チャイナタウン

『チャイナタウン』 ロマン・ポランスキー監督   ☆☆☆☆☆

ポランスキー監督の『チャイナタウン』を久しぶりにまた観たくなった。これは定期的に観たくなる映画のひとつなので、この際手元に置いておこうと思って日本版のブルーレイを購入した。何度観てもやっぱり面白い。間違いなく名作である。

1930年代のロサンゼルスが舞台のハードボイルド・ミステリで、主人公の私立探偵をジャック・ニコルスンが演じている。あらすじは大体以下の通りだ。

水不足に苦しみ、新しいダム建設を要求する住民運動で揺れるロサンゼルス。私立探偵ギテス(ジャック・ニコルスン)は水源電力局部長モーレイの浮気調査を夫人に依頼され、モーレイが若い女と一緒にいるところを写真に撮る。しかし依頼した夫人は偽者だった。これはどういうことなのか。本物のモーレイ夫人(フェイ・ダナウェイ)に会って真相を探ろうとするギテスだったが、やがて水不足を調査していたモーレイ部長は殺されてしまう。

ダム建設に関わる利権争いを疑うギテスは水源電力局を調べ、不正なやり方でオレンジ農園に水が供給されていることを知る。オレンジ農園に赴いたギテスは、やがてモーレイ夫人の父ノア・クロスに行きつく。ノアは恐ろしい男だとモーレイ夫人はギテスに警告し、一方ギテスは美しいモーレイ夫人と関係を持ちながらも、彼女が愛憎問題で夫を殺したのではないかと疑う。

果たしてモーレイを殺したのは誰か? 美しくミステリアスなモーレイ夫人は何を隠しているのか? モーレイと会っていた若い娘は一体誰なのか?

こんな話だが、ダム建設や水源電力局が出て来てもこれは別に社会派スリラーではない。ちょっとそういうスパイスを振りかけてあるだけだ。実態はそうではなく、レイモンド・チャンドラーロス・マクドナルドの物悲しいハードボイルド小説と同じように、家庭内の濃密な悲劇、そして宿命的な愛憎を描くものだ。

実際、この映画にはチャンドラーの『ロング・グッドバイ』や『さらば愛しき女よ』と同種の雰囲気が、最初から最後まで濃厚に漂っている。斜に構え、ニヒリスティックに見せかけながらも溢れ出すリリシズム。オープニングの哀感溢れるジャズとノスタルジックなアヴァンタイトルだけで、もう酔える。観客はたちまち30年代のロスアンゼルスに連れ去られてしまうだろう。

ストーリーの中心に位置するのはもちろん、美しき未亡人フェイ・ダナウェイである。彼女がこの映画の華であり、核心であり、哀しみの源泉だ。初登場時は鼻持ちならない金持ち女みたいなダナウェイだが、複雑なキャラクター造形で次第に観客とギテスを魅了し、ラストシーンではその痛ましい過去が明るみに出る。そして同時に、悲劇が起きる。

高慢でエレガント、かつ哀しい運命のヒロインに、フェイ・ダナウェイは完璧なはまり役だ。

そして、ジャック・ニコルスンも実に良い。まだ若くて、髪がある。なんていう突っ込みは置いておくとしても、ストリートで生きる私立探偵のしたたかさと矜持を、さすがの貫禄で表現している。クールかつドライでありながら心の底にはどこかナイーブなものを隠し持っているという、フィリップ・マーロウ・タイプの私立探偵だ。

まあ、フィリップ・マーロウよりはるかに図々しく厚かましく、ちょっと泥臭いが、魅力的な主人公だと思う。

それにしてもジャック・ニコルスン、眼光の鋭さはこういう役にピッタリだけれども、笑うと顔がすごく下品になる。真面目な顔をしているとそれなりに誠実そうなのに、笑うと急に悪党ヅラになるのだ。大抵の人は真顔がコワくても笑うといい人に見えるものだが、この人は逆である。役者としては得難い資質なんじゃないだろうか。

とにかくジャック・ニコルスンとフェイ・ダナウェイ、この二人の雰囲気たっぷりの絡みが本作の見どころであることは間違いない。古き良き時代のファッションともあいまって、この映画に芳醇なコクと香りを与えている。

脚本もよく出来ていて、この二人の関係性の移ろいゆく微妙な距離感がとてもいい。ギテスは彼女を疑ったり、惹かれたり、同情したりするし、モーレイ夫人の方は彼によそよそしかったり、礼儀正しかったり、親密に振る舞ったりする。複雑で、揺らぎがある。しっとりしているだけでなく、スリリングなのだ。

そしてその二人の関係性が、あのラストシーンのなんとも言えない情感と余韻につながっていく。極上のブランデーのような馥郁たる香りと苦みを含んだ余韻は、もはや絶品と言うしかない。

ちなみにタイトルの「チャイナタウン」だが、物語の舞台がずっとチャイナタウンというわけではない。チャイナタウンが出て来るのは最後だけだ。が、ギテスが昔チャイナタウンの警察で働いていたことが、何度かさりげなく会話の中で触れられる。そこでは不運続きだった、とギテスは言う。どうやら苦い記憶と結びついた場所のようだが、彼がそれを口にすることはない。

そんな細かいディテールが、この映画の陰影をますます深くしているように思えるのです。