アベンジャーズ エンドゲーム

アベンジャーズ エンドゲーム』 アンソニー・ルッソジョー・ルッソ監督   ☆☆☆☆★

もちろん公開時に映画館で観たが、今回ブルーレイを購入してキャプション付きでじっくり鑑賞。やっぱり面白かった。言うまでもなく、これはフェリーニでもロメールでも黒澤でもないけれども、職人的娯楽映画として見事な出来映えだと思う。世界中で大ヒットしただけのことはある。

実は映画館に行く前は、あまり期待していなかった。前作の『インフィニティ・ウォー』が私にとっては期待外れだったからだ。色んなキャラクターがわさわさ出て来ていかにも賑やかだけれども、裏を返せばキャラ満載の賑やかさに頼り過ぎで、肝心のストーリーが弱いという気がした。

要するにラスボスである最強の敵サノスが登場し、アベンジャーズの必死の抵抗にも関わらず重要アイテム(石)を手に入れ、その結果アベンジャーズは敗北する。色んなことがテンプレ的で、完全に予想の範疇内、しかも売り物である戦闘の映像も平坦で面白みを感じなかった。

そういう意味では本作も、いったん負けたように見えるアベンジャーズが最後に勝利するのはもう、最初から分かっている。絶対に外せないお約束だ。だからそれをどう面白く、劇的に見せるかがポイントなのだ。

一番つまらない展開はこうだ。生き残ったアベンジャーズが再度サノスに挑戦し、色々あるが今度は勝つ。そして取り戻したストーンの力で世界を復活させ、灰になって消えたアベンジャーたちも戻ってくる。めでたしめでたし。

もしこんな子供だましのストーリーだったら、どれだけ華麗なCGで装飾しても、スター総出演でも、『エンドゲーム』は大駄作になっていただろう。そういう悪い予感をちょっとだけ持ちながら私は映画館に行ったのだが、幸いにも予感は外れた。『エンドゲーム』制作者たちは無論、愚かではなかった。

さて、以下でなぜ本作が傑作かという理由を述べるが、必然的にストーリー構成とベースとなるアイデアに言及させてもらう。ネタバレありで行きますので、未見の人はまず映画を観て下さい。

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まず本作は、シリーズ中稀に見る静かな立ち上がりを見せる。「敗戦後」なのでそれも当然ではあるけれども、それにしても深い静謐感と悲哀が序盤を支配している。この後に来る嵐の激しさを予感させ、かつ引き立てる意味で、この静けさは効果的だ。

次に意外なのは、いきなりサノスが死んでしまうこと。まるでさっき書いた「子供だまし」のシナリオをなぞるかのように、冒頭いきなり生き残ったアベンジャーズたちがサノスに再挑戦するが、サノスはすでに石を持っていない。すべて破壊したという。そしてサノス自身までが、あっさり死んでしまう。

つまり、ここで製作者たちは「子供だまし」バージョンの『エンドゲーム』を完全に否定してみせたわけだ。「間違ってもそんな展開にはなりません」と、まず序盤で明確に宣言してみせた。これで観客は先の展開が分からなくなる。なぜなら、「最強の敵」と「重要アイテム」の両方が物語から排除されてしまったからだ。

さらに、そのまま5年が経過する。世界はますます静けさと諦念に支配される。アベンジャーズもほぼ崩壊、過去から抜け出せない奴、アル中になる奴、子供を作ってひっそり暮らす奴などにばらけている。一体、ここからどういう巻き返しが可能だろうか?

そんなことは不可能、と思わせるだけの重みがこの5年の歳月にはある。この時点で、製作者側の意図は半分成功である。

そして、アントマンが戻ってくるところから、また少しずつ物語が動き始める。ここで製作者側は、ようやく本作の根幹となるアイデアを呈示する。それは「時間旅行」である。

ここでうまいのは、アントマン・シリーズの中で、極小世界では時間の流れが違うことが伏線としてすでにあることだ。何もないところからいきなり時間旅行が出て来るとご都合主義で白けてしまうが、遠大な伏線が回収されるのは快感である。そこに物語の美しさを感じるからだ。

そして、アントマンのアイデアを実現させるために引退していたアイアンマンことトニー・スタークが腰を上げ、千分の一の確率に賭けた巻き返し作戦が練られる。それは過去に戻り、ストーンを集めて世界を復活させるというアイデアである。

