋は最初から相思相愛で始まり、最後はなぜ終わったのか分からないまま終わる。松坂慶子『浪花の恋の寅次郎』に続く二度目のマドンナ役だが、両方とも寅と相思相愛になるマドンナを演じている。

肝心の終わり方だが、寅の魅力を力説する葉子さんに満男が寅の気持ちを話してしまい、「そんなことは本人の口から聞きたい」と葉子さんの機嫌を損ねただけだ。別に寅を嫌いになったわけでもなんでもない。満男からそれを聞いた寅が、葉子さんに自分の気持ちを言えば成就する話だ。

ところが、寅にはそれが出来ないというのがシリーズの不文律であり、観客の誰もが知っていることなので、これだけで「ふられた」ことになる。そして寅は自ら去っていく。言ってみれば今回は、これまでの「成就しない相思相愛」パターンの簡略版であり、ほとんどフォーマットをなぞってみせただけだ。だから寅の恋に切実さはまったくない。よく分からないまま「ふられた」ことになった寅は去り、葉子さんもまた島を去ることを決意する。

本作において切実でありそして興味深いのは、圧倒的に満男の恋の方である。シリーズをずっと観てきた人は知っている通り、満男は泉ちゃん(後藤久美子)という究極の美少女に長い年月をかけて恋をし、破れている。まだ若い満男に、これに勝る重量感を持った恋が他にあるわけがない。そんなものが急に出てきたら不自然過ぎる。そこで本作で描かれるのは、突発的な、淡い恋である。彼の人生を通り過ぎていく、エピソード的な、ごく普通の恋。これが実に良いのだ。

相手はあやちゃん(城山美佳子)。島の看護婦である。取り立てて美少女ではない。もし彼女が東京に出て来て六本木あたりで合コンしてもチヤホヤされることはないだろうし、まして、超絶美少女の泉ちゃんの隣に並んだら完全に見劣りしてしまうのは如何ともしがたい。しかし、島で働くあやちゃんはごく普通だからこそ魅力的な女の子だ。何より、彼女は身の丈にあった世界で前向きに、健気に、力いっぱい生きている。

大部分の若者は嫌気がさすような年寄りばかりの島で、彼女は毎日笑顔で暮らしている。一生懸命働いている。「都会に行きたいと思わないの?」という満男の素朴な疑問に、彼女は「だって、私がここの診療所辞めたらみんなが怒るから」と明るく答える。彼女はそんな娘なのだ。

そんなあやちゃんが、ある日突然都会から島にやってきた、同年代の満男に恋をする。それはもう本当にどこにでもありそうな、微笑ましい、だからこそ永遠に心に残り続けるような恋である。最初は、友達同士の笑顔の会話。さようなら、また明日、という挨拶。やがて、手作りの弁当。手編みのセーター。そしてある日、「好き」という告白。

もしも泉ちゃんと満男が結ばれたら、それは運命的な恋であり、人生を変える恋となるだろう。TVドラマや映画で描かれる恋は、大体においてそんな運命的な恋である。しかしあやちゃんは違う。彼女と満男との恋は、エピソード的な恋である。エピソードとは本筋に影響しないことを意味する。つまり人生を変えることなく、やがて通り過ぎ、その後は思い出に変わっていく恋。しかし大多数の人々が経験し、心の中にそっとしまいこんで生涯大切にし続けるのは、こういう恋の方ではないだろうか。

そんな恋が映画やドラマになることはあまりないかも知れないが、それは運命的な恋と比べて決してつまらない、みすぼらしい恋であることを意味しない。エピソード的な恋には、運命的な恋にはない、はかない美しさがある。この映画はそんなごく普通の、誰もが人生で一度は経験するような恋の美しさをあますところなく描いたという意味で、かなりレアな映画ではないかと思う。

あやちゃんといい雰囲気になった満男は、やがて柴又へ帰ることを決心する。なぜか。帰る時のやりとりから見て、満男は明らかにそのことをあやちゃんに伝えていない。彼は「就職しないといけない」という言い訳を口にするが、あやちゃんに「それが本当の理由じゃないでしょう!?」と問い詰められ、言葉に窮する。

つまり満男はあやちゃんを好きだったが、島に残って就職を諦め、彼女と結婚する気はなかった。というか、その決断はまだできなかった。だからうしろめたさを感じつつ(あやちゃんに前もって言わなかったことがそれを示している)、帰ることにしたが、それでも、彼女と別れるのは身を切るように辛かった(船の上から桟橋で手を振るあやちゃんを見て、「おれやっぱり残る」と泣き崩れたことがそれを示している)。

結局のところ、あやちゃんは泉ちゃんではなかった。もしあれが泉ちゃんだったら、満男は瀬戸内海の島だろうが九州の田舎だろうが、喜んで残っただろう。しかしそれで満男を責めるのは酷である。若い頃の恋愛なんて大部分がそういうものじゃないだろうか。好きであっても、この人と結婚するとまではまだ思えない。思えないが、だから好きではないということにはならない。

一度は傷心のあまり走り去るあやちゃんだが、戻ってきて桟橋から手を振り、満男はそれを見て泣く。それでいい。あれであやちゃんは救われたに違いない。

最後のシーンで彼女が別のボーイフレンドと再登場するのも、若い頃の恋らしくていい。すぐ忘れるとか気が変わるということじゃない。あやちゃんはきっと、これからも満男のことを何度も何度も、なつかしく思い出すだろう。しかしまた新しい恋が彼女を待っている。そういうものだ。

さて、こうして満男は柴又に帰ってくる。もう一つのテーマだった諏訪家の騒動は、満男がまた就職面接に精を出し始めることで収束する。出かけようとする満男に、博が急いでネクタイの替えを出し、さくらが靴を磨いてやる。これらの行為が、どんな言葉や話し合いよりも、諏訪家の家族の絆を感じさせる。これもいいシーンだ。

本作は決して重量級の傑作ではないが、あちらこちらでキラリと光るものを感じさせる、なかなかの佳作だと思う。私は好きだ。特に、満男とあやちゃんの恋物語が本当に良い。島という空間がまたいいんだろうな。

もう最後から三つ目の作品ということで、渥美清の容貌や声が老いを感じさせるのはやっぱり寂しい。そして『男はつらいよ』第一作のマドンナだった冬子さんがほんの少しだけ登場し、あいかわらずきれいな姿を見せてくれるのが嬉しい。あれはシリーズを最初から観てきたファンに対する、山田監督からのサプライズ・プレゼントなのだろう。