世界侵略のススメ

『世界侵略のススメ』 マイケル・ムーア監督   ☆☆☆☆

日本版ブルーレイで再見。マイケル・ムーアの映画はどれも挑発的で、明快なメッセージ性を持ち、必然的に内容にはバイアスがかかっているだろうから鵜呑みは危険だが、見せ方や切り口が面白く、観客にアピールするツボを心得ているのは間違いない。私にとって一番衝撃的だったのはアメリカの医療保険を扱った『シッコ』だったが、この『世界侵略のススメ』もなかなか考えさせられる。

要するに、マイケル・ムーアが色んな国を訪れてその国の制度や取り組みを取材し、インタビューし、素晴らしいと思ったアイデアアメリカに持ち帰る、という趣向である。それがつまり「世界侵略」で、他国を侵略して価値あるものを持ち帰るために武力や兵器は必要ない、というメッセージが込められている。

ムーアが訪問する国は大体ヨーロッパ諸国で、一部アフリカも含まれている。それらの国の(天国のように素晴らしい)状況とアメリカの(地獄のように悲惨な)状況が比べられ、アメリカという国がとんでもない場所に思えるのはこれまでの映画と同じだが、アメリカ批判よりも他国の良いところの紹介がメインなので、アメリカにダメ出しをしまくる他のムーア作品よりも穏やかで、ポジティヴな印象を受ける。

他国の素晴らしいアイデアとして紹介されるのは、たとえばイタリアの労働者待遇の良さ(寛容な有給休暇制度など)、フランスの小学校の素晴らしい給食、学力世界一をなしとげたフィンランドの教育制度、無料で受けられるスロベニアの大学教育とレベルの高さ、ノルウェーの監獄における囚人の人間的な扱い、ドイツの労使関係と歴史教育アイスランドにおける女性の活躍、などである。

まあ、どれも羨ましくなる話ばかりだ。いちいちアメリカでは…という比較が入って、その違いに愕然となる仕掛けだが、日本と比べてもそう大差ないんじゃないかと思う。

日本人が特に羨ましいと思うのはおそらく、イタリアやドイツの労働者環境だろう。ブラック企業が多く、会社勤めのサラリーマンが疲弊しきっている日本では考えられないほどに、彼らは生活をエンジョイしている。たっぷりある休暇を満喫し、2時間のランチを楽しみ、勤務時間後にはカフェや映画や趣味で穏やかな時間を過ごす。会社が従業員を搾取できないシステムを国が作り上げ、そしてそれが当然だと、会社の経営者含めてみんなが思っている。

これを見ると、ブラック企業で自殺者が出る日本は信じられないほど非人間的な封建社会に思えてくる。少なくとも、あまりにも前近代的であることは間違いない。

それからびっくりするのが、フィンランドの教育。子供たちに宿題を出さず、授業時間も少ない。マイケル・ムーアも「そんな時間数でどんな勉強ができるんですか?」と不審がる。しかし、これでフィンランドは子供の学力世界一を成し遂げているのである。今はどうなんだろうと思ってググってみたが、2019年現在でも変わらないようだ。

要するに詰込み教育をやめて、家族や友達と触れ合う時間を増やし、子供たちが自ら知的興味を持ち、勉強するように仕向ける。それだけだが、実際にこれで成果を上げるのは並大抵のことではないだろう。学校や家庭だけでなく、社会のあらゆる歯車が噛み合って健全に機能しなければ、こうはならない。

更に驚くのは、ノルウェーの監獄の話である。囚人たちは自然に囲まれた環境の良い土地に住み、十分に快適な住居に住んでいる。そして、監禁されていない。そもそも、囚人が数百人いるのに看守は数十人しかいないので、力で押さえつけるなんて最初から無理だ。囚人はみんな自分の部屋の鍵を持っていて、自由に外を出歩けるのである。スポーツを楽しんだり、湖で泳いだりもできる。ただし、その土地を出て行ってはいけない。

「こんな快適な環境で、一体何が『罰』なんだ?」と問うマイケル・ムーアに、囚人や看守は答える。「自由が制限されているのが罰だ。つまり、家族や友達に会うことはできない。ここにいなければならない」

それにしてもこのノルウェーの監獄の快適さ、住み心地の良さは到底信じられないレベルだ。本当にこうなんだろうか、と疑ってしまう。こんな生活ができるんだったらノルウェーの監獄に入りたい、と思う日本人は大勢いると思う。こんなんじゃ犯罪抑止にならないだろうと思う人も多いだろうが、ノルウェーの殺人事件発生比率は世界最低なのである。実際に、この驚くべきやり方が功を奏しているのである。

こんな話が色々出て来るわけだが、どれも共通しているのは、労働者にしろ子供にしろ囚人にしろ、締めつけや強制や監視をやめて人間的に扱うようにしたらうまくいくようになった、という点である。まるでユートピアの話を聞くようだ。理想論であり、性善説。が、それが実際に機能しているというから不思議だ。人間の堕落や無秩序を防ぐには管理し、監視し、罰則で縛らなければならない、という考えを根底から揺さぶられる。

たとえば会社で勤務時間を減らし、遅刻や欠勤をチェックも注意もせず、仕事の遅れを誰も指摘しなかったらどうなるだろうか? 仕事が回らなくなる。そう思ってしまう。人間はサボるものだと、私たちはそう思っている。仕事や勉強はつらいものだ、だから我慢しなければならない、そう思っている。

注意が必要なのは、フィンランドノルウェーでも義務やルールがないわけではない、ということだ。仕事も授業も、監獄のルールもある。が、それらはみな驚くほど寛容だ。それらは対象者を縛るのではなく、対象者を幸福にし、人間的な生活を送らせることを考えて作られている。そして驚くべきことに、それが「縛る」ことよりもはるかに効果を上げている。

マイケル・ムーア自身がこの映画の中で断っているが、これらの国にも問題はあり、欠点はある。それらはこの映画では取り上げられない。だから全部鵜呑みにして、これらの国を天国のように考えるのは間違いだと思うが、少なくとも、先に書いたようなことを考えさせられるだけは確かだ。

つまり、人間が人間らしく生きる社会とはどのようなものか、ということ。そして、それらは一部の人々が嘲笑するような夢物語やユートピアではなく、すでにどこかで実践されている現実だ、ということ。

しかし欧米人にも色々問題はあるが、こういうのを見ると根っこの部分がちゃんとしてるんだな、という気がする。おかしいことがあったらおかしいと声を上げ、それをみんなが認め、良くする仕組みを作っていく。そして、きちんと成果を上げる。

日本では心を病み自殺者が出るほどブラック企業やストレス社会が問題になっているにもかかわらず、改善されない。政府が無理やり「働き方改革」をやろうとして、迷走する。うーん、なんでだろう。