ここでもう一つ、過去に戻ってサノスを殺す、という計画ではないところがミソだ。それでは『ターミネーター』の二番煎じになってしまうし、もう一回戦闘するだけの話になる。あちこちに散らばるストーンを集める、という複雑なミッションによって映画がぐっと面白くなるのは、この後の展開を観れば明らかだろう。

ちなみにこの作戦会議で、アベンジャーたちが『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などタイムトラベルものの映画名を出してお喋りするのが楽しい。本作はこういう、映画ファン向けの目配せやくすぐりもうまいのである。ついでに「『ダイハード』もだな」「違うだろ!」なんてベタなギャグでも笑わせてくれる。

序盤でたっぷり静謐さと悲しみのムードを沁み込ませてあるため、ここへきてついに行動開始したアベンジャーズにワクワク感が高まるだけでなく、ベタなギャグも引き立つのである。このあたりのムード設計が実にうまい。

さて、こうしてストーン回収作戦へと突入するが、このパートがいわばこの映画の「華」の部分だ。アベンジャーズが三つのチームに分かれ、それぞれ異なる時間と場所に行ってストーンを追うが、その場所と時間とは、これまでマーベル・ユニバースの一部として作られた映画のどこかに登場した場所であり時間なのだ。

つまり、この部分はこれまで作られたマーベル・ユニバース映画全体への言及であり回想であり総集編にもなっているという、シリーズ最終作のメリットを最大限に生かした作りになっている。無論、製作者がファンに贈る最高の「目配せ」でもある。

ハルクとキャプテンとスタークは『アベンジャーズ』一作目の舞台だったニューヨークへ行き、ソーはアスガルドへ行き、ナターシャとホークアイは宇宙へいく。キャプテンとスタークはそこから更に過去へと遡り、キャプテンが肉体改造された軍の施設へ行く。

とにかく盛りだくさんの見どころが用意されている。キャプテン・アメリカキャプテン・アメリカの対決、トニー・スタークの父親との出会い、そしてある重要メンバーの死。めまぐるしく移り変わる舞台とメンバーとそれぞれのドラマは、まさに「華」というにふさわしい。

そしてその後に訪れる、過去から再登場したサノス軍団とアベンジャーズの決戦。言うまでもなく、これが「華」パートに続く「白熱」パート、つまりクライマックスであり大団円である。

これがマーベル・スタジオ渾身の力を振り絞ったバトル・シーンであることは間違いないが、更にプラスアルファがある。つまり、前作の結末で張られた伏線の壮大な回収にして、観客の誰もが待ち望んだこと。言うまでもなく、消滅したアベンジャーズ達の復活である。

これはもう、いやが上にも盛り上がる。ファルコンに、ワンダに、ドクターストレンジに、個人的には割とどうでもいいブラック・パンサー。そしてなんといっても、スパイダーマン。本作でもっとも感動的なシーンは間違いなく、復活したピーターにトニーが無言で抱きつくシーンである。

あのひねくれ者のトニー、スパイダーマン映画の中ではあれほどピーターに厳しく、時には冷たくさえ見えたトニーが、どれほど彼のことを思っていたかが分かるシーンだ。私は思わず涙で画面がぼやけてしまいましたよ。

そして、あまりにも衝撃的なもう一人の重要キャラクターの死をもってこの史上最大のバトルは終わり、悲しみと喜びをないまぜにした平和が訪れる。私はこの「主要アベンジャーの死」についてまったく予備知識がなかったので、映画館で観た時は驚いた。驚いたが、やっぱりこの人こそがアベンジャーズの中心だったのだな、と納得できた。

その後のエピローグも色々盛りだくさんで楽しい。振り返ってみると、本作はとにかく物語の流れが美しく、構成が緻密で、またそれが実際に効果を上げ、シリーズ最終作というメリットを最大限に生かし切った映画だったと思う。

ちなみに、本作はこれまでの「アベンジャーズ」シリーズの中でホークアイが一番活躍している映画だ。ジェレミー・レナー・ファンとして私は嬉しいです。それから、「アベンジャーズ」シリーズには本作から急遽登場したとにかく強いキャプテン・マーベルも、「切り札」的存在感があってカッコいい。前作の最後でニック・フューリーが呼んだのは彼女だったんだな。ちなみに、ソーは今回お笑い担当である。

そんなわけで、「アベンジャーズ」シリーズとりあえずの総決算作である『エンドゲーム』は、まさに尻尾までぎっしりアンコが詰まったタイ焼きみたいな映画である。これを、フォアグラや寿司じゃないと言って批判するのは野暮というものだ。美味なタイ焼きは最強なのである。